無料ブログはココログ

日記・コラム・つぶやき

2009年11月14日 (土)

歴史

 大阪校の沿革を記録しておくというのは大切なことだ。2003年の8月27日の法人設立登記を起点とするのが妥当だろう。9月29日に日本語教育振興協会へ申請書を提出したが,審査部の浅井さんからは,お情けで受理してもらい10月にいろいろな書類を追完した。審査は確か12月だったと思う。新規審査,増員申請審査,京都校審査には柴田委員が必ず来校したが,この地域の担当だという。年が明けて,追加の改訂(改装を伴う)を報告して3月10日に「認定証」が到着した。この段階で学生はゼロである。ぼくは,アホみたいに座っていた。経営者どころか,派遣された「親会社の社員」でもなかった。でも,10月に「学生」が「二人」来たことは,「現実」で「嬉しかった」。

2009年11月13日 (金)

『4分の1を捨てなさい』

 藤間先生の本が届いた。藤間先生は,3歳年上。まあ,この歳で何歳かは関係ない。
 読みながら,前向きに考えることを考えてしまう。ただ,言えることは,「安定」を目指すのはうまくいかない,ということだ。「安定」というのは,「この人はこれに向いていてここが最適所」というようなことを,部門長であれ,社長であれ,本人であれ,思っているようではダメじゃないかと思う。こんな言い方をすると「適材適所」でしょ!。不向きな仕事をさせても,本人のためにも,組織のためにもうまくいかないんじゃない!」という声が返ってくる。
 本当に「最適」なのか。誰がその人の「最適」を決める。本人か?本人がわかっていることは,「わたしにできないことはこれかもしれない」というふうに思う。もちろん,何の萌し(きざし)もないことを「できるだろう」とは言わない。その意味では,人間の「可能性」は,藤間先生の言ではないが「無限大」だ。

2009年11月12日 (木)

続けたら本物になる

 タイトルは,木村勝男(かつお)さんの口癖。アークアカデミー大阪校ができた頃は,学生も少なく,木村さんのアーバンベネフィットの朝礼に毎週参加していた。木曜日の朝8時から1時間弱だった。全国から,この好業績の会社,少人数の会社の朝礼を見ようと10人から30人近い見学者が来ていた。本社を移してからは,「出社の道すがら」とも行かなくなって,参加していない。しかし,週1の朝礼が1000回というのは20年近くであり,その2000回目に参加できたことももはや3年前である。

 「続けたら本物になる」は,言い得て妙だ。「本物」になりきれないものは続かない,ということになる。10年続ければ周りの目は変わる。しかし,10年ぐらいはどこにでもある。20年続くと,多少は認知される。でも,知人の子どもが覚えてくれている程度だ。その子は,知人が目指して入学できなかった国立大学にいると言う。多分60年ぐらい続けば,本物という人が多くなるかもしれない。森重久彌も60年を超えているから,昔のセクハラまがいの「非行」が「想い出」と語られる。悠木千帆(現,樹木希林のほう)を「抱き」ながら,転げ回った場面も,そうだったのだろう。そう,森重久彌は,ぼくにとって「祖父=七人(しちにん)の孫」に近い存在だった。もっとも,実際は,ぼくの祖父は,3歳で父方が逝き,13歳で母方が逝った。どちらも,大往生だったと思う。70歳,80歳を超えていた。

 アークアカデミー大阪校の長期ビジョンとして,抽象的には「続ける」だが,ビジョンが抽象的ではすわりが悪い。松下幸之助に習うと250年計画を建てるところだが,せめて100年先,そこから見える20年先のビジョンを語ろう。

 学校と寮(不動産関係事業者との協力と自前の寮)が,320人規模で安定的に提供できる体制。進学と就職の両面で学生に対しての学校の「出口」を示せる体制。講師の7割以上を占める女性の職場として,出産とその後に復帰できる体制。就職と研修に貢献できる体制。卒業生ネットワークを通じて入学,入寮,卒業,就職を共有する体制。そのアーク’ズを支え合う体制,そして,それが,社会に貢献していると自覚できる体制を目指す。

 拠点校への入学促進のための新しい紹介経路探索,卒業生の進学支援の推薦枠の拡大,就職支援のための企業とのマッチング,それを支えるスタッフの育成,支援から始まるように思う。

 やることはたくさんある。楽しい。

2009年11月10日 (火)

ブログ行方不明,ルーターこけた,読書のすすめ,日朝会談

 ブログ記事が行方不明になることの原因は,ほぼ掴めた。「原稿を準備した」その後で,ブログにアクセスして,ブログを保存するということをしていない。GoogleChromeというブラウザが,ぼくのブログの部隊。パスワードも覚えてくれるし,マシンが変わっても使える。半面,niftyはGmailと違って,「自動保存」をしてくれない。「かまわない」と「切断」されたりする,らしい。また,ブラウザを閉じてしまうと,どこにも「原稿」はない。こんなことを何度か繰り返したようだ。途上国に派遣された日本語教師が「まめにセーブを」とメールをくれたのは,もう15年以上前だが,それと同じことが時と所を変え,起こっている。まあ,人間のやることが10年ぐらいで変わるわけではない。

 「読書のすすめ」というのは,書店の屋号である。アークの鈴木代表のブログで紹介された。TBSラジオの久米宏も懐かしく,本屋の親父のポリシーもそれなりに同感できる。親父のお薦めの「びんぼう神様さま」「かもの法則」。早速ぼくも買った。おそらくその放送を聞いた注文が多かったのだろう。それより後に注文したものが先に着いた。「土曜日に着く」というメールをアマゾンからもらったが,水曜日に「梅田校のルータ」がこけた。
 そのときは,とにかくインターネットができないという話で,担当者が,シフト変更して木曜日梅田に出社した。梅田のルータが上手くいかないということが木曜日判明した。「XPのドライバ(ソフトウェア)がありませんよ」.なるほど,もうそろそろ10年になるルータにはフォロー,アフターケアがないようだ。金曜日に,難波に余っているルータを持っていくことにした。しかし,そのルータの調子がいまいちだ。「動かない」という周りの「悪口雑言」に,「ネットがなければ仕事ができないよ」とは言わないものの,ほぼ同様のクレームを受けて,しかたなく,土曜日にヨドバシでルータを買って入れ替えた。
 3000円弱のIO-DETA社製のルータは快調に動いた。しかし,このYahoo,ADSLがどれぐらいの速度かというと下りでせいぜい0.4Mなのである。「動いていない」というクレームはある意味事実だった。土・日はこうして,梅田校のネット事情の解消で終わった。

 日曜のブロクは,そうしたことと,鈴木代表の「びんぼう神様さま」についての話だったはずだ。

 あぁ~あ。なぜか北朝鮮人民と同調できた月曜日が思い出せない。イムジン河でもないのだが。

森重久彌が逝去

 まあ,そういうわけで,今日何を書こうか一瞬忘れている。

2009年11月 8日 (日)

ブログはどこへ。

 小泉元首相と金正日氏(ちょっと肩書きは適切か?)の会談が公開されたブログを書いたつもりだが,消えている。調査中。

2009年11月 7日 (土)

暗黙知の「恥」もしくは「痴」

 昨日のブログで,岡野先生からコメントをいただいた。「暗黙知」なのか「ただの沈黙か」が不鮮明だとの御指摘である。ごもっとも。このコメントの返答は,コメントにコメントすべきだろうが,少し補足しておきたいので,本編翌日に書かせていただく。
 どちらかというと,最近の講義で「多弁」だと自分で感じている。初期は,自分が気がついたことをそのまま話しているという,いわば半玄人視点だった。現在は,30を超える言語圏の学習者の事例,語例を見てきた経験がある。そうした観点から,無意識に「使える」日本語の特徴,困難点,場合によっては習得容易箇所を教師希望の受講生に伝えている。
 昨日も「音声記号を使って教えるわけではないので」と断り,質問の前にも「音声記号を覚える必要はない」と言うことを2度ほど話している。その上で,「音声記号が分からない」という御質問だったので,「言語化しているのに理解されない」=言語化できない=暗黙知という,少々短絡な理論で書いてしまった。一方,まだ「音声記号」は本格的にはやっていない昨日の段階で,「サンバ,サンタ,山河」のそれぞれに含まれる「ン」の音が違うという例を出したとき,「それは音声記号ではどう書くのですか」という質問も別の方からいただいている。
 ぼくの体験からは,音声記号が「日本語を教える」ために必要だとは思わない。しかし,音声記号を覚えたし,「無声両唇摩擦音」などの言語音の名称も記憶しようとした(もちろん今も記憶されている)。つまり,日本語教師を目指すときに「現場で本当に必要な知識」の下には,普遍的であったり,抽象的であったり,ドリルのような繰り返しで身につけなければならない「もの」がある,と感じているのだ。
 例えば,学習者の言語音が日本語の中で正しく用いられているかどうか,判断し,矯正するというケースを考えてみよう。頭の中で「それは無声両唇摩擦音じゃない,無声唇歯摩擦音だ,だから,もう少し前で発音させなければいけない」と文字化しているわけではないが,後からどうしてそのような指導をしたのかと問われれば,前述のようなことを言うのであろう。もしくは,音声記号「ファイ」の「フ」ではなく「エフ」の「フ」の発音なので,「日本語らしくなかった」,と説明するのかもしれない。
 ぼくは,無知だから「日本語教師はこのようなことを勉強しなければならない」と言われたものをそのまま受け入れた。「恥知らず」でもあったから,日本語教育学会(その当時は2名の推薦が必要だったので先輩教員,講師に無理矢理お願いした。今は推薦はいらない)の大会があると出かけていって,シンポジウムやパネルディスカッションでは質問用紙も書いて,投函した。おそらく,ここに書けない,意識にのぼりもしない「いろいろなこと」をやった。その中で,「非母語話者の学習上の困難点,誤解」には,特に「意識」していたように思う。それが「何のために」という質問に対する,ぼくの戸惑いだ。

2009年10月31日 (土)

『よいこの君主論』

サビルナ会読会は,前回で今年は最終回になるかもしれないらしい。12月にディベート・カフェを予定しているそうだが,優勝候補のKさんが仕事柄お忙しいようだ。そのため,11月にディベート・カフェとなると,12月は忘年会もあるから,会読会とダブル開催はそもそも難しいのかもしれない。
昨日の新幹線の中で,『よいこの君主論』(架神 恭介 (著), 辰巳 一世 (著) ,ちくま文庫)を読んだ。マキャベリを読んだことはなかったので,これは,とてもよい入門書になった。「目立小学校5年3組」を「ひろし君」が制覇するまでの1年間,群雄割拠の季節から制覇のバレンタイン・デー当日まで,小君主たちが合従連衡する様を描いたものだ。バレンダイン・デー当日といっても,ひろしくんがクラスのすべての女子からチョコレートをもらうという話ではない。この日に,最後の抵抗者をその右腕ともいうべき者と自分の配下に従えるというものだ。
随所に,ビジネス論で展開されるマキャベリズムへの参考となるような金言的エピソードがある。5年3組の担任の産休に伴う臨時教員による環境の変化がある。覇権を握るべく常日頃から行動をしていたひろしたちグループは,環境の変化に左右されない生活習慣を身につけていた。また情報収集の結果が,「援軍を断る」際の重要な「言い訳」として生きてくる。
多くない挿絵が漫画なので,1度読んだあと名古屋を過ぎてからまた最初から読み直した。すると最初から,人物紹介のところで,全体のストーリーが俯瞰できるようになっている。また,各エピソードは「ふくろう先生」による解説があり,「傭兵と援軍」ではどちらが「悪いか」。傭兵はサボるという意味で「仕事をしない」だけだが,援軍はまとまって「裏切る」。いわば,獅子身中の虫となる。
覇権を得るまでは,偽計,奸計,同盟,日和見など様々な策略がもたらされる。部下の意見を聞く時の態度,恨みを買わず,恐れさせる必然性,とその方法。と,まあ,小学5年生のクラスにも群雄割拠時のイタリアの様相を読み取るわけである。
統一したあとは「名君主」として6年3組を治め,卒業式では大団円の別れになる。ここらあたりが,変にお涙ちょうだいで救われない。しかし「どんな本からも得られるものがある」,は至言であった。

2009年10月30日 (金)

『職場の教養』

 倫理法人会へ入会してから,しばらく経つ。標題の書が毎月届く。置いてあると,誰かしら読んでいる。「13の徳目」に比べると定着率が高い。1日1ページ読む。最初はルビつきが嫌だったが,最近は慣れた。ただ,モーニング・セミナーには,会員になってから,一度も参加してない。

2009年10月28日 (水)

トンデモ本

『あと5年で中国が世界を制覇する』副島隆彦ISBN978-4-8284-1528-4
第1章 驚異の復活を遂げた中国経済の原動力
第2章 アメリカの衰退、日本の沈下
第3章 アメリカから中国へ、世界覇権委譲のシナリオ
第4章 中央アジアの時代が始まった
第5章 5年後、そして10年後の世界秩序
第6章 新・世界帝国の時代
副島隆彦:外資系銀行員、代ゼミ講師、常葉学園大学教授などを歴任。日本初の民間国家戦略組織,副島国家戦略研究所を設立。所長を務める。

--------------------  引用開始

すでに日本は中国に追い抜かれた。
中国が、GDP(国内総生産)で、日本を今年中には追い抜くであろうことが、はっきりしてきた。

--------------------  引用終了

副島には勝谷雅彦,小林よしのりらと『日本を貶めた10人の売国政治家』という幻冬舎からの新書がある。怪しげな経歴(自分のことは放っておいて)と反米・親中的な言説は,「トンデモ」本の扱いであるが,元銀行員だけあってデータは日経など客観的なものを出している。

--------------------  引用開始

アメリカは中国の動向に怯えている。
アメリカは,必死で中国に頼み込んで,記事にあるとおり「中国が米国債の購入を続ける」ことに期待をにじませ」ている。

--------------------  引用終了

米国債の主要な買い手は中国と日本である。米ドルを中心とする外貨準備高派手中国は日本を上回っており、中国の米国際売りに伴うドル安懸念は当分続く。日本の財務省当局は、経済産業省の「輸出政策」に惑わされて、保有米国債を更に買いますようだが、中国より先に売らなければ膨大な売却損を抱えることになりかねない。財政赤字の日本が更に米国債を買うのは確かに不思議だ。

--------------------  引用開始

私、副島隆彦は決して中国礼賛一辺倒の言論をやってきた人間ではない。
あと3年したら、おそらくこの中央アジア色のある都市に、世界決済銀行が作られるであろう。
中国全部でヨーロッパとほぼ同じだと考えるべきだろう。

--------------------  引用終了

副島は本書の取材のためにカザフスタンを訪問している。カザフスタン,ウズベキスタンはUBの木村勝夫会長も注目する発展地域。政情が安定し,鉱物資源も豊富でロシアと中国のバランスに建てるカザフスタンを世銀の候補と考えているようだ。

--------------------  引用開始

世界覇権は120年周期で移動する。
1880年くらいに、たった20年間で石油の力で巨万の富を築いたロックフェラー財閥(中略)、今やアメリカのロックフェラー石油帝国が終わりつつある。

--------------------  引用終了

中国国内には、胡錦濤、温家宝らのアメリカ支援消極派(北京派)と王岐山(副首相、太子党)という対立があると述べている。アメリカのロックフェラー石油帝国と太子党が結びつくことで、アメリカの延命を助けているというのだ。北京派,太子党という二つの対立軸は、次世代の中国の政治家、習近平(太子党)と李克強(北京派)に引き継がれている。

--------------------  引用開始

東アジア地域の混乱と中国の首都移転の可能性
自分たちの安全のために北朝鮮の核ミサイルの射程距離1000キロのその外側に出なければ安心できないという事情がある。

--------------------  引用終了

北朝鮮は、本当はアメリカ本土にミサイルを撃ちたいのだが、それほどの技術力はまだない。また、アメリカは「北朝鮮問題」を放り出し、形だけの6カ国協議開催の姿勢を示している。北朝鮮の今の技術力で核爆弾が落とせるのは、東京か北京。中国はそのことを知っているので、西安あたりに線としたいと考えている。また、北京は、漢人の都ではなく北方の女真族(もしくは蒙古)がたてた都である。そうした理由からも西安(長安)への遷都が真剣に検討されているという。

--------------------  引用開始

中国は資源を求め世界各国へ触手を伸ばしている。
アフリカ諸国にはなんと、中国の若い習字(受刑者)たちまで連れて行って、建設現場で寝泊まりさせながら働かせているそうだ。

--------------------  引用終了

中国は今、ユーラシア大陸からアフリカまで「人手」という経済支援をして、その国のインフラ整備に囚人を使っているという。アフリカと中近東でイスラエルを挟撃する戦略に出ているという。イスラエル、すなわちアメリカを追い落とすのが狙いだ。BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)は、アメリカが経済的に疲弊し,軍事ラインも下げざるを得ない要になるまでは相互に刺激することはしないと見ているらしい。
それなら、今民主党政権が、米軍基地の沖縄県外移設(嘉手納統合などと岡田は言っているが)問題など、放って置けばよい。アメリカにとって、日本は「守るべき対象ではない」か、または「よほど日本が金を出さないとアメリカは軍隊を出さない」状況が早晩起こるというのである。副島は、「中国は次の帝国になる」「アメリカとも中国ともけんか(戦争)しては損だ」と繰り返し述べる。戦争が無駄なものであることは明らかだが、「分かっちゃいるけど」やめられないから軍備が増強されているのではないだろうか。

--------------------  引用開始

日中の密かな結びつき
右翼(保守)言論人たちも、この731部隊補償の形を借りた中国へのODA援助のことは大きく騒がない。騒ぐと731部隊問題の闇を自分たちが本気で調べなければならないことになる。

--------------------  引用終了

副島の文は,一つの話題から始まっていつの間にか別の話題で終わると言うことが多い。「日中の結びつき」と言って始まった節が、「外側から見たら安全部か公安部か分からないことになっている。アメリカのCIAが、国務省の一部であることに似ているのだろう。」などと終わる。この終わりのどこが「日中の結びつき」なのだ。こうした構成力の低い文章を綴るから「トンデモ」本の仲間入りをせざるを得ないのかもしれない。

--------------------  引用開始

普通語によって中国帝国はすでに統一されている

--------------------  引用終了

この見出しもまた、副島の議論が粗雑であるように見える「普通語(プードンホア)」とルビを振っているのだが、「プートンホア」であれば「普通話」でなければならない。英語やら中国語やらカタカナのルビが多い。レオ・バイスゲルバーを引用して「民族というのは、同じ言語をしゃべる人間の共同体である」と説くのだが、「民族」には「フォルクス」というドイツ語のルビがつき、倍スゲルバーには「ベルリン大学フンボルト学派に属する」と注がつく。中途半端な知識のひけらかしで、ますます本書の杜撰さに輪をかける。

--------------------  引用開始

ODAという日本の安全保障戦略
日本企業にとっては資本主義経済の根本的な宿痾(病気)であり弊害であるところの過剰生産(surplus)と余剰国内在庫を解消した。

--------------------  引用終了

ODAという対外経済援助を通じてバブルの時代に,”経済協力畑”と四羽折れる通産官僚を在外公館(主に大使館)へ送り込み、隠れた世界戦略を「隠れて」実行していたという。副島の場合は、ODAさえも、そうした戦略に見えるのかもしれない。なるほど、立派な戦略になり得るが、果たして、一部の官僚のみの思惑が、そこまでの国家戦略として実施できたのか、副島のあげる「青木盛久、鈴木宗男」は「復権」していると言えるのか.彼らが復権していなければ、国家的戦略としての継続性は認められないように思う。

--------------------  引用開始

リーマン・ショックの引き金はロシアが引いた

--------------------  引用終了

本書が,後4ページで終わろうとするときの見出しである。唐突すぎて論評もできない。ロシアには北京オリンピックの開会式の日にイスラエルとアメリカの意図に惹かれてグルジアが南オセアチアに侵攻した。するとロシア軍一気になんかしてきて、その後、米国債、リーマン・ブラザーズ債、米住宅公社債を売り払ったというのである。これが事実として、どうして日本でちゃんとした報道がなされたように思えないのか。もしそうであるならば、私はメディア・リテラシーをもっと鍛えなければならない。
さらに、「マネーゲームの時代が終わり、物々交換が始まる」に至っては、トンデモ本とどういうつきあいをすればいいのかを考えざるを得ない。

トンデモ本も年に1冊ぐらいなら,頭の洗濯になる???

2009年10月27日 (火)

意思疎通はやはり難しい

 日本語学校という仕事は,日本語を使ってコミュニケーションできるように「非日本語人」(ぼくは比較的好きな表現だが,周囲は余り気に入っていないようだ。つまり,ぼくは少数派)に日本語の体系,その背景を伝え習得してもらう「作業」だ。と思う。
 しかし,「日本語」を共有している、と思うほうがコミュニケーションできているかというとそうでもない。甚だしい場合は、全く逆,Yes が No になる。「しないで」が「して」になる。これを「脳内変換」しているのが,日常のコミュニケーションの一部である。全部であれば、自動「変換」できるのだが,一部であるからKY(空気を読む必要がある)だ。第一,KYが「空気読めない輩」というのも,キショいが「気色悪い」も,解釈としてマイナスばかりで良いのだろうか。これを「有標性」というのなら、典型例(プロトタイプ)理論に問題はないのか?
 このように、適当な省略をするぼくも「わかりにくい」「意思疎通し難い」「輩」なのだろう。結局,「意思疎通」とか「コミュニケーションが取れる」というのは「だいたい」とか「ほとんど」でなければならないのだろう。「例外のない規則はない」ということだ。「例外」的「余地」がないと、意思疎通は成り立たない。

2009年10月26日 (月)

サイトの移行

色々あって,サイトを換えることにした。サーバも変える。
そういう案内をしたら,関係者からのメールで「面倒でした××関連内容を、HPより削除の準備に入ります。」とあった。何が「面倒」だったのか,なのか,分からない。コミュニケーションは「とても」難しい。

まあ,それは「予想されたこと」(少し前なら「想定外」か)だったが,あえて公開(メール全員返信)というのもどうなんだろう。僕みたいに,名前丸出し,恥さらし,というわけには,普通はいかないか。

検定試験の質問が,資料請求に付随して来る。別に構わないが,「資料請求」プラスでなくとも質問には答える。普通に。

同じ内容が2chに載っている。

どうすればいいのか。

余り,他人を信用しなくなっているのだろうか。僕みたいに晒しているのは「危ない」のか。いや,岡野先生も同じだ。ブログを書くということは,それだけで意見を吐く人間。「晒す(というほどでもないが)」ことができないほうが「おかしい」。

2009年10月22日 (木)

少し時間が経てば,分かること

 平成21年度・日本語教育能力試験の解答解説をUPした。
 昨年は,暫定版の誤りが結構あり,直接電話でお叱りも受けた。今年は,解説を同輩が書いたこともあり,第1版から,まあまあの出来映えのようだ。解説者から「今年は『簡単』過ぎたのでは」というメールが来ているが,確かに素直な問題が多い。これは,日本語教師がかなり不足している現状に合わせたのだと理解したい。試験直後は「合格ラインが上がるのでは」と危惧したが,ここ2~3日は「合格率が上がるのでは」と楽観している。アークの代表,鈴木氏は「30%」という予測もあげたが,ぼくは当初22~23%かなと思っていた。しかし,色々聞くと3カ月程度の準備でも現役大学生は80%位解けたらしい。本当にいきなり「39%」かもしれない。12月末には分かること。
 解説を読んだり,足したりしていたら,問題の近辺が見えてきた。全部と言ってもいいかもしれないが,ネットでキーワード二つぐらいでヒットする。つまり,「キーワードこそ命」ということだ。出題範囲のキーワード(発表されているもの以外)をいかに考えつくかが来年の検定演習科の「命」だと痛感した。やはり,試験対策講座は「当ててなんぼ」の世界である。しかし,元東京入管局長の坂中氏がブログをしているとは気づかなかった。

2009年10月21日 (水)

古川橋

 大阪府警察本部に属する門真運転免許試験場へ赴いた。
 などというと「格好いい」が,免許証の紛失に伴う再発行で,社員さん達の勤務時間中に古川橋に行ったということだ。「紛失」は12日。サイドバックごとの置き引きという情けない話。クレジット・カードの再発行,健康保険証の再発行,免許証の再発行,とこの1週間,しなくてもいいことをしているわけだ。
 できるだけその時間を減らしたいので,朝一番に行った。が,結局,その時間帯に来た20余名はすべて10時の写真撮影の後の交付。新しい免許は,ICチップ埋め込みの免許で,昨年の6月かららしい。本籍欄は「個人情報」ということで空欄である。どんどん情報がIT化される。試験場内の確認用の機械でICチップに仕舞われた情報を見る。なるほど,顔写真もICの中にあるのか。表の写真を上手く貼り換えても,ICカードリーダー(多分,白バイの警官も持っているのだろう)にかざせば,すぐわかる。よくなったのか?もうじき施行される,外国人用の在留カードもこんな感じなのだろうか。いずれにしても,再発行料の3,650円の中に含まれているのだろう。これは,高くなったのだろうか?

2009年10月20日 (火)

任を辞すと言うが

 郵政民営化の西川社長が「辞職」するという。「現在の職に止まることはできない」というのも一つの判断だが,止まって見届ける,という選択肢もあったはずだ。西川氏が,小泉元首相の手玉に乗ってしまったのは,ごく普通の人間で仕方ないだろう。しかし,今年初めの鳩山総務大臣からの「かんぽの宿問題」から,辞める時期が遅すぎた気もする。民主党政経権化の,この段階では,早すぎるとも言える。もっと,徹底的に「非民営化」で整理する必要はないのか。民主党も。

 郵便局が果たしてきた役割を無視した「改革」はどうだったのだろう。変な話だが,この,小泉流は,自民党を野党化した。郵政改革を本当に「資金」の流れが変わるのであれば,経済的にはいいのだが。

 竹中「元」財務相の言い分(今の政権に対する批判)は,不況期の政策としては「正しくない」と思う。郵政民営化の総論「賛成」という議論の作り方は間違いではないか。各論がすべて賛成で総論も賛成になれる方法をもっと考えるべきだろう。今回の「民主逆転」は,もう少し考えながら進めるべきではないだろうか。

 ぼくらのような中小零細企業で,役員が「辞める」というのは,それで済まないことを含んでいること,経済的に返せるものなら,その役員は返すべきだろう。ただ「辞める」,しかも「辞めさせられた」から,というのも納得がいかない。

 JALの資金逼迫も,中小零細企業から見るとやりきれない。なぜ,「逼迫」するのか。なぜ,中古のボーイングが飛ぶのか。

2009年10月19日 (月)

職場は最後の学校

少し,大きな「人事異動」がある。
まあ,単純に言えば「退職」である。しかし,こちら(組織に残る側)とあちら(組織を去る側)という両者の視点は多少異なる。「貢献したのに報いが少ない」とまとめられるほど単純ではないのかもしれない。情報は,共有,公開よりは,非公式にある種の「権威」を持って流れる。そして,「人事異動」が表になると,そうした「情報」は,晴れて表舞台に出る。いや,表舞台ではなく,せいぜい机の上かもしれない。人々の記憶の中から「そういえば」とか「実は」という枕詞とともに語られる程度なのかもしれない。
そう言ってはいるが,ぼくも今回の「人事異動」につながるかもしれない「ひとこと」を想起する。その一つ前の「大きな『人事異動』」の際に今回の当事者が言っていた「ひとこと」である。同族会社において,「非」同族が持つであろう,ある種の諦観である。ぼくとても,ないのではない。しかし,「それを言っちゃぁ,お終いよ」と。所与の条件の中で,最善を尽くすのが「人」ではないのか。「愚痴」は「こぼす」もの,「文句」は「たれる」もの。「こぼす」「たれる」は赤子か,養介護老人の仕草だ。それを支えうる「健常者」には似合わない。
ぼくは,少なくとも他人からどう見られているかは分からないが,「人生」とは「ひとさま」の「お役に立てて,なんぼの人生」なのだろうと思っている。「残念」ながら,ぼくらの人生は年金で「楽な」暮らしができる世代ではないようだ。それに対して「愚痴をこぼす」ことでは解決にはならない。まあ,回りから「老害」と思われる頃まで,仕事をするか。しかも,仕事と称しての世界旅行をしているかもしれない。
ぼくのほうが「人事異動」の対象かもしれない?

2009年10月18日 (日)

今日は本当はこれが一番最初の「記事」なのかも

加藤和彦が自殺した。

岡野先生に言われたことがある。「みやたがやす」は,自殺する人間かもしれない,と。多分,ぼくは,もう「自殺する人間」ではないと思う。「多分」。

加藤和彦より,北山修に近いところにいる(何の根拠もないが)つもり。

はしだのりひこ。加藤は,はしだのビジュアルが(その当時は単純に身長だったと。.本当かな)受け入れられないと,フォーク・クルセダーズへの参加に難色を示したと聞く。

北山の「精神科医」としてのジレンマは大きいことだろう。

2個先輩の,中島らもは「自殺」とは伝えられていない。刑法でいう「未必の故意」の対象「自分」バージョンなのかな,とも当時は思った。薬物も含めて,「生きる」ことには執着(普通,この言葉を使えば副詞は敢えて要らないと思うのだが)がなかったように思う。だから,そういう「誤解」をしているのかもしれない。酒で大分体も壊して,休んでいたのに,また,「合法薬物」を求めていたようだったので。

2009年10月12日 (月)

?進法

 上原敬之典(株式投資本を昭和60年頃よく書いていた)が,「9は不思議な数だ」などと変なことを書いていたことがある。九九の9の段は「18,27,36,45,54,63,72,81」となるが,1の位と10の位を足すと「9」になるのが不思議だというのだ。これは,10進数の場合にこうなるという当たり前の話を上原は理解していなかった。
 仮に7進数で考えてみよう。ちなみに7進数だから7から9までの数字はない。それぞれ,10,11,12となる。10進数の10は13である。ここでは,6が「不思議な数」になる。6の段の六六は,「六一が6,六二15,六三24,六四33,六五42,六六51」になる。以下,十進数で確認すると,12は七進数の10(7)プラス5なので「15」になる。一の位と十の位を足すと6である。
 反対に,電子計算機で扱う16進数ならば15=F(10=A,11=B,12=C,13=D,14=E)が「不思議」な数である。
 一般に?進数において?-1が不思議な数で,(?-1)×2は2?-2だから,?の位は「1」,1の位は「?-2」すなわち,1の位と?の位を足すと,1+?-2。つまり?-1になる。(?-1)×5は,5?-5であり,10の位は「4」で,1の位は「?-5」で,結局1の位と?の位を足すと4+?-5=?-1である。この理屈は何進法でも同じである。

2009年10月10日 (土)

「ヤプー」単なる読み物

どんな書籍(ヤプーであれ「萬月」であれ)をレジに持っていっても,職員の方の顔色画家wる訳でもなく,こちらの「邪推」だったわけです。あ~あ。

家畜人ヤプー

質問が来る前に。
家畜人ヤプー → 買うのは確信。だから「悔いはない:
花村萬月   → 買うのは衝動。だから頭は隠す。

仲間と一緒に経営を考える

日本語教育学会秋季大会に参加するため,19時13分「博多駅」に着く。1日目のプログラムは、懇親会も含めほぼ終了状態なので,博多の知人と飲むことにして,数日前から連絡を取っていた。「新山口駅」を過ぎて連絡を取ったが,「宿は取っておられんですか?」「いいえ」「それはいけません。筑紫口を出て左側にいくつかあるので,まず,ホテルを取ってください」。ということで,サンライフホテル1に入った。7,500円である。

ホテルに着くと電話がまた鳴り,「今,博多駅へ着いてます」「あ,私(ぼく)も出ます」「では筑紫口で」。

5月の日創研全国経営大会以来だが,オートレースの選手のような出で立ちで迎えてくれた。「宮さ~ん」。生の声と電話の呼び出し音がほぼ同時だった。「すごい格好でっしょ。普段は,背広と作業服でっしょ。なもんで,たまにこんな格好をすると来た人が驚きなさるんっす」と地元では、あまり訛りを直さない。いい感じだ。すぐに携帯で「あ,別府さん。ん,今,大阪で一緒に勉強した宮さんという人と別府さんの店に行こうと思んだけど。博多の周りでは,どこが良いかな。あ,あ,そうか,分かりました」。
「今,コーチングのサポーターしているんですけど。受講生のリーダーの人の店なんです。研修来る前はヘッドシップでねぇ。飲食も不景気に巻き込まれて、研修を来るようになってから。ずいぶん変わったですよ」

ぼくは,自分が食べたこともない「たまらん」(新大阪駅で売っているチーズケーキ)
http://www.nau-now.com/cake/franchise/p2.htmlを渡した。
「これ,日高さん(福岡の知人,九配工業あらためキューハイテック代表者http://www.kyuhai-tech.co.jp/),奥さんにお土産。ちゃんと大阪の人と飲んでるって信用してもらえるよ」「いやぁ。日創研の研修行くようになってから,もう信用は抜群ですよ。『どこさ行くと?』とも『本当ね?』とも言われんようになってます」
店(うの庵 http://r.gnavi.co.jp/f026009/ )に着くまで,ちょっとしたジャブ。

食事が始まってから,最近の業績の話,自分たちの目指したい企業経営。本当にずっと経営の話ばかりだった。「経営問答塾」にまた参加したい,というぼくの話から「部分最適<全体最適」の考えをどうやって,全社で共有できるか,という共通した悩み,「私んところは,もう徹底的に京極さん(ぼくの研修の同期生,名古屋の水谷工業http://www.mizukou.co.jp/の社長)を真似します。ホテルマン並みのおもてなしのできる職人集団を目指します」と言う。頼もしい。

ぼくは,ぼくの社員さん(所有の「の」ではない)と何を目指せばいいのかもう一度考えるべきだ。今,持っている答えを日高さんに言った。「今いる社員さんやぼくが『やめる』とか『死ぬ』とかしたときの最後の一人を作りたくない。つまり,永続企業,もしくは250年計画」。これを松下さん(Panasonic創業者松下幸之助)が建てたのが,ちょっとわかったような気がする」。

できれば丸山浩路さんも

丸山さんの「講演」は生で5回拝見した。
パフォーマンスなので「講演」が正しいとは思わない。ビデオを購入して,「さりげなく」おいている。が,教務の人達には「教材」とはまだ見ていだけていない。
少々古い言い回しがある。「参上」とか。しかし,末子(「まっし」とも読みますが,「ばっし」らしくATOKの変換はこれが一番早かった)には,使用語彙でもある。7歳の子の使用語彙が理解語彙でないと大学で,大学院で,職場で...

2009年10月 8日 (木)

萬月&橋本治,その次

Accessで書籍販売を作り始めて,OpenOfficeBaseに移植しようとしたら、全く読まなかった。互換性はゼロ。ネットで検索したら,ぼくらぐらいのデータ数では関係ないらしいのだが,Baseは遅いらしい。MySqlとかで,データを構築しBase はフロントエンドに使えとある。そのサンプルデータを使って,一番早いVistaマシンで試したが、全然早い。どっちをとるべきなのだろうか。フロントエンドなら、一から組むか。アクセスを全部のマシンにインストールするのは,「金持ちになれても」嫌だ。

閑話休題。

その次は、新城カズマ『物語工学論』だ。まだ1ページも開けていない。期待はずれが怖い。

2009年10月 7日 (水)

花村萬月,続き

花村萬月が,小説で飯が食えているのは,正直「うらやましい」。読むと,ここまでできないし,小説家にはなれないし,とか納得はするんだけど。立ち読みだが,ほかの作品も読んでいるので『なかで,ごめんね』は,女子高生一人称で,面白いようなずるいような。小説は,一人称はずるい,とぼくは思う。
マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の日本語訳ですら全部読んだことはないが,まあ,死ぬまでに原書講読するかな,と取りかかりもしないくせに考えている。というのも,フランス語の「アヒルの寒さ」という慣用句が使われたのが同書らしいということに14年ほど前に出会ってから、いつかは「読むぞ」とは思うもの。

萬月は萬月だった。ブック・オフでは幾らだろう。

2009年10月 6日 (火)

花村萬月を買った

花村萬月の『なかで、ごめんね』を買ってしまった。
難波の旭屋で新刊の平台に乗っているのを立ち読みしてしまった。そのときは,買わなかったのだけど,次に別の書籍を買うついでに買ってしまった。
花村の著作を買うのは初めてだ。読了。これはBoolOffで幾らになるのか考えた。目と脳の「男性的欲望」で書籍購入するのはよくない。せめて『家畜人ヤプー』ぐらいにするべきだ。一緒に買った、橋本治はなかなかいい。

パスワード

このブログサイトに到達するために必要なパスワードは,最初にアルファベット7文字その後数字いくつかそしてさらにアルファベット3文字さらに数字+記号。
同じパスワードを別のコンピュータのログインパスワードに使っていて,外から社員さんに操作してもらうために電話で入れてもらったことがある。「覚えられませんよ」。
どうして覚えられていられるかというと,家族の誕生日の組み合わせだからだ。数字をアルファベットに変えただけなので覚えられる。
しかし,自分でも1回では入れないことが多々ある。僕のタイプの精度がわかる。

2009年10月 3日 (土)

プチ引っ越し

梅田の教室を同じ階のエレベーターに近い部屋に引っ越しした。わずか20メートル程度の引っ越しだが、大変に評判が良い。一つは,前の部屋は廊下の突き当たりで窓が少なく感じられる。実際,窓の面積は倍近くになっている。廊下は,室内より天井が低いので,その下を歩く圧迫感もある。元々あった間仕切りを利用したため,ドアの位置も間取りに影響を与えている。新しい部屋は、内開きの教室ドアに揃えた。
入り口のドアはガラスで中が見える。僕が居るときには受付のドアは前から開け放しているのだが,どうもそうではなかったらしい。「入り口まで行って,考え直した人がいたんじゃないか」というのが,社員さん達の中から出ていた。見栄えは重要だ。
困ったこともある。インターネットが使えない。引っ越し前に言っていなかったからだという。同じビル,同じ階,同じ電話番号でもYahooBBは切れてしまうのだそうだ。なんと2~3週間以上かかると言われた。仕方がないので,僕のe-mobileで一台だけはつないだ。僕のノートは近くのアクセス・ポイント(パスワードなし)でつながる。セキュリティの心配がある(らしい)ので,Gmailのセキュリティ付き(https)だけ使っている。まぁまぁ使える。
木曜日は検定演習科があって,受講生は「広なりましたなぁ」と言ったが,教室は実は狭くなっている。それでも広く感じるのは,窓の外がビルの壁ではなく,町の景観だからかもしれない。
教室のドアは,アクリルの2枚貼りで,遮音性はかなり高く,また薄ぼんやりと影は見える。宇治で小学生が塾講師に刺殺されてから,教室には鍵をつけていない。
次に,引っ越し,改装,新築するのはどこだろう。池袋?

2009年9月27日 (日)

告別式

木曜日に、社員さんのお母様が他界した。金曜日に連絡を受けて,関係各所に連絡を取った。土曜日が通夜で日曜日が告別式。日曜なら何とか出席できる。
日曜日に東京からの参加者を新大阪駅で待ち受け,そのまま,式場の和歌山県有田市箕島へ。新大阪から1時間50分の予定だったが,松原線から西名阪に入ってしまい藤井寺でUターン。入り直したが時間ロス。有田ICを出てからの路が分からない。NAVIに入れても住所が出ない。前日GoogleMapで見たが,有田川とJRのあいだの狭い地域にある葬儀所。ここらで、と思い、会場に電話したが,なぜか、同系列の別会場につながる(転送とか)ことで,5分遅れで同乗者を送り込めた。駐車場は、なんと向かいのスーパーの屋上。12分遅れに。いきなり「焼香」。親族以外がさきにするのが、「この地方のしきたり」らしい。一瞬,満場環視に戸惑うが,多分気にしているのは,ぼくだけだろう。連れ合いと並んで焼香。ご遺族に一礼して,「退場」のような式次第で再び会場に戻る。それから故人を送り出すまで、14時半ぐらいに帰阪の途についた。
式場の係が「最後のお言葉『ありがとう』をお送りください。」
今までよく分からなかった。故人は知人ではない。私たち,ぼくの知り合いの親族だから,その「送り」の儀式には、盛大の人数を本来は送りたい。しかし「仕事を止める余裕」は中小企業にはない。出席できる人間がいるだけだ。僕は代表をさせていただいているので,都合がつく限り出席いただく方針だ。しかし「亡くなった人」に感謝するのは「失礼」だと思っていた。御本人を知らないから。今日も,そんな意識で式を見守っていた。しかし,突然,この方がいなかったら,今,我が社で大活躍をしてくださる社員さんは「存在」すらしないのだ。もちろん「理解」はしていたが,今日ほど「感じ」て腑に落ちたことはなかった。改めて「感謝」を感じた。
改めて,御冥福をお祈り申し上げます。

2009年9月24日 (木)

全体最適>部分最適

職場の身の回りのことをよくするのは大切だが,全体にマイナスであってはならない。これは,空間的なことから時間的なことへと広がっていく。今月が良くても1年が良くなければならない。1年が良くても5年が良くなければならない。5年が良くても10年がさらに良くなければならない。

八ッ場ダムは,まさにその典型だ。

小さな部分を含む部分を含む時間の流れ。日本がCo2を削減しても,中国とインドが増やせば何をやっているか分からない。

身の回りに,全体最適解を考える機会が増えてきたようだ。

2009年9月23日 (水)

二日遅れ

途中までは出てくるのだが,メイン・フォームとサブフォームを同時に出すとうまくいかない。2日前にできているはずなのに。
一からやり直すしかないのだろうか。
子どもと二日一緒にいたら,メールが溜まっていた。申し訳ない。

2009年9月20日 (日)

連休と作問

昨日,項目応答理論に関する「入門本」を斜め読みした。このItem Response Theory によると,短い問題でせいぜい4~5択ぐらいで,受験者の能力をかなり正確に判定できるという。「不適当なもの」を選ばせるような引っかけは必要ないと書かれている(『項目反応理論入門―新しい絶対評価』高橋 正視 ISBN9784-900561-007)。そうなのだ『不適当なもの』探しはやはり,質の低い問題なんだ。そんなものを作っていると,人間が悪くなるような気がする。早く「手を洗う(韓国語や中国語ではこうなる)」ようにしたい。「どうして『手を染めて』『足を洗う』の」というのがネットでヒットした。メタファーやシネクドキの問題を作ろうと思ったら,同輩から送られてきた。やはり,金曜日が朝昼:終業式,夕方:日本語教育振興協会地区維持会員懇談会,夜:授業だったのはハンディだった。その前に読んだ小林ミナ(『外国語として出会う日本語』岩波書店)はネタで使ったから問題には採用できない。第一「ネコ暑い」とか「私の国にはたくさんのこめかみがあります。」の誤用と同質の誤用も異なる誤用も思いつかない。

愚痴を言っても詮ないので,久しぶりに梅田のヨドバシへ行ってきた。すごい人である。Ruby on Rails2本を探したが,増えていない。明日は,コーナンで台車を購入し,図書販売のソフトを仕上げよう。

2009年9月19日 (土)

管理会計

四つの会社の取締役を兼任していると,いつも,どこにも肩入れはしては行けないという思いと「ここは頑張って欲しい」という思いとの狭間で、悩むことがある。まあ,「悩み」といっても中企業の代表ほどの「悩み」でもない。いや,大きさの話ではなく,一緒に働いている人の人数割りでも自社寄りも「悩み」は大きいだろうと想像する。
十日ほど前,『コハダは大トロよりなぜ儲かるのか?』という書籍を衝動買いした。ただ,7月期,特有の仕事もあり、読むのは「封印」していた。昨日(9月18日)、無事,修了式を終え,京阪奈の懇談会に参加し,登録者のいない振替の梅田・夜の理論課程を終え,無事,本冊に取りかかった。
やはり,取り組む課題は多い。本書の内容は、なかなか,私たちには取り組みにくいが,それでも,取りかからねばならない。自社では,親会社社長,私は「丼」な経営をしている。「丼」のメリットは、責任をとる人間がたった一人で,事業の継承もない(永久に生き続けるか,死んだときに会社を解散する)ということだ。しかも,その一人が「ある程度頑張る」。つまり,組織の利益は、リーダーの個人の利益に直結しているから,頑張れる。矛盾がない。
「丼」の意味は,多分多少異なる。私たちは,最低限の簿記知識を持っている。実務的な決算書の読み方を知っている。キャッシュフロー会計までは何とかたどり着いている。もっと言えば,現実的な「お金がないときのストレス」を感じている。しかし,さらに,この『コハダ~大トロ』へ移行する必要がある。
直感的には、日本語教育に「甘い世の中」がここ20年内ぐらいに横たわっているのだが,それを「奇貨」とせず,長沼直兄やBerlitzに「なる」路があるように思う。
そのために,管理会計をもう少し進めることを考えよう。『コハダ~』には,ワークシェアリングなど「解雇しない,従業員を守る」方略の示唆もある。(ダイヤモンド社ISBN978-4-478-8009727)

2009年9月18日 (金)

阪奈和

阪奈和。大阪,奈良,和歌山の略である。関西の日本語学校で,全てが一堂に会することがなくなってから2年になる。どう考えるべきか。危機感の低下,と捉えている。入国管理局の管轄では,大阪,奈良,和歌山,京都が本局。兵庫が神戸支局になる。しかし,関西全部が集まっていた頃ですら,三つに分かれていた。今や,各地区のrijiレベルでの交流はあるが,全体の交流はない。

2009年度第1回目の阪奈和の懇談会が開かれた。私と職員のTさんが参加した。もちろん,私以外では初めてである。声高な関西弁のS先生,一見可憐ひ弱に見えるが校内で「Tマジック」と言われるT校長。発言者はまばらであるが,少しは感じ取ってもらえたかもしれない。発言はまばら,会に参加する意義,会を作り上げる意義,会として何かを決定する意義。日本的な,目標欠如的に見えるのはなぜだろう。

2009年9月17日 (木)

携帯を忘れても仕事ができるが,ハードディスクを忘れると致命的

昨日,難波校に500GのLa Cieを忘れて帰ってしまった。とたんに夜中のメールも今日一日も問題の資料がなくて何もできない。携帯でもメールは何とかなるが,資料がすべて入っているという悲惨な有様だ。たぶん,仕事をするなというサインなのかもしれない。しかし,本当に仕事をしているのか,作業だけなのか,それすら危うい。明日は終業式だから,またしても,作業ができない。
油断した。最近,とみに,老化の速度が速まっているのかもしれない。

2009年9月16日 (水)

閣僚会見

民主党内格が始まる,閣僚会見があった。
7分に限らせていただく、というのは新政権の考え?報道陣?このアナウンスの声は誰?
資料が配られていないという,準備の整わない「会合」?

「政府」も組織,会社も「組織」。自らを見直すことが多い「政権交代」である。

2009年9月14日 (月)

地下鉄にのって

最近の地下鉄で気づくこと。
空席があっても立っている人がいる。ちょくちょく見る。大阪の地下鉄は,東京ほど混んでいない。一番混む御堂筋線でさえ,実際は梅田と本町(難波と本町)の間だけだ。通勤ラッシュの時間帯に梅田で長蛇の列ができているが,乗れそうもなければ隣駅の中津発を待つ人もかなりいる。列の前なら,これはほぼ座れる。
乗車する駅数が少ないせいか,自分の前に座っている人が降りても座席に座らない人が多い。見ているとその次の駅で降りる。網棚(網ではなく金属パイプだが,他に言い方はないのか)の荷物を取り,座っても,ものの2分ぐらいでまた立つからなのだろう。前に人が立っているのに,回り込んで座るのは行儀が悪く見える。今朝も,空いたとはいえ御堂筋線なので,回り込まなければ座れない。しかも立っているのは,まあ,若いであろう(最近わからなくなってきたのと自分との年齢差で30代半ばでも十分若いと思える)女性の横を回り込んで座った若いであろう(前に同じ)男性がいた。彼は,次の難波で僕と同じように降りた。ほとんど予想されたことだが,女性も降りた。

2009年9月 9日 (水)

論語

DAIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー(なぜ社名がアルファベットで書名が片仮名かはダイヤモンド社に聞くしかないが)の10月号が「論語」を特集している。論語の「現実主義」とキリスト教,仏教,イスラム教の「超現実主義」との対比についてのコラムがある。
5S(整理,整頓,掃除,清潔,しつけ)を中国で導入するとき,「目に見えないところの掃除」にこだわる日本側。「どうせ目に触れないから」という理由で拒絶する中国側。この両者の論理の「差」が儒教だという指摘があった。別の言い方をすれば,日本の儒教と中国の本家とは違うらしい。松岡正剛も出ている。まだ読んでいない。最近,本を読んでいない(義務以外のもの)。雑誌だけだ。ふ~む。

2009年8月29日 (土)

サビルナ会読会 原稿

本日は,5時から会読会である。
以下,原稿を,参加できない人のために。

・明確な成果物に対して合意した証拠がない。
・作業の指示の証拠がない。
・指示を守った証拠がない。
・作業の結果を確認する指標がない。
言われると「頭が痛い」。顔から火が出そう。穴があったら入りたい。しっかり指示をするために。協働で成果を上げるために。門外漢から一歩始めよう。

目次
第1章 もう「書けない」とは言えない
第2章 コミュニケーション力を鍛える
第3章 文章力を鍛える
第4章 文書力を鍛える
第5章 メンテナンス力を鍛える
「Itエンジニアが持つべき4つのスキルでダメダメ『仕様書』を改善」と言う。実際には他分野での「コミュニケーション総合スキル」について「耳の痛い話」や「あれっ,どこかで聞いた話」が出てくる。

☞ 仕様書の質が決まらない理由
☞ ①中学生でもわかる表現で記述する。
☞ ②背景を明確にする(指示やその内容に漏れや間違いがあっても指摘できるようにする)。
☞ ③それ以外の情報を与えない。
③などは,意識して行われているだろうか,と反省することしきり。それどころか,うっかり不必要な情報を与えていないだろうか。この①~③は第5章で取り上げているが,冒頭に持ってくることもできる内容だ。
また,第4章では「仕様書を書き始めるタイミング」として
☞ お客様の成果物のイメージが固まる。
☞ お客様との成果物のイメージに差がないことを確認する。
☞ 不明瞭な点が,どうしてそうなのか明瞭になる。
誤文とその修正例も多彩である。23の例をあげて,「二重否定をやめる」などが示されている。最近の日本語学校の修了生は,3分の1近くが大学院への進学者である。担任,教務の研究計画書の指導には,この手のハウツウ本が必須かもしれない。大学院の教授をうならせる,それだけで入学できる研究計画書作成が求めている「文書作り」の極意が大切である。
第2章では,どこかで聞いた「ポジティブな会話でWin-Winのコミュニケーション」をという節がある。コミュニケーションで3つの案を出すのである。「全肯定的で肯定が極端に突き抜けている」「どれも中途半端で尖ったところがない」「全否定的だが突き抜けて良いところもある」の3つだという。二項対立にすると相手にどちらかを突きつけていることになるからだそうだ。
レビューについても,議題(アジェンダ)を作れと言う。そして,見直すこと,修正すること,ダメなものはダメと認めること,認めたものを捨てること,やり直すこと,というレビューに関する5項目を提案する。
Just Right!というジャストシステムの校正支援ソフトウェアを薦めているが,ソフトを導入すればいい文書になるわけではない。規則を作り,それを守るという基本的なことができなければ結局は役に立たないだろう。ややもすれば,購読するばかりで実行につながらない,自分を省みるとヒヤヒヤさせられる一冊である。なまじ「わかりやすい」本だけに考えさせられる。
☞ 論理を小さく積み上げていく
「主張や指示」「背景や土台」「手法や手段」「具体例」「補足情報や重要ではない例」にわけるという指摘もわかりやすい。
仕様書における文章の接続法の二パターンなどは,或る意味で目から鱗が落ちる感がした。なんと,最初のパターンは「反省文型」だそうだ。「事実→考察→結論もしくは対策」になる。現在あるネガティブな事実を反転させてポジティブな結論に持っていくということらしい。
もう一方は「論文型」で,「目的と背景→方法もしくは手法とその結果→ 結論もしくは対策」と進めるようだ。
仕様書はフォーマットやテンプレートを利用して書くものだと思っていたが,それだけではない,奥の深いものが,メーカーサイドで考えられていることがわかって興味深かった。
半面,「IT業界に広がる被害妄想の蔓延」という節も,「文句ばっかり一人前で,当の本人は自発的に何もしません。IT業界には特にそんな人が多いのではありませんか。」という著者の発言は「IT業界」をそのまま「日本語教育界」に当てはめられるような気がする。結局「不満言い」はどこの世界にもいるし,日本だけでもない。「建設的な努力」はどこにいても必要だ。
そうした著者の視点を感じるから,この本はどこでも利用できる側面があるようだ。もっとも,ひょっとすると中身だけでなく,細かい目次だけですむ人もいるだろうし,最後のコラム「開発技法の違いは戦術の違いに近い」にある「作戦指示書たる仕様書の量を減らすには,戦略の決め方とその戦術自体に疑念を持ってみることが大切なのではありませんか?」という一文のみでも,味わう価値があるように思う。
「おわりに」でも「本書は,『仕様書』と題した割にはテンプレートの用法などには全く触れていない,奇抜な本です。」とある。本来,中学校あたりで,国語の時間でするべき事柄を,社会人,しかも,最先端の仕事に就く人達が「人」としてのコミュニケーション能力に欠けているというのが筆者の嘆きのようだ。
この一年は,現総理の失言,読み違いが話題になった一年だった。「漫画ばかり読んでいた」から「誤読」したのではないだろう。本書の筆者が言う「仕様書が書けない理由」の1つが「人の理由」であるように,漫画やアニメを通しても「勉強」になる人もいれば,単にストーリーや絵をめくり過ごす人もいるのだと,ふと感じた。

(注:☞ ゴチ部分は完全な引用です)

発行日2009年1月30日
ISBN978-4-7980-2175-1
秀和システム
定価1,400円+税

2009年8月25日 (火)

今野華都子を聞く

昨日,今野華都子の講演を聞いた。大阪経営研究会の8月例会でだ(この「~でだ」も面白い)。45歳にして起業(というか,本人の弁では,子どもを大学と高校にやるために月30万必要だから始めたとのこと)。そこから,「口と態度の悪い仕事の出来るアシスタント」「気がつくけど仕事の覚えが悪いアシスタント」「マニュアル対応しかできないアシスタント」「優秀な成績で入社して,失敗したとたん『辞める』を繰り返す新人」との付き合い,というか「人材育成」の話を聞いた。感動した。僕の前が,UBI(旧アーバンベネフィット)の木村会長だった。1時間15分で休憩が入った。木村会長が中座した。僕も,今野氏の本を購入した中座した。

2009年8月 3日 (月)

「日光を見ずに結構というな」

土曜,日曜と栃木県へ行った。朝,9時27分の新幹線で,東京,そこから那須塩原まで東北新幹線。駅には,7年来のつきあいのT氏が,家族5人を出迎えてくれた。宿泊は「二期倶楽部」。贅沢である。子ども3人を入れて,18人での夕食。1000キロカロリーを切る,低カロリー夕食ながら満腹。フルコースで,魚は紅マス,肉は子羊,ホロホロ鳥のテリーヌがあって900キロカロリー台なのだ。
野趣あふれる露天風呂には,翌朝6時に入った。小雨。「田園」と「テニスコート」の間の道を歩く。
朝食は和食だが,豆腐にオリーブ油をかけたり,結局1時間30分かかった。
午後,日光東照宮へ行き,初めて「眠り猫」を見る。思ったより小さい。
単線の日光線,宇都宮から東北新幹線で午後8時に帰宅。死んだように寝た。

2009年7月30日 (木)

関連性の格率

「党首会談」という場と「服装」という話題。「結婚式」という場と「来賓の功績」という話題。どちらが,グライスの協調性の原則により大きく違反しているかという問題を作ったら,担当講師から「優劣がつけられますか?」とメールが来た。ぼくとしては「結婚式」であって「披露宴」ではないので,校舎が関連性の格率により違反していると思ったのだ。もちろん「披露宴」でだって,結構な違反だ。「本日は,『日本最大の不況を立て直した』阿呆様,元の内閣総理大臣「様」から,御祝辞をいただきます。」などと言ったとしても『』のようなことを言うだろうか。そして,それは『披露宴』という場の話題と言えるのだろうか。「元の内閣総理大臣」は,「功績」ではなく「肩書き」というのがぼくの解釈。また「党首会談」という場で地球温暖化を取り上げ,「夏の服装」の「軽装化」を話題にするのは,関連性大ありだと考えたのだ。しかし,披露宴では「あのノーベル生理化学賞を受賞された」と言われた来賓が自らの功績を苦労話で仕立てることはあるのかもしれない。

2009年7月28日 (火)

適正か適性

適性処遇交互作用なのか適正処遇交互作用か。

2009年7月27日 (月)

今日,アマゾンからトマソンが来るのですが

タイトルは事実だ。skypeのチャットで,タイトル通りに書いたら,「はい,来てますよ」と返された。「トマソンさんってだれですか?」を期待していたのだが。
マイケル・トマソンの「ことばをつくる」は分厚い。対する,ピンカーは2册で,フットワークがいいが,音韻論あたりから「怪しく」なってくる。自分の側が前舌で,相手の側が奥舌と言いかねない論説。これは「嘘」だろ。まさしく,言語によっても,個人によっても「違う」のではないか。

2009年7月25日 (土)

ピンカーとヴィゴツキー

天神祭の花火の音が「近く」に聞こえるが,ピンカーは(上)の156ページである。サビルナにうってつけの題材を見つけたが,検定作問にも利用できる。ふと「悪魔が囁く」わけだ。付箋はすでに12箇所。どこを模試に使おうか。「悪魔が嘲う」わけだ。かくして,18時ぐらいまでは「仕事モード」。それを過ぎると「仕事」と「好み」,「公私混同」モードになる。
明日は,トマセロが来る。これも「講師」混同モードだ。

2009年7月22日 (水)

日ごと夜ごとの

血圧が高い「らしい」。毎日はかることになった。朝のほうが高い。夜は低い。普通だそうだ。上も下も変動する。安全ゾーンと危険ゾーンの往復だ。
医者は,かなり心配そうにぼくの顔を覗くが,ぼくは別に体が重くも軽くもふらふらもしない。
小学校以来の日食も曇天でわずかにその様子がうかがえただけ。夜は,8月22日の原稿を仕上げて,29日分にとりかかる。9月6日分は8月8日に出稿なので,同時並行。
WindowsVistaマシンの調子が悪く,OSの再インストールを考えているが,データのバックアップがまだなので,原稿・マシンの同時並行がなかなかうまくいかない。

世の中,総選挙「ムード」(モードは代議士候補周辺だけだろう)だが,よみうりテレビの24時間にわざわざぶつけた感の総選挙で,ナベツネはどうなんだろう。
 

2009年7月18日 (土)

共時態と年輪模様

比喩は難しい。

 ソシュールの『一般言語学講義』小林英夫訳に,通時態と共時態を説明している部分がある。そこには,植物の茎を縦に切ったときと横に切ったときの絵,ちょうどバウムクーヘンを切り分けたような図がある。
引用は,岩波書店2003年第35刷p123からである。もっと古い版も見られるが,古書店でなければ買えないので,これを使う。
 この節は「二つの秩序の差異の・比較による解説」とある。この「中点」の使い方も,変といえば変だ。まず,「投影学」の必要性を論じる。「投影学なるものは存在せず,物体そのものを考察すればよいのである.」と訳されている。奇妙だ。「投影学」というものが必要なのは,ぼくの偏狭な理解では(無理にへりくだるわけではなく,文字通り知らない),立体的なものを平面的なものに表現するとどうなるか,そこに興味があるのだと思う。元の立体物の「影」が研究対象であるだけで,元のものを分析することと全く別のことだろう。つまり内容物ではなく,フォルム,しかも凹凸感をぬぐったものとして興味があるのではないか。
 そこから,「言語学においても,おなじ関係」があるという。そこからがまたまたとてつもなく「変」な比喩である。「物体を,つまり通時的事件を研究したからとて,共時状態がわかるものでないことは,諸種の物体を,よしいかにくわしく研究したにせよ,幾何学的投影なるものの概念がえられないのと同然である.」投影学なるものがいかなるものかはわからないので,またしても見当外れのことをいうのかもしれない。「諸種の物体を」「詳しく研究」すれば,投影ぐらいはわかるのが普通ではないのか。もちろんソシュールの時代とは100年以上も異なるが,その物体の外形がわかれば,投影ぐらいは計算できる程度に数学は発達していたはずだ。あえて,喩えるなら「内容物をいかにくわしく研究したにせよ,外形がわからなければ,影をえられない」ということではないか。少しグロテスクかもしれないが,内臓や血管,大小の骨,筋肉を並べられて,人間の「外形」を再構築するのは,かなり難しい。最近でこそ,コンピュータですぐ再現できるが,ソシュールの時代には,恐竜の化石に牛の骨を混ぜるぐらいのことは未だやっていたので,その程度には困難だったろう。
 そして,いよいよ「草木の幹を横ざまに切るとすれば,その切断面に多かれ少なかれ複雑な模様が見られよう;これはたて繊維の眺望にほかならない,それらは,さいしょの切断面にたいして垂直の切断をおこなうときに,見られよう.」と来る。横断面はその植物のそれら切られたときのすべての繊維=導管を見せてくれる,というのが適切な表現に思われる。付け加えるなら,縦断面は,一部の繊維=導管の根から幹の先へと続く時間を通じた変化を見せてくれる。多くの繊維は,切断面の繊維の裏に隠れて見ることができない。

う~ん。ここまで来て,この喩えは適当なのか。はたまた,年輪模様というと,まさに,木の成長を表す通時的なものではないのか。

2009年7月16日 (木)

「ばたばた人間」と現代っ子

時計のセイコーが,毎年時の記念日に合わせて,アンケート調査をしているらしい。というのも,いろいろなブログに張ってあるリンクは今やたどれなくなっている。最も新しいものは一昨年のもののようで,それ以降のものが探せない。2007年は「「『一度は行きたい』と思っていたレストランに行った際、食事を注文してから料理が運ばれてくるまで、気持ちよく待てる時間は?」と質問したところ、東京では「30分以内」と、気長に待てる人が12.1%で、大阪の2.8%に比べて非常に多く、一方で、「10分以内」は、大阪の34.7%に対し、東京は 24.7%にとどまり10ポイントも多いという結果となりました。」とある。
2003年のアンケートは,現代人は自分を形容するのに「ばたばた人間」を1位に選んだそうだ。現代人で,12歳ぐらいまでなら現代っ子か。「現代っ子やい。ボンネルじゃい。ボン,ボン,ボンネル現代っ子ルック。おしゃれと違(ちゃ)うわい。エチケットやい。」と大阪弁バージョンで唄っていたのが,45年ほど前か。
いくつかの仕事を平行して「ばたばた」しているようで,それほど「忙しそう」でないように見えるらしい。忙しいが「心」を「亡くす」と書くので,そう見えないことはよいことなのだが,仕事が早くもならない。

2009年7月14日 (火)

一言多い,と反省するも

何も言えない。一言多い,と言われたら。メールは難しい。「~に流すべき内容でしょうか」。そのギリギリのところで書いているメールなのだ。マァ,わがままだね,ぼくは。

2009年7月11日 (土)

自分の問題は見えにくい

午後,倒れるほど眠かった。
朝7時55分の関空行き快速急行で学生を迎えに行った。空港と反対側にあるエアロ・プラザ1階のトヨタ・レンタ・リースで,予約していたハイエースを借りる。普段乗っている車より長いので,ちょっと心配。ゆっくり取り回し,出ようとして,進行方向がわからなかった。あまり車が通らず,しばらくして左に曲がればいいことがわかった。驚いたことに信号がある。これまで,空港島で信号に出くわしたことはなかった。大回りして,空港1階のバスターミナルの反対側に止める。土曜なので駐禁は心配していない。北出口へ向かうと「手荷物受け取り中」とある。15分ぐらいかなと思ったが,結局出てきたのは9時50分ぐらい。到着時刻から1時間近くかかって,ポーランド人が3人出てきた。若々しい。いきなりい「暑いですね。」「ポーランドも夏があるけどこんなに暑くはない。」1時間の路駐だったが,取り締まりをした形跡はない。空港島から出るとき,東から熱気が顔を打つ。土曜で空いていて良かった。湾岸線,神戸線(?),環状線,松原線と回っても1000円で喜連瓜破に着く。帰りは松原線から環状線に入る寸前の難波で高速を下り,トヨタ・レンタ・リースの難波店へ返す。レンタカー代8,610円,高速代1,700円,ガソリン代1,000円,学生3人からのピック・アップ料は15,000円だから,ぼくの時給は3,690円÷(10:55-7:55)ということか。あ,行きの890円の南海の切符を忘れていた。

2009年7月10日 (金)

ETCとレンタカー

明日,朝,関西空港に学生を迎えに行く。空港でレンタカーを借りて,喜連瓜破(きれうりわり)まで届ける。3人まとめて送るのは,車でははじめでの試みである。短期の学生ばかりなので,それほどでもないとは思うのだが,留学生の荷物は,普通の旅行者よりは多い。これまでも車で送ったが,乗用車では二人までが限度だ。8人乗りぐらいを借りて,後ろをトランクにして運ぶ予定だ。
土曜日は,どこまで行っても高速は1000円なのだが,ETCに限定される。レンタカーを予約する際に尋ねたところ「たぶんETCだろう」とのこと。空港で借りて,市内の営業所に返す予定である。借りたところへ返すわけではないから,6時間を超えると別料金が発生する。だから,高速料金を200円でも節約したい。

2009年7月 8日 (水)

念願の留学・就学一本化と言われても

困る。
財団法人日本語教育振興協会の維持会員協議会で,「念願」という言葉で,佐藤理事長が語った。その後の20周年パーティーで,往事の話がいろいろと出たが,佐藤氏は当時文部省の審議官か何かだったようだ。それこそ,文部,法務,外務の三省管轄の財団法人の苦労話もあったが,なぜ,「就学」という在留資格になってしまったのだろう。入管法で「就学」という在留資格ができたのは1990年。日振協より設立より1年あとだ。ややこしい「就学」などをつくらなければ,「留学・就学一本化」という事態を迎えることはなかった。
今回の入管法の改定は,ほぼ全党が一致している。しかも焦点は,法務省による在留の一元管理である。在留カードを外国人登録証の代わりにつくるという。これは,顔つき住基カード同様のもの。住基カードの義務化の前触れかもしれない。したがって,反対意見も多い。
協議会では,S校の先生から「再入国を制限して欲しい」という「要望」が出ていて,法務省側もどう答えたらよいのか,明言を避けていた。学生達の権利を「制限」するよう役所に要望するお方が,「教育者」という不思議な現象が,日本語学校にある。しかも,入出国といういわば基本的人権に近いものの制限だ。
だから,単純に喜ぶわけにはいかない。
入管法改定は,本日,参議院を通過した。留学・就学一本化は遅くとも来年の7月1日から,たぶん4月1日から。

2009年7月 7日 (火)

会社数字がわかる 計数感覚ドリル

原稿は,次から次へと締め切りが過ぎて,おしりに火がついている。
千賀 秀信の標題図書は,全社で何度も読むべきだと思うのだが,まだ全部に目が通せない。その上,持病がどうやら発症したようだ。鎮痛剤は飲んでいるのだが,あまり効かない。日頃の不摂生の賜物か。久しぶりに会った講師に「肥えましたね」と言われる。サイズの小さいスーツを買ったためそのように見えるのかもしれない。

2009年7月 6日 (月)

大阪で放火

此花区の千鳥橋で放火があったようだ。昨晩,パチンコ屋で火事があり,4人亡くなっている。うち3人は客として来店していて,1人は商品交換で派遣社員だったようだ。この1人が20歳の女性で,後の3人のうち2人が女性,3人は60~70代。年齢と店内の位置関係で逃げ遅れたための死亡のように感じられる。
ぼくはパチンコも競馬もやらない(20代ぐらいまででやめた)ので,こうした場所での「事故」には遭わないかもしれないが,最近は電車のホームでも端には立たないようにしている。「死にたくない」というよりは,まだ,十分に仕事をしていないので,「死神さん,ちょっと待っててね」というつもりでいる。しかし,怨恨かどうかは知らないが,とんだとばっちりだ。昨年は秋葉原で暴走トラックとナイフで連続殺傷もあり,こちらは「逃げる」しかない。食べもしないのに殺傷をするとはまさに殺生なこと。学校の角の交差点で,この間,喧嘩があった。外に出て,「そこでは止め」というと大人しくなったので,基本的に「暴力系」の人間ではなさそうだ。「かっとなる」「弱いものいじめ」。ちょっと待てよ,と言いたい。

2009年7月 1日 (水)

夕陽丘の図書館

メール・アドレスを持っていない人は,9人中ゼロであった。IT関係の箇所が,本日の講義の中にあり,最初に掲載された2002年から考えると,世の中は確かに変化している。今や,WordやExcelを使いこなし,添付ファイルで答案をやりとりするのは,「常識」になっているのだろう。
午後の講義では,Reading Method の話。日本語がそれほど話せなくても読めればいい,というニーズは,最近の受講生にはわかりにくいようだ。10年ほど前のイギリス人学習者の話をして,特許情報が豊富な「夕陽丘の図書館」の話をした。特許庁ではなく,わざわざ大阪で特許情報を調べるためにイギリスから来た学習者の話。未だあるのかな,と授業後に検索したら,「旧府立夕陽丘図書館の特許資料部門を引き継いで同図書館の跡地」に「大阪府立特許情報センター」が設置とある。形を変えて残ったのだ。

2009年6月23日 (火)

学生が怪我をすると,車で運ぶ

久しくなかったのだが,校内で,学生が「捻挫?」。湿布をして,家まで送り届ける。車は便利だ。

2009年6月14日 (日)

書評会とハード・ディスク

火曜日は,書評会なのだが,書評は書いていない。初校もまだだし,ハード・ディスクの換装もなかなかすまない。日曜は,パソコンが3台使えるので,換装用のディスクの作成をしながら,他の仕事=通信の質問への回答などができる。本は読んでいるが,うまく,引用して,まとめて発表するのが難しい。校正に専念しよう。

2009年6月13日 (土)

校正は楽しい。その前を減らすことが。

「心理学」の初校が届いた。呆れる「ほど」の誤変換,誤字。キータイプを一つ間違えると,子音と母音が一部逆になり,とんでもない誤字が生まれる。執筆した本人(と思う)さえも,解読が難しい文章が生まれる。
「速記タイプを習おうか。」と職場で言ったら,怪訝な顔をされた。キー・ボードが違うのだと説明したが,イマイチ,わかりにくそうだ。確かに,速記が必要な職場でもない。ただ,調べると,今のキー・ボードよりタッチ数も少なく,「多分」誤字が減りそうだと思う。幸いにも,大阪にも講座がある(東京,名古屋と全国で3箇所しかない)。土曜日の講座ということで,通ってもいいかもしれない。

2009年6月12日 (金)

訳が分からない。

よく分からない。投稿したのが,「予約」になっていたのか?調べてみよう。

防衛機制。呆けが始まったのか。

確か,昨日,短いものを投稿したはずなのに,見あたらない。エディター・ソフトを起動して履歴ファイルを見たりしたが,無い。何を書いたのか思い出そうとしている。夢かもしれない。「書いたことにする」,防衛機制が働いているのか。いやいや,こういうブログを書くことが防衛機制?
先ほども,再起動の際にエクセルファイルの保存を忘れた。セル一つだから事なきを得たが,「呆け」ているのかもしれない。
白髪の仕組みを解明したと,今朝の毎日新聞が報じている。幹細胞の損傷,遺伝子の損傷の蓄積だそうだ。少しググるとステムとかES細胞とかが出てくる。なるほど。分かった気になる。こうした細胞の研究が進めば,老化は防ぐことができ,呆けもなくなるかもしれない。

しかし,昨日何を書いたのだろう。

2009年6月10日 (水)

仏像人気,歴史人気

「歴女」というのだそうだ。戦国武士に詳しく,のめり込む女性たちが有名,らしい。今日,話す機会があった「歴女」は幕末と明治維新の「歴女」だ。イクヤマイマイオヤイカサカサ,。歴代の総理大臣を暗唱できる。

興福寺の阿修羅像が東京の国立博物館で展示され,94万人入場したそうだ。最高記録らしい。

それなら,「今」や「現代」はどうなのだろう。

日本語教育という意味で言えば,「歴史」も「仏像」も大切だ。しかし,もっと大きな「日本」を相互理解,他文化理解,する過程が必要だ。日本の「ブーム」に惑わされてはいけない。1Q84。村上春樹にも取り上げられる素材とそうでない素材がある。ぼくも,イタリア人の学習者が,村上春樹をリソースにしたい,読んだこと(翻訳で)のない本がやりたいと言われ,『象工場のハッピーエンド』を使ったことがあるけれど,果たして良かったのだろうか。と,今日は考えている。

書評会の案内をいただいたが,代講で無理。と決めつけてはいけない。「歴女」ならぬ「書女」(発音は危ういが)を発掘すべきか。

2009年6月 9日 (火)

賭ける

人生を自分の思い通りに設計するというのは,ある意味で,人生モデルとして,何の問いもなく人間が持っているものだと思う。もちろん,「設計する」ということの意識性(意識の表に明確に持つか),具体性(何歳のときにどこまで達成しうるかという意識性)の個人差はあるものの,「生きたい人生を生きる」という意味では,普遍的なものだと措いても良いように思う。

それが故に,ぼくは「生きたいように生きる」ことを否定,もしくは無関心な人に,存在すら,否定しているような価値観を持ち勝ちだ。

それは正しいか。実は,
人生に何かを賭けるというのは,「正しい」のか?「賭ける」という言葉を使うときに,話し手は何を「決意」なり,「意思表明」しているのか。

60歳を過ぎ,年金を得ている,しかもなお,日本語を教えるために養成講座に通いたい,という入学希望者に会う。そこそこの金額の講座代金に「途中放棄の場合の返金システム」を執拗に聞く。修了後の就職可能性を聞く。経歴を尋ねれば,そこそこの年金をもらっているはず。であれば,残りの人生は,「賭ける」のではなく,「預ける」だったり,「与える」ではないのかと思う私が,尊大なのか。

60を過ぎての「人生設計」は,私には,まだ見えない。感謝の気持ちをどう還元するのか。今は,それぐらいしか考えられない。もし,必要,許すのなら,もちろん「だまされたくはない」が,何かの資格,それすらほどんど考えていないが,セミナーに通いたい。ただ,その後の仕事(就職)は,後輩の邪魔になるようにも思う。

打算的コミュニケーションは疲れる。

2009年6月 7日 (日)

人はネットに晒されている

当たり前のことが,不思議に感じられることがある。ぼくは,22から法律事務所で3年働いていた。夏に賞与「闘争」で解雇され,雇用保険の給付を受けた後,9月にソ連旅行をしている。新潟から飛行機で,ウラジオストック,ノボシビルスク,そして,ウズベキスタンのタシケントまで行った。パスポートに記録はない。別紙を貼り付けて,そこに,入出国(ソ連の)や移動(連邦だから)のスタンプを押し,出国するときはがされた。記憶に間違いはないが,記録を調べたくて,ネットでググってみた。翌年2月から大栄経理学院というところで,簿記講師を始めたので,退職後24年経っているが,ぼくの名前と大栄経理学院で調べた。そしたらなんと,セブン&Yのブックサイトで,4月末に出した「やさしい日本語指導 6 語彙・意味」が引っかかった。確かに,著者略歴に大栄経理学院は書いたが,これのみが検索されるというのも,奇妙だ。「お客様オススメ度」は五つ星になっている。そんなことした覚えはない。

ブログやホーム・ページは「晒している」のだが。まあ,本も書けば「晒している」かな。

<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

日経サイエンス2001年9月号によると,手話習得者が脳に損傷を受けると手話に支障があるかどうかを調べる研究で,右脳ではなく左脳に「手話言語野」があることがわかったそうです。右脳は視覚的空間的処理を行うと知られていて,脳右半球の損傷は,たとえば,簡単な線画を描くこともできないということが知られています。
手話は,視覚空間的記号なので,右脳の損傷が手話に影響を及ぼしそうです。ところが,脳に損傷を受けた手話話者もブローカ失語やウェルニッケ失語に類似した症状を示し,しかも,損傷部位との対応も音声言語と同じであることがわかったそうです。
このことは,酒井邦嘉も『言語の脳科学-脳はどのようにして言葉を生み出すか』の中で述べています。さらに,酒井は,
「1.手話には音声言語と同様に語順があり、文法構造を持つ。
2.手話は、乳幼児が母語として獲得できる。
3.左脳の損傷で、音声言語と同様に手話失語が起こる。
4.手話にともなう脳活動は、基本的に音声言語と同様である。」として,チョムスキーの言語獲得装置の実在性を裏付けるような研究を行っています。
http://mind.c.u-tokyo.ac.jp/Sakai_Lab_files/NewsJ/JST_Report_2005a.htm
言語習得のための,脳の研究はこれからも増す増す盛んになっていくと思われます。

<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

ほかのやさしい日本語指導シリーズ著者をググったら,やはり出てきた。何のことはない,みんな★五つだ。ただ,月惑星研究会というのもヒットした。

2009年6月 3日 (水)

神楽

田中将大が今年初めて負けた。相手は,タイガースである。Yahooの表示は,スコアボード「神楽」。お神楽様である。

2009年6月 1日 (月)

代講三昧

今日から一気に週7コマ代講。
代講自体は,簿記,宅建のときから100講は遣っている。数えたことがないが25歳から29年はインストラクター商売なので,ひょっとすると200ぐらいか。確か,姫路で簿記1級担当が辞めたとき,財務諸表論を丸々1期,朝・夜遣ったのが連続では一番多いか。二コマ,週2回,4週ぐらいだ。
だから,今回7コマ5週は過去最高かもしれない。

代講と思うから「多い」ので,後半担当の講師に変更と考えれば,別に問題はない。しかし,今週は気を入れないとほかの業務が滞りすぎ。ペースを上げよう。

2009年5月31日 (日)

ああ,やかましい。忘れてしまった。

毎日のことで,困ったことではある。「忘れてしまった」と言うのは,直前の認識に対する,まぁ「惜しみ」。ひょっとするとなぜ,惜しいのかも「忘れて」いる。

去年とか,いやいや1カ月ぐらいでも「忘れた」ことに対する詫びもない(悪いとは思うが)。きちんと,メール,チャットと証拠も残している(ずるい私)。この限りでは「忘れた」ことはない。しかし,自分の意識の「上」でも,忘れていることは多い。みんなどうして処理しているのだろう。

尾籠な喩えで申し訳ないが

尾籠(びろう)とは,和語の「おこ」に字を宛て,音読みで作った「文字による造語」で「ばかげた」というのが原義だが,現代では「下劣」などに格下げされてしまった。あっ,これを『語彙・意味』に入れるのを忘れた。まあ,いいか,「当たり前」を入れたから。それに,「尾籠」の使用範囲は,「大根」や「当たり前」より狭いし,格調が要求される「日本語指導書シリーズ」には,ひょっとすると似合わない。さて,何が,「尾籠」かというと,いよいよ「尻に火がついたから」で,「焼け糞」だからである。
休日にもかかわらず出てきて,言った一言が「行き詰まって」。こっちが息詰まった。「あと,できません」。能力を買ってストレッチを試みたが,当方のフォローが少なかったか。手元の仕事は,あと「脳」の1節。ここが終わったら,代わりに担当する箇所を読もう。勉強時間が増える。

2009年5月28日 (木)

角の☆弁当

標題の物を買うために,セブンイレブンの夜11時半に待機。
確かに689円でうまい。値段も安いし,よくできている。これは関東でも販売するのだろうか。
セブンイレブンは,独禁法で訴えられそうだ。だから,地域限定で頑張っているのかもしれない。

2009年5月27日 (水)

進化か?

携帯の電話番号で相手に振り込みができる,そんなサービスをdocomoが始めるらしい。ズームインSUPERで報じていた。docomo加入者同士なら相手の口座番号が分からなくても振り込め,振込金は携帯電話の利用料に上乗せするという。月額3万円上限からスタートし,今年の夏からの予定だという。狙いは,飲み会の割り勘などを想定しているらしい。飲み会で1回に3万も使うか?使うような人間が,財布も持たず,クレジットも使わず,手数料を払って振り込むか?もっとも,月額3万円だから,10回飲んだとして1回3千円程度。分からなくはないが,3千円なくて飲み会に参加するのか。感覚がよく分からない。親子間での仕送りとも言う。「お母ちゃん,今,ピンチやねん。3万円振り込んで。」「分かった,せやけど,あんた,口座番号何番やった」。これも,ぼくからすれば想定外。40年近く前,東京にいるぼくに送金する方法を母親と決めた。合併したての「太陽神戸銀行」のぼく名義の口座に,母親が通帳で入金する,ぼくが東京でキャッシュカードを使って引き出す。送金手数料もかからない。日本語学校の学生にも勧めたい方法だが,外国銀行のカードが使える場所が限られている。「太陽神戸銀行」だから良かったものの「神戸銀行」だったら,東京に支店は2~3しかなかった。電車賃は送金手数料より高かっただろう。docomoは携帯万能主義で,何でも携帯でやろうとするが,携帯を持ったが為に,ぼくは今「なくす恐怖」を感じている。別に,softbankであっても同じだ。「なくす」ことや「圏外」,「電池切れ」,いずれも今の仕事の環境では「恐怖」になる。

<><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><>

『週刊アスキー6月9日号』,今週のデジゴトで山崎浩一が報じたのはインフルエンザ情報。山﨑が『週アス』の原稿をいつ書いているのか知らないが,ニュースとしては4月30日の話(ロイター)。
http://hakuraidou.wordpress.com/2009/04/30/メキシコで豚インフルエンザ拡大前に検索が増加/
早い話が,Googleの検索が増えると「何かある」わけで,今回は山﨑の言う「あとだしジャンケン」かもしれないが,今後,こうした「検索利用情報」が「活用」されることになろう。「活用」とはいうものの両刃の剣であり,大衆の知りたがっていることが地域別に分かるわけで,しかも,それをまずGoogleが知る,というのも「恐怖」だ。なんといっても,Googleは合衆国にあり,合衆国としては自国の利害を優先させたいだろう。2006年にGoogleは当局の開示状況を拒んだという「実績」はあるものの,今後は分からない。

docomoとGoogle,できないことができるようになる。進化なのか?

2009年5月26日 (火)

統計的検定

心理学も残すところあと一章,と思ったら,ほかの指導書で触れられていない,比較的大きな箇所が見つかった。
急遽最終章で追加しよう。

4章のコラムは岡野先生の言葉がヒント。

<><><><><><><><><><><><><><><><><><><<><><><>

コラム 「名人は手を変える」
将棋の世界では,羽生善治と言えば,永世名人など永世称号を六つ持つ(2009年4月末現在),誰しもが認める最強棋士です。一時期「チャイルド・ブランド,羽生世代」という言葉がありましたが,もはやアラフォー(40前後の世代)と言うこともあり,さすがに「~世代」とは呼ばれなくなりました。しかしながら,この世代と上の世代の大きな違いは,内弟子に入って師匠の家に住み,雑用をこなしながら,将棋を「習う」ということが激減したことです。人生修行と将棋の修行が重ならなくなってきたことです。
さらに,パソコンを利用した徹底的な分析で,定跡と言われる決まった指し方は,序盤と終盤に至っては,ほぼ研究し尽くされたとも言われています。したがって,中盤での盤上の駆け引きに重きが置かれるようになりました。そうすると,1度うまくいかなかった手を,何度も使うことはなく,せいぜい3回ぐらいで「手を変える」のだそうです。つまり,確率的に,より「悪い」ものは,早め早めに捨て去られます。
心理統計にとっても,実は同じことが言えます。「帰無仮説」とは,あくまで統計的検定において,「その条件と一般的な出来事との差がない」,対立仮説が起こる確率は「誤差範囲」だということでしかありません。仮説を立てた側は,「証明したい」という思いが強すぎるのか,統計資料をいろいろな角度から検定して帰無仮説を棄却しようとすることがあります。
こんなときは,その仮説にしがみつくのではなく,別の原因(仮説)があるのでは,と名人にならって「手を変える」のも一つです。

<><><><><><><><><><><><><><><><><><><<><><><>

うちにも羽生世代がいる。早く上の世代を追い越して欲しい。

2009年5月24日 (日)

言い訳しやすい加齢

年をとると物忘れが激しくなる,らしい。忘れようが,間違おうが「許される」度合いが増えてくる。加齢は人を甘えへと導く。同じようなことが,「孫」にある。ぼくの周りに「先生,孫って無条件に可愛いですよね。」という人物がいる。先生と呼ばれた人も「そうやな」と答える。ぼくも,「孫」ができるかも年齢だが,まだいない。想像はつくし,多分,孫に甘くなることも予想される。しかし,まだいないから「何言ってんだ」と思うことが多い。人の立場になかなか立てない。

<><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><>

25日から兵庫,大阪,京都,滋賀で順次,全休校が解除される。先週末東京へ出張したが,総じて,マスク姿も少なく(感染者は出ていたが),罹患する側の「無責任」という意識が多いようだ。ここでは,年寄りさえ,海外旅行が判断できないのは悪い,という感じ。KY=「空気読めないのか」と言われそうだ。惣万佳代子さんではないが,年寄りを年寄りなりに扱う必要がある。今の日本人の年齢から考えると,ぼくは,まだまだ老齢の域には達していないが,言い訳と年齢が重なるのは見苦しい。

<><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><>

では,加齢とはどこからか。すぐ「個人差」となる。ほかにないのか。現代の日本人は,寿命が延びていく(いる)のか?戦後の粗食時代に成人を迎えた人達が「長生き」なのか.ここ10年ぐらいで,ひょっとすると,劇的に変わるかもしれない。
ぼくは,琉球校の設立へ向けて今の環境を引き継いでもらえるようにビジョンを描いて伝えるだけか。

2009年5月22日 (金)

セレッディップの三人の王子たち

この本が昨日届いてくれていれば,大阪-東京往復の列車でも...読めたのに

まあ思い通りには行かないことが多い.だから人生。今,逆に読む暇はない。

ひょっとすると,今引っ張りだこでさすがのAmazonも,仕入れが間に合わなかったのだろう。「偶然の幸運を見つける能力」,セレンディピティがちょっと話題だ。読む時間がなくなった。

セレンディピティなのかどうか分からないが,別件で,調べているとちょっと面白いことが見つかったので,書きかけの原稿に追加した。

-------------------------------------------------------------------------------------
コラム マズローとベネディクト,ミード
「トレーニング・マガジン」1988年9月号に「アブラハム・マズロー:賢明な経営の父」と題して,ホフマン(Edward Hoffman)の書いた記事があります。その中に次のような一節がありました。
“In 1938, at the behest of his friends Ruth Benedict and Margaret Mead, both anthropologists at Columbia University, Maslow conducted field work among Canada's Blackfoot Indians. The experience convinced him that we can learn much from studying the daily lives of people in other cultures. It also convinced him that people around the world are far more alike than they are different, and that we all share certain inborn needs and drives.”
マズローは,ベネディクトとミードの依頼でカナダ先住民のフィールド・ワーク(現地調査研究)を行っています。そこでの体験で,マズローは異文化における数多くの日常生活を学び,違いよりも類似に気づきます。『菊と刀』で有名なベネディクトですが,欲求5段階説に思いもよらぬところで影響を与えているようです。
また,この記事のコピーはhttp://ourworld.compuserve.com/homepages/ hstein/homepage.htm というアドラー式心理療法研究所に掲載されています。

-------------------------------------------------------------------------------------

アドラー,マズロー,ベネディクト(ミードも)で三題噺ができるとは思わなかった。

長生きはするもんだ(しよう)。

2009年5月21日 (木)

皆ガ疑モンに思エル味

不思議なタイトルだ。
愛媛のとんかつ屋のとんかつパフェ紹介のタイトル。
おいしいそうだ。
このタイトルを入力するときには,いつもの,誤変換,誤字が出なかった。
出ようもない。一つ一つ,ひと文字ひと文字変換するからだ。

ひょっとすると,メール,チャット,携帯(まあこれは携帯ではなくても電話だから大して最近ではない)で意思疎通ができているように思うが,そうもいかない。戦国武将が,天下統一する大変さもわからなくはない。今は,中小零細企業でも日本国内のみならず,中国ぐらいは(スミマセン,飛行機でギリギリ1泊二日ぐらい)視野に入れている。でも,行かなければ,行って,顔を見て話さなければ,すまないこともある。

1時間会うために北京日帰りをしたことがある。大して重要ではなかったが,会って,顔を見ると相手の顔がほころぶのが分かった。重要だ。

今日は,帰りに「ポケット版般若心経」を読んだ。空即是色。偉大な空。0=∞。しばし考える。2m以内に人がいては困るので行きも帰りもグリーン車。ガラガラだった。4×16列に6人程度か。JR東海がこの車両を三つも走らせているのに「感謝」すべきかもしれない。物事は見ようで違う。インフルエンザの動向がいまいち分からないので今日は助かった。

2009年5月20日 (水)

ソクラテスの弁明[関西弁訳]

.「これって落語?それとも哲学?生きることの意味、善と悪、国家と法、死の捉え方…賢人ソクラテスのメッセージが、生きた言葉として、いま、私たちに届きます。でも、なんで関西弁!?」
と帯にある。

精神物理学の説明を書くために,それまでの心理学の分野を調べたら,心身二元論に到達した(それ自体は前からわかってはいたが)。デカルトから古くプラトンへ遡ると標題の書物にぶつかった。だいたい,パルコが出す本だ。かなりの予断と偏見で見てしまう。ソクラテスが「せやかて,わしみたいな年寄りに何が出来るっちゅうんです。」としゃべるわけだから。
前口上にもあるように,この本は「桂米朝」の語りで読まねばならないらしい。果たして,国民的なベスト・セラーになるだろうか。来月の書評会に取り上げようかとも思うが,この帯を見ると,取り上げる本がダブるかもしれないし,下手をすると「それ,面白そやおまへんか」と購入希望者が出てくるかもしれない。それでは書評会の趣旨に悖る。
いっそのこと岩波文庫の『ソクラテスの弁明』を取り上げて,それを関西弁で書評しようか。その種本として仕入れるというのもありだと思う。来月までには,今の手元が片付いて読めるに違いない。

気がついたら鞄の中に入っていた。

プラトン 著 北口 裕康 訳 パルコ 版
1,260円(税込) 2009年05月 発行 ISBN 978-4-89194-798-9

2009年5月19日 (火)

休校措置その後'19日

何事もないように,兵庫と大阪だけが感染しているように報道される。
日本語科は,カリキュラムを何とか修了日までに終わらせた。
養成講座は,動かせない。
1週ずらしでギリギリ。もう1週はずらせない。


休校措置が正しかったのか。自転車で街をゆくと車も何も少ない。

困ったもんだ。

2009年5月17日 (日)

小さいことの積み重ねが大切

5月15日・16日と富山へ行ってきた。経営研究会の全国大会である。7時50分発新大阪でこだまに乗り米原で乗り換えた。13時から開会セレモニーがあり,20分から基調講演1,15時から基調講演2,17時から分科会だった。
第2分科会を選んでいた。

良かった。
講師の惣万佳代子さんについては,大会のリンクを張っておいた。もうひとつ「ディケアサービス このゆびとーまれ」もリンクを張っておく。

講演の内容は,大きく惣万さんたちの活動の歴史,介護施設のあるべき姿とサービスの現実,そして「継続」の大切さ(これは意図されたことと異なるかもしれない)であった。

惣万さんたちのNPOは600万から1000万の利益が出ていて法人税を払っているそうだ。これは,講演後の質問に対するお答え。惣万さんと副代表は「かなりもらっていると思う」と答えた。日赤富山病院同期の看護師が幾らもらっているかは教えてもらっていないが,同年齢の大学教授よりは高いらしい。職員の平均給与は400万円弱だそうだ。中小企業の経営者には耳の痛かった話かもしれない。また,養護学校の卒業生が有償ボランティアで働いていて80万という話もあった。

ディケアを始めた当初,富山市に「補助金をください」といったところ,「このゆび」は高齢者だけを対象としていないからダメだと断られたそうだ。惣万さんたちは,高齢者,障碍者,障害児すべてを同じ施設で介護しようとした。縦割り行政の壁が厚く,早く言えば「脱法行為」だった。保育所も兼ねた。

キーワードとして盛んに上げていたのが,「普通の生活」「障碍児も障碍じゃない幼児も一緒に暮らす」「やらんでいい,と年寄りから仕事を取り上げるから,痴呆が進む」「口から物が取れんようになったら生きなくてもいい」。最後は少し誤解されそうな言葉だが,事例が幾つかあげられた。病院へ連れて行ったら,医者は,一分でも一秒でも長生きさせようとする。口から食物が入らなければ胃ろう(胃瘻)を作って無理にでも食物を胃へ入れるが,それがはたしてよいのか,90,100歳で食べられなくなるというのは寿命じゃないか。経口補助に30分はかけられないというのなら食事回数を2度に減らすとか,1回を15分までにするとか方法はあるだろう,と言うのである。

90前後で乳がんに冒され,手術するかどうか,医者は放っておけば余命6カ月だという。70歳ぐらいの長男は悩んだ.しかし抗がん剤を打って延命し,病院で死んだほうが良いのだろうか。母親に訊ねた。母親は「家で死にたい」という。退院させた。乳がんがひどくなると,乳房が中からザクロのようにはじけるのだと言う。そして,リンパ液やいろいろな体液がしみ出す。匂う。3年6カ月後に「ゆびとま」で息を引き取ったそうだ。

昭和40年代,50年代の介護の方針は,400人以上の大規模な施設を郊外に造り,そこに,高齢者を集める。町からは要介護老人が減る。高齢者は手厚く介護される。しかし,これは隔離政策である。乳母捨て山である。最初は厚生省もそれがいいと思っていたのだろう,しかし60年代以降,このし策が誤りと知りつつ推進した。多分それは「罪」である。

「ゆびとま」には,中学校2年生たちが職業体験ボランティアとしてやってくる。
障害児と健常児が同じ布団で昼寝をする。
「ゆびとま」の最初の利用者は3歳の障害児を持つ母親だった。子供が生まれてから3年間美容院へ行けなかった。だから,出来たと知ったとき,開所日の前日に予約した。半日預けて,その当時幾らだったのだろう.千円か千五百円か。どっちにしても,3年間のパーマ代よりは安かっただろう。つまらぬことを考えた。
「ゆびとま」は富山県初のNPO法人である。認定は5月12日ナイチンゲールの誕生日だった。あまりの喜びに思わず涙した惣万さんたちだったが,後から「単なる偶然」と知らされる。
「ゆびとま」の開所日は7月2日。その年7月1日は「仏滅」だった。
「明日の100人を救うのは行政の仕事,今日の一人を救うのがわたしたちの仕事」
「社会福祉法人にしていたら,補助金ほしさに公の顔を見てしまう。NPOにしていたから,顔が市民に向いていた。」
「わたしたち大したことをしたんじゃないんよ。小さいことしかでけんよ。」

私の学校で卒業式に来て,お話をしていただきたい,あの要介護高齢者,障碍者,障碍児のスライドを見ていただきたい,と感じた。また,きつい富山弁も。

2009年5月15日 (金)

サピアとウォーフ

言語相対論もしくは言語決定論という考え方がある。サピアとウォーフに始まるとされる。簡単に言えば(ぼくの浅い解釈では),人は母語によって思考や認識する。したがって,母語が違うと思考方法,思考内容,認識方法,認識結果が違う,という論。よく例に引かれるものに,イヌイット(エスキモー)は,雪を様々に区別する言葉を持つ。雪に対する認識が違う。では,そうした言葉は,英語や日本語には訳せないのか。「~な雪」と訳すことが出来る。したがって,言語が認識を決定するのではない,というのが反対論者の根拠。
特定の言語は,その言語を持つ集団の文化の一部である。だから,言語相対になる部分がゼロではない。しかし,サピア&ウォーフのように認識のすべてを決定しているわけでもない。「弱い言語決定論」というのが,最近の風潮らしい。
ともかく,文化相対主義は,言語相対主義に基を辿ることができるともいう。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

自民族(自文化)中心主義と対極にあるのが,文化相対主義(cultural relativism)と言われてきました。これは,世界の中には多種多様な文化が存在し,そのすべての文化の間に優劣はなく,それぞれの文化に独自の価値観や,物の考え方がある,とする見方です。つまり,自文化中心の価値観や世界観を越えて,新たな価値観を作り上げるために,まずは自己を相対化し,自分以外のすべての人が自己と同じく,その人なりの価値観や世界観を持っていることを理解する必要があります。そのとき,その相違について自文化の尺度で計ることをせず,自文化では当たり前な行動様式,社会構造,価値観,社会規範も,相手文化からみると,異なっている可能性があると考えること,自らにとって良いものが必ずしも相手にとっても良いものとは限らないという認識が,文化相対主義であり,異文化との接触の際には不可欠な認識と言われてきました。
しかし,一方,「文化相対主義では不十分」という主張も見られます。すべての文化に等しく価値を認める,ということは「自文化中心主義」にも価値を認め,そうした立場も容認することになる,というのが,文化相対主義に対する批判です。
これは「相対」の意味をどうとらえるかという相違であり,文化人類学者は,もう少し緻密に「他者に対して、自己とは異なった存在であることを容認し,自分たちの価値や見解(=自文化)において問われていないことがらを問い直し,他者に対する理解と対話をめざす倫理的態度のことをいう。」(池田光穂,大阪大学)という再定義を行って,「何でも認める」という定義から「問い直し,理解と対話」の前提という定義を行っています。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

文化相対主義を「何でもあり」と非難するのは,やはり行き過ぎだ。池田の言うとおり,まず,エポケーして理解と対話をするところから始めなければならないだろう。

そうなると「対話力」がお互いに要求されるわけで,「認識」を決定づけない「言語」を交わすことが必要になる。日本語学校に求められる「日本語」教育とは,そのような「言語」かもしれない。

2009年5月11日 (月)

手抜きスキーマ

何をか況んや。
--------------------------------------------------------------------------------------
心理学の一分野に発達心理学,という学問分野があります。この分野では,ヴィゴツキーとならんで,ピアジェ(Jean Piaget)が有名です。そこで,ヴィゴツキーの『言語と思考』におけるピアジェの「批判」と『言語と思考』の英語版(アメリカ1962年)発表された際のピアジェの「論評」を通して,発達と言語習得の関係を見ていきましょう。

まず,ピアジェ は,2歳以降の発達の過程を,

前操作期(7歳頃まで)

具体的操作期(12歳頃まで)

形式的操作期(13-14歳頃)

に分けています。

この中でシェマ(schéma)と名づけた基本的行動様式の変化が発達であるととらえたわけです。子どもの発達は,環境の事物と自分固有のシェマを「同化」や「調節」を使って適応させていく段階だと説明しました。「同化」とは環境を自己のシェマでとらえることで,「調節」とはシェマを環境に合わせて修正することです。例えば,誰かに叱られたとき「このおじさんは怖い人だ」というのが同化で,「さっきしたことは良くないことだ。やめよう」というのが調節です。

そして,ピアジェ は言語獲得につき,まず,社会性のない言葉を「自己中心言語」とよび,前操作機までの「自己中心性」に着目しました。後の「論評」のなかで,単に「中心性」と呼んだほうがよかった,と述べたそうですが,子どもが客観的な認識を獲得する前の「ひとり言」を指します。それは,ほぼ具体的操作期に入る頃には消失し,コミュニケーションは社会性を帯びたものになるというのです。

これは,

[言語化されない概念]→[社会性のない言語]→[社会性のある言語]

という経路をとると考えたと思われます。

一方,ヴィゴツキー は,ピアジェ の「自己中心語」に対して,『思考と言語』の中で「子どもの自己中心的ことばは,七~八歳頃に子どもから無くなる内的自己中心性の外的表現のような,子どもの活動のたんなる副産物のようなものではない」(p71)と述べます。そして,「子どもの自己中心的ことばは〈外言〉である話しことばが〈内言〉に,移行し発展していく段階のことばであることを理論的にも実験的にも明らかにする研究を行いました」(柴田義松『ヴィゴツキー入門』p70)。

つまり,

[外言]→[話しことば(もしくは自己中心語)]→[内言]

の順に発達していくと考えたのです。「外言」とは,幼児が何かが欲しいときに外へ向けてのコミュニケーションで用いられるものであり,「内言」は思考に用いられる言語です。話しことばと内言は,そのはたらきによる違いだけでなく,文法の複雑さ,文の長さ,凝縮性などの構造の違いにも見られます。そして「話しことば」と反対に位置するのが,「書きことば」であり,内言が発達しなければ,書きことばが発達しないという立場をとりました。

このことを第二言語習得の視点から考えると,まず,音声としての言語が発音できるようになり,相互に話ができ,目標となる第二言語で思考する過程の最後に,作文ができることになります。しかし,ヴィゴツキー は,外国語と母語とは異なると考えていましたから,もちろんこの通りの順序ではありません。ただ,第二言語の初期の段階から,「レストランで注文が通じた」というように目標言語で意図を伝えることのできた喜びは,次に「会話ができる。わかる」という段階へ進むための最高の栄養剤だということは,私たちの経験からも明らかです。カリキュラムを作成したり,教室活動案を考えたりする際に,こうした発達心理学からの知見は大変役に立つと思われます。

発達心理学では,二大巨頭とも称されるピアジェ(1896年8月9日 - 1980年9月16日)とヴィゴツキー ですが,(1896年11月17日(ユリウス暦11月5日)- 1934年6月11日)同年齢,同学年です。片や84歳までの長寿,一方は37歳で早世と対照的です。ヴィゴツキー の死後,ピアジェは,「論評(Comment)」の中で,ヴィゴツキー の業績を認めながらも反論していますが,すでに相手は亡くなっており,ピアジェ も暖簾に腕押しの感が否めなかったのではないでしょうか。早熟,早世だったために ヴィゴツキー を「心理学のモーツァルト」と呼ぶ人もいます。
--------------------------------------------------------------------------------------
「なにわ」のモーツァルトはキダタロー。

2009年5月 9日 (土)

効率化スキーマ

作成中のものである。
--------------------------------------------------------------------------------------
記憶を効率よく使うために,似たような物や出来事を範疇(カテゴリー)に分類するスキーマです。

【例】人物の性格を記憶する。

増田[信頼できる,責任ある,忘れっぽい,受け身である,世話をする,熱心]

宮崎[攻撃的,用心深い,信用できない,危険,控えめ,楽観的]

という2名がいた場合。増田さんの職業が,医師の場合は[信頼できる,責任ある,世話をする]が記憶されやすく,[忘れっぽい,受け身である,熱心]が記憶されにくいと言われます。また,宮崎さんが男性で剃髪をしている場合は,「スキンヘッド」という範疇に分類され,[控えめ,楽観的]という性格が記憶から取り出しにくい,一般に[忘れた]状態になると言われます。

さらに,記憶実験では,この両者の性格を記憶する場合に,「医師」や「スキンヘッド」という範疇を与えて,テープの聴き取りを行うと,与えない場合よりも性格をよく覚え,テープの内容も理解できるということが分かっています。範疇化によって,記憶容量の余裕ができるからだといわれています。
--------------------------------------------------------------------------------------
あまり凝っていない。

2009年5月 1日 (金)

新型ウィルス

以下のようなメールを回している。
--------------------------------------------------------------------------------------
GWの海外旅行から帰国者が増える6日ぐらいから事態の急変が考えられます。
大阪校では以下のような処置を講じました。
7日より
(1) 午前7時段階でのNHKニュースで事態の動向を確認
(2) 休校の決定(原則として近畿2府4県に感染者の報告がなされた場合。除く疑い)
(3)「休校」連絡
(4) 担当クラス学生に連絡。留守番電話も含め一通り連絡がなされたら【宮】へ返信。それまで自宅待機。
(5) その時点で「出勤」決定。

休校ではなく通常出勤,授業の場合。
午前と午後の間に机の上を水拭き励行?【担当未決定】「薪雑巾10枚購入済み」
1日に2回30秒以上のうがいを励行?「小紙コップ320個購入済み」「イソジン大ボトル(ポンプ式)2本購入済み」
外出帰りの手洗い励行!「ペーパータオル2千枚購入,流し,トイレに設置。手洗い石けんポンプ式ならびにアルコール殺菌剤4ボトル配置」
手洗いとうがいでほとんど罹患を防げるので,安全衛生意識を高く持って望んでください。

うがいと手洗い。「スペイン風邪」にはなかったはずだ。
これで,ほとんど流行しない。いつも,必要だ。


2009年4月26日 (日)

校正

アークアカデミーから日本語教育に関する,何冊かの書籍が立て続けに出版される。3日前に来ていた「評価」についての原稿(ワードの拡張子docファイル)にようやく朱を入れる。細かなことを除けば,校正箇所はほとんどない(ように思う)。
昨日来たメールで10年前に出た文字関連の書籍について「校正箇所」があった。唸ってしまった。まったくといっていいほど目を通していなかった。「誤植」「誤変換」ではないので,余計にへこむ。書いた本人ではないが,「ほとんど読んでいない」ということは責任が重い。
最近,自分の誤変換について,6年ほど前から,指の動きが鈍くなっているように感じる。もう一つは,キーボードに金をかけていないということも言えるかもしれない。毎日のように触っているノートと日曜日に使う梅田校の受付のキー・ボードはかなりタッチが違う。もう一度親指シフトに戻ろうかとも考えているが,日本語JIS配列のキーボードの安物からすれば10倍ぐらいの値段がする。少し考えてしまう。また,ノート・ブック・パソコンとキー・ボードを持ち運ぶのは考え物だ。ソフト的に入れ替えるという手もあるが,形状がやはり異なるので,なかなか難しいかもしれない。
さて,校正は,手書きのように矢印をオート・シェイプで欄外に出してそこにテキスト・ボックスを置き「トル」などと書くのが多いが,置き換えの場合は赤字で校正後のみを残すことも行う。ふつう,印刷所は,読点「、」と「コンマ」の混在なんかは,直してくれないから,こまめに指示しておく。20年前に出版社経由で出したことがある。ぼくについたのはまだ若い編集者だったが,さすがに,キッチリと読んで校正してくれた。
ぼくも高校の時は新聞部でブランケットの新聞を作ったときに,神戸新聞で編集のイロハの「イ」ぐらいをかじった。ぼくらの時は,関学が「強く」ていつも大会の上位だった。確かタブロイド判だ。その頃,「倍尺」が欲しかったが高かったように思った。今頃は,この尺(長さ)に何文字(何行)入るなどといっても,ワープロでいくらでも変えられる。Wordでもイラストレーターのようなアキやツメができる。一つ年上の部長は買っていた。「何段,何行」などとやっていた。3年まで所属していたが,3年ではあまり何もしなかった。部長もしなかった。
一方,Wordも打ちっ放しだと具合が悪い。アメリカ生まれなので,英単語を原稿に入れるときには,ハイフネーションをしてやらなければ,変なところから改行し,しかも両端揃えだと間延びした文字間を作ってしまう。別のものには,そういう箇所もあった。これも読んでいなかった。慌てて読んでみたら校正箇所が増えてきた。くわばら,くわばら。

2009年4月25日 (土)

飛行機が飛び立つ前

帰阪する那覇空港は,修学旅行の中学生であふれていた。3階のチェック・イン・カウンターのフロアーの半分以上の人間が制服だ。チェックインの際に「4人掛けの真ん中と非常口の横しか空いていません。」と言われ,OKした。
安全検査を受け,軽食を取るべくスタンドへ向かった。ここの空弁は「ラフティ寿司」。それに,瑞泉のカップさき(酒)で窓から隣の飛行機を見ていた。「ANA1738便で関西空港へお越しの32列Hのミヤ タガヤス様.35番搭乗口カウンターまでお越しください」。何事だ。ゆっくり飯も食えない。そそくさに食べ,飲み,搭乗口カウンターなるところへ赴く。同じように呼び出された何人かがいて,そのうちの一人が,釈然としない様子で係員と話している。「その中学生とぼくの席を変えたら良いんじゃないですか。」「申し訳ありませんが,本気には2校,搭乗していて,そうした座席変更に応じることが難しいのでございます。」てな会話を交わしている。よくはわからない。ここまで来て座席がないのか?それはふざけた話だ。ぼくへの案内は,搭乗券を見て,「こちらは非常口の横でございますが」「ええ,そのように聴きました。」「本日は,2校の修学旅行生が搭乗しておりまして,お客様の周りは修学旅行生になります。」(はは~ん。座席替えができないことを説明しているのだな。)「ええ,いいですよ。」「え,かまわないですか?」驚いている。なぜだろう。非常口の横だから前は客室乗務員ではないのか?まさか,そこに中学生が座っているのか?)「ええ。」「ありがとうございます。」
搭乗口カウンターの近くで,登場まで待つことにした。そこら中をうろうろする中学生たち。そのうち,「3列になって~」という声が聞こえ,「~組」という呼び声で,移動し始める。ぼくと柱の間に人一人がやっと通れる空間があったのだが,遠慮会釈(×_×),何人もその間をすり抜けて,列を作るはずの空間へ移動していく。(こいつ等の近接学的距離って何㎝なんだ)。満員電車でもないのに府連ばかりの距離を移動する中学生たち。やっと全員が乗って,一般客も搭乗開始(もちろん,ビジネス・クラスは中学生たちより嵜に乗っている)。中に入って驚いた。まだ席に着いていない。17時15分発だが,今5分前,非常口の隣という格好のところまで,まだ行けない。手荷物を頭上に押し込む。非常口隣は,3席空席で一番通路側がぼく。出発時刻になってもピクリともしない。前のほうが騒ぎ出し,フライト・アテンダントたちがざわついている。例の機内通話期で何かを話し合っている。急に誰かが立ち上がって,それに抱きついている姿が見えた。用語クラスの子どもか?閉所・高所恐怖症?しかし,周りは関西弁で呼び合う中学生たちだし,まさか,修学旅行なので「沖縄から帰る」だろう。それなら来るときも飛行機に乗っているだろう。10分ほど経ったが,乗務員がリンゴジュースを持って行って,校医か保健教務かよくわからないが何人かが席替えをしている。17:30になってアナウンスが始まり,液晶画面が光り出した。ようやく出発することができた。

2009年4月22日 (水)

ビジョン経営

20日からタイトルの沖縄セミナーのため沖縄の名護に来ている。3年連続だ。ビジョン経営とは,経営ビジョンを打ち立て,それを示し,その実現のために事業を実行していくことだ。経営は経営資源,人材,物的資源,貨幣をどのように分配するかだと思う。それには,最も大切な人間をどう動機付けるか.松下幸之助は「経営理念が確立したら,経営の50%は成功する」という意味のことを言っているが,これは,経営理念という文言があれば,成功の50%が達成されるという意味では,勿論,ない。
セミナーの講師は,松下電送,NTTデータの元社長,木野親之先生。経営問答塾も,皆勤ではないが,3年連続受講している。
ヴィジョンは,目に見えるもの,見える形にするものと考える。
1999年に受講したセミナーで「5年以内に大阪府に日振協認定校を設立する」というビジョンを掲げた。2003年に大阪校はできた。2007年の沖縄セミナーで沖縄に日本語学校を作るというビジョンを掲げた。まだまだ不明確だったが,今回,沖縄へ来る飛行機の中で,沖縄の日本語学校とは何かを考える時間があった。沖縄の日本語学校は,観光の専門短大や大学の観光学科とタイアップして,南国リゾート経営ノウハウを学んでもらう日本語学校にするのがいいのではと考えている。ビジョンは毎年変わる。しかし,大本は変わらない。単なる拡大路線ではなく,来てくれる学生にも,教える先生方にも喜んでもらえる学校のビジョンをしっかりと描きたい。

2009年4月20日 (月)

人間の評価090420

標題に日付を入れるのは,多分これまたヴィゴツキーではないが,心変わりがあるだろうという逃げだ。
そもそも「評価」とは何か。それを「人間」に行うことが可能か。きわめて形而上的な課題なのだろう。勿論,ここ(今日)は,単なる「思いつき」なので極めて「形而下」なのだが。(どうして形而上は,すぐ変換して形而下は候補もないのだ→JustSytem)
「思いつき」というのは,フォーク・クルセダーズを聞いていて思ったからだ。同時代だからそうなのかもしれない。勿論,彼らがデビューしたときぼくは中学1年。6歳から7歳ぐらい違うが,まあ,いしだあゆみが1948年生まれだそうで,それぐらいだろう。今,聴いても,ぼくには彼らが「天才」に思える。コブのない駱駝,鼻の短い象,なんと不思議な言葉だろう。「おまえは馬さ~」「おまえは河馬さ~」。立って歩く豚にいたっては「ヒトさ~」。コーヒー・ルンバのような「あら部長」ならぬ「アラブ調」。歌は全然上手くない。しかし,こんな曲を詞を作るのは「天才」だ。アルフガング・アマデウスが早世したから天才とすれば,北山修は歌手の後に大学へ戻り精神科医になったことで「天才」と言ってもいい。「どこでまちがえたのか」と言える。
中島らもは故人であり,「評価」されやすい。中学から22ぐらいまで周りをうろちょろしていたので,あまり「天才」感はない。異人,奇人である。白戸三平そっくりの絵を描いて,『ガロ』に投稿して,何度も,というか1度も載せられなかったので,落選していたのが奇人という評価につながるのかもしれない。
フォークルから「はっぴいえんど」に変わる。神戸大でライブを聴いたのは36年前。ちっとも面白くない。レコード(ディスクと言うべきか)とまったく同じだ。松本隆だったと思うが,「一番いい場所はスタジオ」と言っていた。松本が作詞家になったのもわかる。大瀧詠一と細野晴臣はステージを好んだんだろう。鈴木茂は,ついせんだって大麻で捕まった。Stop!ぼくだってどうだかわからない。訳知り顔でいるが,「酒」が違法になったときに,「やめられるか」。
年を経ていいことは,「昔」のことも繰り返し考えられることだ。竹内まりやの「元気を出して」を同時代で聴くのと30年経って聴くのは「子ども」にはできないだろう。山本潤子(子ども達よ!新居潤子って知らないだろう!)の「翼をください」を赤い鳥じゃなくてもソロで聴ける。人間評価も変わる。自分の変節を「時間」の所為にするのは本意じゃないが,確かにある。憂歌団だって,内田勘太郎がいなく?なったら存在しない。そんな,チマチマしたことを,セコセコした「大人」は覚えている。フェリックス・パッパラルディ Felix Pappalardi も故人だから「評価」。朝,早く起きると,周り,知っている故人のことを考えて「人間の評価」なんてどツボにはまっているのか。
もう4時間もすると,伊丹空港から沖縄に発つ。

2009年4月19日 (日)

iPhone

金曜日に機種変更をした。ワンセグ携帯にするかどうか,少し前に悩んだが,テレビは見ようとすればどこでも見られる気がしたので,選択肢から外すことにした。テレビよりラジオのような気もした。大災害であれば意外とテレビ局は役に立たないような気もした。それはともかくiPhoneにしたのは昨年出始に,Macユーザー(たった二人だけれど)に聞いたら否定的だったからだ。
ぼくは,どうもアマノジャクでいけない。人がしないということがしたくなる。去年までは,カラオケに行くのは年に2からせいぜい4回ぐらいだった。今年は,もう16回は行っている。どうしてそんなに,次男とのコミュケーションの機会だから。三男をダシにしてどうやら行きたがっている(ぼくと一緒が本心かどうか,歌の練習のためか)らしい。
とにかく,iPhoneだ。カッコいい。いろいろと面倒だ。4月まで待ったのは前の機種の「分割」があったから。携帯の契約は,実は「よくわからない」。いつも「笑顔」の女性(ぼくは男性の受付では新機種への変更はしない。それぐらいは許されるだろう)の言うとおりにしている。多分,悪意はない(と願っている)。今回「彼女」は困っていた。アドレス帳の変更とメールの変更は「お客様」にお願いしたい,と言うのだ。Appleは「わがまま」だ。ソフトバンクがiPhoneの単独キャリアになったのに,いっこうにユーザが増えていないのは,端末の値段だけではないということが分かった。
確かに,最初は何のことか分からなかった。結構大変と言えば大変だ。普通の携帯の機種変なら,メ-ルアドレスは勝手についてくる。しかしiPhoneは携帯アドレスではない。WordやExcelの添付ファイルが読めるのだから。普通のアドレスだ。それをimapやsmtpなど設定させる。しかもiPhoneの端末(あれ,携帯じゃなかったっけ)でさせるのだから。ぼくは指は「太い」ほうではないと思うが「押し」間違う。
アドレス帳は,少し前は大変だったらしい。「笑顔」の受け付け女性は「御自分で」とひきつっていって言ったが,その通りだ。ぼくの場合,3G携帯のUSBケーブルを持っていたので問題は少なかったが,要は,softbankのサイトからダウンロードしたソフトで,前の携帯からアドレス帳を抜き出し,iPhonesへ注入しなければいけない。
これはAppleがiThunesと端末(やっぱりそうだ,端末)の一対一対応方式をとっているためだ。いきなりiPhoneへは行けない。iTunesを介して,何故か,ぼくの使っていないWindowsのアドレス帳と同期させる。
アマノジャクはWindowsからもAppleからも嫌われる。まぁ,今回は二日ですんだし,仕事にも影響はほとんどなかった。僕の携帯に電話をかけた人は気づかなかった。何故か三男からの電話(着信音)を聞いていた人は「カッコエエですな」との感想。そうだろう。
エヘッ。

2009年4月17日 (金)

イチローは張本を超えるか?

イチローがプロ野球公式戦で3085本目の安打を打った。張本勲に並んだわけだが,サンデー・モーニングで,張本は「イチローのは日米通算じゃないか。私のは日本だけです」と言っていたから,米大リーグで幾ら打っても,張本は超えられない計算である。
イチローは日本で1278安打だから,日本へ帰ってきたとして1806本打たないと張本は超えられない。1年に20本という常人離れした本数を考えるても,9年以上はかかる計算だ。「日米通算」を「偉い」と考えるか,「通算じゃないか」と考えるかの違い。張本の言い分は,ディベート的だ。
しかし,メジャーの中継でも,通算安打は通算安打として伝えている。日本の一軍を3A扱いにはしていないという点では,米スポーツマスコミは,張本の前言とは違う。まあ,3A扱いされたら,張本の3085本はイチローのメジャー1805本以下(かどうか張本にも異論はあるだろうが)になってしまう。
張本は,サンフランシスコまで行って試合観戦しているのだから,「私のは日本だけです」と言うのは,視聴者に対する「洒落」なのだろう。
ところで,「超えたか」どうかは,安打数ぐらいでしか比較できないのだろうか。首位打者の回数では,日本でもすでにイチローの連続5回は張本の連続4回を超えている。日本球界の在籍期間を考えると驚くべき数字でもある。
張本は自他共にイチローのすごさを認めているわけだが,もし,イチローが張本を本当にうならせるには,ピートローズの4256本を抜かすことか。4364本打てば,メジャーだけで張本を抜く。そのとき,張本は「イチローのはメジャーだけじゃないか」と言うだろうか。

2009年4月16日 (木)

天野祐吉 CM天気図

朝日新聞の名物コラムである。ぼくは,これを読まねばならないと思っている。天野の感覚は,ぼくと違う。だから,自分のズレを確かめるために読まねばならぬと思っている。Savilnaや大阪経営研究会に参加するのも、考えの違う人達と接触するという意味がある。実は,日本語教育関係者にもっと会わねばならないのかもしれない。それはともかく,天野祐吉を読まねばならぬ。
本日は,東京都下水道局のワッペンの作り直しの件だった。「バカだね」という石原都知事に対し「バカかな」という見出し。記事は日経のhttp://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090410AT1G1001E10042009.htmlで読んだ。天野のコラムは最後まで読まないと拙い。途中まで,ぼくは,石原と同じ3400万も出して,作り替えるのは「バカだね」だ。天野はコラムの出出しで,基本デザインを勝手に変えるのがけしからん,という広告関係者特有の感覚に見えた。3400万も使って、作り替えるほどのことか。「基本デザインマニュアル」が堅すぎるのでは。しかし,「勝手に変えてはいけない」のはその通りだ。今年1年我慢するぐらいではどうだろうか。しかし,天野はもっとすごい。妻の言葉と称して(実際にその通りかどうかはともかく),「作った人達に消させればいいのよ」と結ぶ。その通りだ,当の本人達を「訓告」ごときで済ませて,都民の税金を使う,「作り直す」ではなく「消す」という判断ができないのか。もしくは,当の本人達と、都民のボランティアを募集しないのか,そんな気はないのか。
とかく役人は税金を使いたがる。

2009年4月13日 (月)

京都バルケッタ

このブログを毎日読んでいる人には,「仕事サボりやがって」とお叱りもあるかもしれないが,今日は,微妙にサボった。
朝から打ち合わせだったが,別の要件もあり11時過ぎに変更した。12時頃につくはずだったが,阪急京都線が延着。途中で携帯からメールを入れ予定を大幅に変更。少し早く着いたので,イタメシ。京都校の連中はすでに食べているらしい。乾麺,細麺のパスタ。スプーンがないのが好ましい。ワインの瓶を見ていたが,出しなにワインクーラーが目についた。
多分,良い店だ。

2009年4月 8日 (水)

チャリズム

世界のナベアツや山下の話ではない。陽気がいいので,チャリ通(自転車通勤)をしている話だ。難波校(現,日本語学校大阪校に寄生?共生か)が元町3丁目(横浜や神戸と違ってあまり何もない)にあった頃は90%チャリ通だった。車を置く場所も必要もあまりなく,御堂筋線の梅田・難波という東京匹敵混雑路線に乗るのもうんざりするので,小雨でもチャリだった。
コースの交通規制もいろいろと変わった。堺筋から新御堂へのバイパスができ,西天満の交差点も混雑する。道徳心のないドライバが右折車線から左折して新御堂へ入る。しばらく立て看板が出ていたから交通事故があったのだろう。今は,対人,対チャリ用に信号が変わる。南北の右折車両の後,四方向の横断用の信号が1分近く続く,相当無遠慮なドライバがいても横断歩道では人と自転車が優先される(当たり前か)ようになった。
ここから,裁判所横,中之島公会堂をかすめ,三休橋筋を南下する。栴檀木橋をわたり,旧東洋証券大阪支店も後の建物がそろそろできあがっている。20年以上も前にもここを早朝,自転車で回ったから,一応勝手知ったところ。日商岩井ビルを通り,「ここは何年前?霞ヶ関ビルと同じくらいか?そんなわけはないだろうが」と思う。神足裕司のコラム(週刊アスキー2009年4月14日号)を読んだ影響か。しばらく駐車場だった場所にもビルが完成し,Chez Wadaの前をさらに「シモへ下る」(京風の言い回し)。ここから本町通りまで歩道が広くなり,チャリ行きに快適さを提供してくれる。いっそのこと電信柱を地下に入れてくれたら,もっといいのに,なぜか,いっぺんに工事しない。ただ,本町の南も中央大通りの高架下,その先1ブロックだけ,同様の歩道拡幅がこの春済んだ。
本町を挟んで南船場だそうで,久太郎通りを超えるとミナミの匂いが始まる気がする。三休橋筋と久太郎通りの角の船場カリーか来た船場の本町の2本北の船場カリーが本店だと思うが,西天満交差点横,なんばCity南館にもあり,時々お世話になる。辛い。その船場カリービルの横に,以前,オウム真理教関連のパソコンショップがあった。ここから出光美術館のあった辺りまでくる。ここが,三休橋。長堀にかかった橋を南西だかから,東北だかまで渡りきるのに三回休むから三休橋というのは35年ぐらい前に桂三枝の枕で聞いたように思う。由来は違うという話も聞く。渡りきったところの街灯に「鰻谷三休橋」とあるから,名前に間違いはない。ここの角にセブン・イレブンができたとき大阪も席巻すると感じた。長い間,滋賀・京都止まりだった。
そのまま直進するとボンベイキッチンの前。まだ,ムンバイキッチンにはなっていない。ここは朝7時ぐらいに通ってもガラムマサラの匂いがする。入り口も開いていて仕込みは早い。7時台に通ると,背広,ノーネクタイ,茶髪,ピアスの「ホスト?」達と数人の「ギャル」がフラフラと歩いている。ゴミの収集車とタクシーで一気に通りにくくなる。宗右衛門町の角に交番があり,道頓堀川を渡ると,左角に「大だこ」のたこ焼き。左に曲がって相合橋筋を右折。今,建て替え(撤去が済んだところ)を曲がり,鍬焼き「たこ坊」を過ぎると千日前通り。「難波秘密倶楽部」なる怪しげ・不思議な建物と学生に勧めていない「安くない」自転車屋を抜け,NGK裏からなんさん通り。この通り南北と東西の両方にその名前が付いていて,確かに東西に走るほうが長いから「通り(大阪では南北は~筋,東西は~通り)」なのだが,ややこしい。
直進して,最近できた「むさし」なるラーメン屋まで来ると,職場はあと僅か。人のことはともかくとしても潰れないかと心配している,絵本カフェ「holoholo」は,朝8時からなので,ちょうどシャッターを開けていた。その次の角がアークアカデミー大阪校。到着!

2009年4月 6日 (月)

脳は「どう」?

何故か,最近「脳」とタイトルついてるものばかり読んでいる。とはいっても,せいぜい書店で平積みのものだから,別に「学問的」ではない。多少学問的なものも3年ほど前に読んだが,これも講談社のブルーバックスなので「平易な学問」性程度である。一番面白かった,仕事にも関係があったのは「手話」についてだ。聴覚障碍を持つ親から生まれた障碍者同士で,「手話」を教える,覚えることができるという話である。つまり,「言語は音声だ」というソシュール以来のテーゼは成立していないということだ。手話も「音声-文字-手話」という流れと,「母語」として習得できるものという流れがあり,これは中公新書だったけど酒井邦嘉『言語の脳科学-脳はどのようにして言葉を生み出すか』にもそんな話があった。
茂木によれば,脳について「クリエィティビティ(創造性)」「セレンディビティ(偶然に価値あるものを見出す力)」「オプティミスト(楽観主義)」「ダイナミックレンジ(ストライクゾーンの広さ,らしい)」「イノベーション(革新)」を上げていた。この五つが「鍛えられ,鍛えること」で「脳」力が増すらしい。
ところで,脳の細胞(神経細胞)も皮膚の細胞も同じDNAを持つ。ということは,皮膚(もっと言えば毛)も同じものにもかかわらず,その部位ごとに最適化して,全体で植物や動物をなしている。だから,「脳は『どう』?」と言うのは,「足はどう?」「毛はどう?」と同じことになる?ように思う。宗教詩人で2006年に他界した坂村真民が「足さん足さん,ありがとう」などといって,就寝前に体のあちこちを撫でたのは,あながち迷信ではないように思う。

3月20日の祝日が「終業式」で勤務だったため,昨日が久々の全オフ。末っ子とツタヤ。3人の子ども達と夕食など,時々は親らしいこともやっているが,これも自分の「脳」のためか。

2009年4月 5日 (日)

真のプロフェッショナルはダイナミックレンジが広い

タイトルは,『脳を活かす仕事術』の節の題名である。ダイナミックレンジという言葉は,多分,中学の頃HiFiに詳しい同級生から聞いた。確か,スピーカーやアンプでの用語だったと思う。再現能力を表すもので,dB(デシベル)という単位で表した。最大値と最小値の比率なので,何か対数系だったと思い,Wikipediaを引くと,(出力÷入力)の自乗し,常用対数を取り,d(デシ)=10倍したものらしい。
なぜ,茂木の言説に引っかかったかというと,ぼくの理解では「再現能力」なのだけれど,茂木は「何もかもすべてを受け入れることが『ダイナミックレンジ』ではないということです」と「受容能力」の表現として使ったからだ。茂木自身は,同著で「アウトプットがインプットと同様かそれ以上に大切だ」というようなことを一番最初に述べているので,「表現能力」は当然のこととして,「受容能力」としてダイナミックレンジとして説明したのかもしれない。しかし,ダイナミックレンジというより「ストライクゾーンが広い」という俗な表現のほうが当たっているような気もする。

と,他人の著書に「突っ込んで」みたが,ダイナミックレンジ=再現能力としても,タイトルは立派に成立するように思う。身近には岡野先生がいる。篆書などもたしなみ,独学のイタリア語で何度かイタリアへ旅行され,ブログで紀行も発表なさっている。将棋も,ソフトを購入して対戦研究に余念がない。これらを「引きこもって」やっているのではなく,ぼくたちにもアウトプットすることで,広い「信号の再現能力」を示されているように思う。

ぼくも「ストライクゾーンは広い」ほうだと思う。いわゆる食わず嫌いではない,筈だ。まず,ストライクゾーンを広くして,発信のダイナミックレンジも広くして,受容した信号のできるだけすべてを再現できるようにしたい。明日はいよいよ書評会。どれを取り上げるか。

2009年3月29日 (日)

何とかバーレーンには勝ったが

昨日は,サッカーワールドカップのアジア予選。日本対バーレーン。中村俊介のフリーキックで1点を取り,競り勝った。俊介のキックは相手ディフェンダにかすったようにも見えたが,ああいうのはオウンゴールと言わないのだろう。
これで,後3試合だ。6月6日のウズベキスタン(アウェイ),6月10日のカタール(ホーム),6が右17日のオーストラリア(アウェイ)。3勝2分けペースだから,2勝1分けできれば勝ち点18でワールド・カップへは行けるだろう。
しかし,セットからしかとれないか?大久保がよく動いたが,マウスをこじ開けることができなかった。これでは,南アに行ってもドイツと同じこと。最終予選,アウェイのオーストラリアで奮起を期待したい。

2009年3月28日 (土)

プロ野球「関西独立リーグ」

昨日,京セラドーム大阪で,大阪ゴールデンビリケーンズと神戸ナインクルーズの開幕戦があった。ビリケンには商標があるのか,Vがイニシアルになっていた。「金を取る草野球」という感じだ。もちろん,相当上手い「草野球」ではある。入場者は11,000人を超え,内野は一応指定の2,000円,外野は1,000円。65歳以上とか障碍者(ガイの字は意図的)は外野無料。まあ,内野入場者のほうが多いから平均1,800円として入場収入2,000万円ぐらい。「プルデンシャル生命」がイニングの合間に横断幕を掲げて宣伝している。場内放送もプルデンシャルの広告を読み上げた。
最近,場内アナウンスに男性DJを起用する球場があるが,"Center fielder"などが聞きづらい。日本語の滑舌も気になる。安いから使うのかもしれないが,野球の試合放送としては,もっと「はっきり」「日本語で」を望みたい。

2009年3月27日 (金)

景気はそろそろ回復する

昨日,西村晃氏の講演会へ行った。以下要旨(というか面白かったところ)
西村氏のサイトは下を。
http://akira-nishimura.co.jp/

「景気」について面白いことを言っていましたので,報告します。
日経新聞の市況欄,上がっているものに赤丸,下がっているものに青丸を付けると,3月の初め頃から赤丸が登場し始めた。昨日は,五つだった。
これが何を表しているか。中国の景気対策60兆円ぐらいが効き始めている。
株価は底を打った。昨年の10月28日に付けた7,000円割れ後,横ばいだったが3月9日をそこに反発している。彼岸底(決算前の売り)の様相を呈している。
「もはやショックはない」
リーマン・ショックの後AIGショックはなかった。リーマンを見捨てると思わなかったからショックだったが,AIGは米政府は見捨てられないだろうという予想が当たりショックはなかった。
トヨタ・ショックは,減益時のショック。赤字に転落しても株価は下がっていない。
つまり「想定外」だからショックで,これからは想定内」のことしか起こらない。テポドンぐらい。
9月までに確実に総選挙があり,自民党が議席を減らすことはショックではない。
株価は上がる。
昨年下がったのは日本企業が悪化したからではない。海外投資家が現金確保に迫られて日本株を売ったからだ。今,日本に投資できないのは,衆参ねじれ現象で制作がなかなか決定されない,政治的に安定しない国だからだ。しかし,総選挙で自民党が敗れ,下野するか。わずか4カ月も待てず,村山富市まで担ぎ上げた自民党が4年待てるか?待てない。何が起こるか,保守合同である。政権は安定するので,海外投資家は再び日本株を買い始める。ドバイ株が買えますか?日本でしょ。
オバマのグリーン・ニューディールは追い風。
アメリカの製造魚はたががゆるんでいる。例えば,ANAが発注したボーイングは,北京五輪にも上海万博にも間に合わない。なぜか。主要な部品は日本製だが,納入されても組み立てられない。ストライキとアメリカ製の「ねじ」の所為。
原子力発電は,ウエスティングハウスガスでに東芝傘下。風力発電を建設するにしても,ほとんど日立。燃料電池,自動車はトヨタ,ホンダの先行者に追いつくのは無理。

消費は9月を境に伸びる。
去年の5月のGWはひどかった。ガソリン税が復活して,燃油サーチャージャーが高騰,旅行どころではなかった。今年は,高速道路1000円均一,ガソリン下落,9月に初めての5連休で旅行景気は伸びる。
10月2日に2016年東京五輪決定。
マドリッドはロンドンの次で不利。リオデジャネイロは,BRICs が不景気から回復するだけの力がない。シカゴは2016年にオバマが大統領でいるわけでないから。東京が予選1位なのは環境五輪をアピールしたから。ゴミを埋め立てた夢の島に木を植え,ヒートアイランド現象を緩和,1964年時の東京体育館の再利用など安藤忠雄の構想に,北京でゴテゴテに辟易したIOCが感激。
2010年1月高度成長期の記憶が。
押上に建設中の新東京タワーが1月1日に現在の東京タワーに並ぶ。
人々は思い出す。
保守合同,東京タワー,東京オリンピック。今回は4丁目の朝日を。
「景気は回復する」

ふむふむ。

2009年3月26日 (木)

書評会向けの図書選定

Savilnaという勉強会に参加している。次回は「書評会」である。
この書評会は,「書評を聞いたら読まずに済む」ことを目的としている。ぼくの選定基準は,平積みされているベストセラー。つまり,ベストセラーを読まずに語れるように参加者に紹介したいのだ。
現在の第1候補は『越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文 』(ディスカヴァー携書) (新書)だ。購入済みで,電車の中,寝床,ちょこちょこ読む。表紙に "I waited for fifteen minutes -- they seemed as many hours to me."と書かれていて,「あなたはこれをどう訳しますか」とある。じっと眺めていると「ぼくは15分待った,それは何時間にも感じられた」というように見えてきた。ちょっと意訳しすぎかもしれない。中には,「誤訳」する典型例で引っかかるのもある。そういう意味で,読み進まない。これでは間に合わないか。
もう1冊は,『ビジネス〈勝負脳〉』林成之だが,これは読了。引用箇所もほぼ付箋を貼り終えている。しかし,下手に引用すると,「それは面白そうだ」と購入されそうだ。悩ましい。

2009年3月25日 (水)

「まいげつ」「ブログが止まっています」

20日を最後に書かれていません,というメールをもらいました。
すみません,アップしていませんでした。遡ってアップします。

同時並行的にいくつかのことをやっていると,頭が活性化されているのか,混乱しているのか,わからなくなるときがある。
日本語能力試験の4級語彙に「毎月」があり,読み方として「まいげつ/まいつき」となっている。語彙表にあるのだから,漢字表記よりも「読み方」だろう。さて,4級というのは800語ぐらいを指導することになっているのだが。このレベルで,まず,二つの読み方を教えるべきか?それが「大いなる疑問」。次に,「まいげつ」を教えるべきか。これはレベルを超えた疑問。
この間,日本語ノンネイティブ職員から,部門間のメールの「ヒキ」について質問された。コンテクスト抜きに「ヒキ」を聞かれても,普通は「引き合い」などの省略形だろう。本文を読むと,留学生紹介の条件のことのようだ。
同字同義異音語や仲間内言葉は,難しい。

2009年3月23日 (月)

個人面談を開始

本日から,個人面談を開始した。2時間話した人もいた。日頃,思っていてもなかなかはっきりとは言えないこともあるだろう。お互いによい学校にしたいという思いで動いているが,それだけに,考えの違いははっきりさせたほうがいいと思った。
日曜日に開けるのはサービス業として当然という考えで,日程を組んだことを,わたしが変更しようとしたことが大きなきっかけだった。相手の言うことに理があるが,原理原則も曲げたくない。たぶん,会社を「公器」ととらえねばならない,という自覚はあるのだが,どうしても「私」しているようだ。だから,自分だけ土・日も出勤している。おそらく,土・日に出勤させて「嫌なやつ」と思われたくないのだろう。気が小さい。
今日は二人だけ,一人は3月中には予定がとれず,4月にずれてしまう。また,新しい仕事を引き受けるので,「出向」の話もしなければならない。内密に「快く」引き受けてくれているが,周りが大変だろう。あまり気は軽くない。

2009年3月21日 (土)

満年齢

「年齢計算ニ関スル法律」というものが明治35年に定められた。つまり,公的な年齢は満年齢によるというものである。「満」とは「端から端まで」ということで,3月21日8時生まれは翌年の3月20日の7時59分59秒99.....で1歳増えることになるが,時刻のほうはあまり細かくしても意味がない。頭が出たら誕生か,逆子はどうする。へその緒を切る前か後か,産声を上げてから?ということで3月21日生まれは翌年の3月21日午前0時で一つ齢を重ねる。4月1日生まれの桑田真澄が前年8月18日生まれの清原和博と同学年なのは,4月1日が入学式だとしてもその何時間か前には満6歳になっていたからである。
明治に法は制定されたが,相変わらず「数え」が普通であった。そこで,「年齢のとなえ方に関する法律」が昭和24年に制定され,「数え」で呼び合うことが「禁止同様」となった。このあたりの戦後は,自主的かどうかはともかく,全て西洋,米国流になっていく。韓国,台湾,中国では「数え」が普通だから,年齢を教えあうときに注意をしなければならないことがある。年上かと思ったら年下だったこともある。
満年齢が合理的だというのは,西洋流の考え方だ。母親の胎内ですでに生命は生物の進化の歴史をたどり始めている。東洋で生まれたときが1歳と考えるのは,それなりの考え方と言える。真の「誕生」が特定できない以上,以降元旦ごとに1歳加えるのもわかりやすい。誕生日にかかわらず,今の年から生まれ年を引いて2歳足せば「数え」になる。

2009年3月20日 (金)

ディベート

17日はSavilnaでディベートがあった。
社員さん二人と参加した。面白かった。プレイヤーとしては4年ぶりぐらい?ジャッジは2年ぶり。どちらも面白い。頭が熱を持つ。シナプスが活性化されるのだろうか。そのおかげで,自分の欠点を再度認識できた。「定義はしっかりしているか?」別の意味で言うと,常に「目指すべき方向を自覚しているか!」だろうか。

2009年3月18日 (水)

好事魔多し

今が絶好調というわけではないが。大阪弁で「ぼちぼち」と言えるぐらいか。
昨日,ソフト会社の社長が年末商戦で8万本のヒットを出した,と聞いた。それに比べると「まだまだ」か。
もっとも,いつも問題を抱えている。やはり最大の問題は人である。世間では「派遣切り」「ベア・ゼロ」「定昇凍結」と「不景気」「経営努力不足」「労働者の権利死守」の声が高い。幸い,低い人件費からスタートしたので,来年度昇級も考えているが,根本的な人手不足が解消していない。生産性が低い,とも言えるが。

2009年3月17日 (火)

前半主義

「仕事は前半主義」と習った。日程の5割の段階で70%仕上げておくという意味だ。そのつもりで進めていたが,残りの30%が進まない。ビデオの編集や学生の事故,欠席学生の指導,思わぬことが入ってくる。また,仕様変更で原稿の体裁が変わってしまい,当初の目論見通りに行かなくなっている。
しかし,やり始めたことは,きちんと結論まで行かなければならない。ただそれだけである。

2009年3月16日 (月)

引き受けるべきこと

進学先が決まって,在留資格を就学(日本語学校)から留学(大学院)へ変更する学生からの相談である。
入管へ変更申請を出した翌日別の大学院から入学決定通知が来た。本人は,後から来た大学院へ行きたい。親に相談したが,余分な金はないとのこと。先に決まった大学院の入学金は戻ってこない。アークアカデミーでは,在留資格が変更されたら,4月以降の授業料は返還する。それを先に返して欲しいと言う。その返還金を後から決まった大学院への入学金その他に充てたいという。
しかし,個別の例外を認めるわけにはいかない。個人的には貸しても良いが,表だって言うわけにも行かない。う~ん。

2009年3月14日 (土)

日本語教育能力検定試験で

日本語教育は,日本における「英語教育」から,または,特にアメリカにおける「英語教育」から新しい試みや手法を取り入れることが多いように思う。クラッシェンのナチュラル・アプローチ研究が20年ぐらい前にあったようだし,手元にある,『ナチュラル・アプローチのすすめ』が1986年の訳が初版で,表紙裏の著作権を見ると1983年だから,かなり以前のものと言える。もっとも,日本語教師養成講座では,第二次世界大戦中のASTPやその産物としてのオーラル・アプローチにも触れるので,それから見ると最近の研究になる。
クラッシェンは「ナチュラル・アプローチ」と名付けたが,平成9年度の試験問題で「自然法(Natural Method)」と引用され,これは,誤りでない選択肢とされた。提唱者が"The Natural Approach:Language Acquisition in the Classroom"と名付けたものが,引用者によって変更されている。また,ナチュラル・メソッドという カタカナ書きでは,一般に19世紀末のいくつかの外国語教授法を指すのが普通だ。
どうもこのあたり,「解答不能」問題を出しながら,1点差で合否を決めるシステムはに得心がいかない。
さて,『月刊日本語』は2月号から「目指せ!合格」という連載を始めた。4月号でクラッシェンの五つの仮説を説明しているのだが,クラッシェンの前著と順番が違う。「自然順序仮説」が2番目から4番目に変わっている。これって,著者(クラッシェン&テリル)の了解を取っているのだろうか。検定試験といい,対策連載といい,最後のところで信頼を得られないのはどうかと思う。

2009年3月13日 (金)

卒業式

今日は卒業式だ。45名の就学生と1年フルタイム(就学生と同じカリキュラム)で通った学生1名が卒業する。会場は,昨年と同じ浪速区民センター。在校生,卒業生,教職員が160名ほど入る。後20人増えると,ここも使えなくなる。時期的に,大相撲大阪場所と重なるため,運動会でお世話になっている大阪府立体育館は無理だろう。なんばパークスタワーの会議室はテナント以外に貸さないので,近くても不便だ。
卒業式の後は,学校へ戻ってパーティ,中華,ピザ,キリンの金麦,シャンパン,ワイン。70名ぐらいが,立錐には少し余地があるがとにかく全員立って,側を通るのが難しい距離で歓談。ぼくと先生一人が胴上げをされた。だが,この「低さ」では天井に足が着いてしまう。
卒業生は一様に出身校に愛着を感じているようだ。この輻輳が,次の学生を呼び込んでくれる。

2009年3月12日 (木)

ディベートをやるのだが

来週はディベートをすることにしている。岡野先生のSavilna塾である。「哲学的な論題にする」ということなので,哲学事典を持っていくことも考えたが,重いので,たぶんやらない。電子辞書は,韓日日韓もついている。中国語も,これは持っていこう。
おーっと。論題が来た。
論題1 人間は論理的に考えるべきである
論題2 放鳥トキに餌を与えるべきである
「~べきである」は当為,そうでなければならぬ,ということだ。つまり,例外があることを認めさせれば検証側(否定側)がジャッジから勝利をいただける,と思う。しかしながら,「論理的に考える」べきである,ということだから,「考える」という行為に「論理的」を求めているのであって,行動規範全てを「論理的にせよ」と言っているわけではない。極当然のことではないか。「考える」という行為は「論理」を積み重ねる行為以外の何者でもない。そうすると,提言者(肯定側)が有利のようにも思える。
「放鳥トキ」とは,どんな定義をするのか。ネットを見たら「放鳥トキ、本州側にもう1羽…新潟・胎内の水田で餌 : 環境 : YOMIURI 」なるページがあった。3月3日だ。しかし,この見出し「胎内」という「市」があるということを教えてくれるには,それだけで十分なような気がする。普通に呼んで理解できるのだが,その上のページが「繁殖に向けペア期待 MSN産経」となっていて,なんだかトキは哺乳類のように思ってしまった。これでは,ディベートまで辿り着くことはない。ともあれ,トキを野生化するのに「エサをやるべきではない」のか,絶滅種だから,場合によって許されるのか。

2009年3月11日 (水)

一人カラオケ?初めて

卒業式で,Kiroroの唄を唄うという。

2009年3月10日 (火)

責任をとるとは

民主党,小沢氏の秘書が逮捕されて単に「外形的」な違反でしかない,という言葉を聞く。もらったお金のでどころは知らないが,出したほうが法人だったということらしい。そんなことを「知らないはずはない」ということも聞く。
政治資金規正法がよい「法」かどうかは別として「認識」や「思想」で裁かれてはたまらない。「ある行為」は「ある思想」の体現だということが明確でなければ,「法体系」として成り立たない。小沢民主党代表が,どのようなシステムを「暗に陽に」構築し,それを利用しているからといって,「認識」があったと「強要」するようでは,民主国家,その以前の法治国家とは言えないだろう。訴求効を認めたいのは,色々な場面でわからなくはないが,公平とは言えまい。まして「認識」では。おそらく,検察側は西松建設元社長などの調書があるのだろう。しかし,「認識」が問題になるとは。そもそも,法律の作り方が杜撰だったのでは。
検察も大変だろうが,政治家に対する「官僚の反乱」と思うのは結構いるようだ。

2009年3月 9日 (月)

DVDが中国に届く

上海のホテルへDVDを送った。「中国へはDVDは送れないですよ」。中国人スタッフが言った。検閲が厳しいからだ。土曜の昼,送ったDVDが月曜には着いていて,その夜,入学説明会に使ってくれた。元々大阪校へ行きたかったらしい面接者が「大阪へ行きたい」と意志を固めてくれたようだ。学生が作ったDVDなので,効果も絶大。

2009年3月 8日 (日)

ドラえもん

劇場版ドラえもん『新のび太の宇宙開拓史』を三男と観る。仕事の後だから,4時30分の最終回。日曜だけどガラガラ。
多分,ドラえもんの「映画」はすべて観ている。末弟とは15離れている。彼がコロコロコミックを読んでいたときからだ。漫画は40周年を迎えるという。テレビは30周年。中国でも大人気だ。一冊買って帰ったが,子どもには「読めない」と不人気。日本の漫画はルビが振ってあり,日本人の「漢字力」に役立っている。

2009年3月 5日 (木)

部下に議論(反省)

日曜開業について。
日曜の開業が当たり前のように決められていく。別の日に変えたら,「いないところで決定するのはいかがなものか」。
お客様に良い方法(なのかどうか)。そう主って仕事をしている部下には,ぼくの態度はつらいらしい。
反省する。

2009年3月 4日 (水)

片方善治「戦略は現場にあり」

タイトルの書籍G届く。
悪い癖だが,食事をしながら読み,メモをとる。
「つらく,苦しいときにもいたずらに焦ることなく静かに時を待ち,自分を磨いてゆく。そうした姿が人間として尊く大切なのだ」

2009年3月 3日 (火)

脳の情報表現を見る

標題の書籍が,京都大学学術出版会から出ている。
不思議なことが「脳」についてはある。他人はともかく,自分でも,視覚情報として「驚くべき情報を」毎秒,毎秒受け取っている。ちょっと気にして,町を歩くと,デジタルテレビより「綺麗な」風景がある。「綺麗」というのは,きめ細かいという意味で,「美しい」ではない。
こんな情報量を,いくら私の頭が大きいとはいえ,残しているはずがない。もっと「薄い」,しかし大まかで,何かの時には照合可能なものを残しているらしい。「脳」の視覚イメージを外部の機器で取り出すことに「成功」したのも著者の京大チームのようだ。その実験結果が正しいかどうかはさておき,説得力はある。視覚で得られるような情報をそのまま貯蔵しているのではなかろうという仮説は頷ける。
我々が脳でしか「考えていない」のであれば,ドーパミンを出す=やる気の方法と,認識,評価,行動といった研究は確かに面白い。

2009年3月 2日 (月)

源泉徴収納付,固定資産税納付,消費税中間納付

本日は,固定資産と消費税の納付日である。
納税は,国民の義務とは承知している。源泉徴収は,国に変わって事業主が預かった所得税の予納分を納める。納付が遅れると「高い率の延滞税(以前は14.6%だった)」と「不納付加算税(気づいて納めれば5%,税務署から告知されれば10%)」が付く。遅れるとペナルティが大きい。働いている人は当たり前に感じているかもしれないが,不合理な制度である。零細企業が中小企業になるとき,10人以上の方が勤めるだろう。毎月10日に納付する手間(やっとe-taxでましになったが),計算する手間,総務・経理が一人以上必要になる。間接部門の肥大が始まる。
消費税中間納付も預かっている税を払うわけだが,支払った消費税との差額計算まですると「大変だろう」と昨年度実績の半額ぐらいを「通知」してくれる。ありがたいと言うべきか?
固定資産税は?どういうサービスを地方自治体はしてくれているのか。前の道路の整備か?水道代は別途支払っている。土地と建物を持っている,というだけで,そこに住んではいなくても払わなければいけない。昔,宅地建物取引主任者資格試験の講座を担当していたとき,3年連続口頭試問で司法試験に落ちたという講師から「孫文の平均地権」制度を聞いたことを思い出した。台湾では今もやっているらしい。「地価は所有者の自己申告制」で,それに基づいて課税する。国家が必要であれば,申告地価で徴収できる。確かそんな制度だった。
それなら,大阪校の3年は固定資産税ゼロ,去年ぐらいから支払始める。自分勝手な解釈だが,そのほうが合理的では?

2009年3月 1日 (日)

ビジネス〈勝負脳〉

林成之氏の標題の書を読んだ。
本には,ほとんど線を引かない。岡野先生の薦めもあって,最近は,ポストイットを貼り〈まくり〉ながら読むようにしている。標題の本は,旭屋難波支店で,平台に積んであったから,売れているのだろう。
そんな本を読むのだから,みんな同じことを言っているように思う。正しい(とは言わないが,成果を生む方策)は,同じだ。
本書の5章にある五つの力とは,
一,二つ以上の専門性を磨いている
二,たくさんの文化にふれている
三,知識を物語の絵や図にしてまとめることができる
四,自分の考えに執着しない力を蓄えている
五,否定的なニュアンスの”否定語”を使わないことと素直さを心情にしている
から導かれる,という。
脳医学の専門家である著者のことばは,ぼくの実感より重みがあるだろう。
「できない」と言ってしまっては,始まらない。「できる」ためにどうすればいいかそこから始めよう,

2009年2月28日 (土)

入管審査スピードアップ

この3月までで1年の在留期間が切れる学生の「在留期間更新」を25日の水曜日午後3時に担当者が出した。本日,その「更新通知」ハガキが到着した。更新審査は1日半で終わった。もちろん,出席率もいい学生たちだ。アルバイトの記録,国からの送金記録もはっきりしている。しかし,このスピードはどうだろう。進学が決まった,「在留資格変更」の学生たちも3日から1週間で「留学」に変更されている。

2009年2月27日 (金)

4月期生の在留資格認定証明書交付

本日,標題の件で大阪入管へ出かけた。37名申請したが,35名について証明書が交付された。交付率95%である。再申請のベトナムの学生も交付された。学力,日本語力重視の姿勢,流れ,留学生増加の流れに変わったことは間違いないだろう。アークアカデミー全校で,4月期生の不交付は大阪の2名だけ,他の3校は100%乃交付率であった。
6月3日の国会会期末までに,【留学】【就学】の在留資格の一本化,「出入国管理及び難民認定法」の別表の改正がある。日本語学校の学生も【留学】の在留資格になる。大学へ進学しても,「在留期間の更新」であり「変更」ではなくなる。アルバイトも「1日4時間」から「週28時間」になり,土・日に長時間のアルバイトをしても違反ではない。長期休暇中は,「週40時間」になる。その分,学期中の週日は勉強に専念することができる。留学生への環境は整いつつある。

2009年2月26日 (木)

成功発想塾

標題の研修に本日から参加した。
6カ月。毎月,6時間,
ぼくは,こうした研修で,自分の存在価値を確認している。ぼく(我が社が社会に受け入れてもらう,価値は)と問うている。社会が認めない,顧客がいない,商品価値がないのが,問題だ。地域の中で,受け入れてくださらないから。或る意味深刻。そうした状況も抱えて考える。「もし,必要とされていないのなら」,そうしたサービスを「売り物」とするのは,押し売り。
多分,「売り方」(自分たちの良さをどう見せるのかが,間違っている)が問題だと思う。「高い」「安い」だけで決まるわけはない。それだったら,リッツ・カールトンはない。と,思っている。

2009年2月25日 (水)

ビデオ編集その2

今やっている「ビデオ作成」は,日本語コースの中では,プロジェクトワークに位置づけられる。
カリキュラムを少し変えたい。
学生が「編集」する,来学期以降はその方向で。

2009年2月24日 (火)

ビデオの編集

卒業予定の学生たちがビデオを撮っている。その編集を任されている。失敗ばかりだ。
最近のパソコン,デジタル技術は,一消費者でもかなりのことができる。HDD搭載のデジタル・ビデ・カメラからは1~2分でパソコンに取り込める。その映像ファイルは,映像と音声が分離できる。音楽をかぶせると,ミュージック・ヴィデオになる。手ぶれしても,音でごまかせる。生の音だと,風のノイズで「下手」な映像も,街角紹介ビデオに化ける。「世界の車窓から」も音(ナレーション)を消すと魅力が半減する。元の鉄道の騒音を入れると,臨場感はあふれるが,万人が鑑賞できる映像にはならない。
映画で使われるカチンコの代わりに,B4大のホワイトボードに,シーンとテイク数を書いて頭出しをする。ところが,「アクション」のかけ声で,まだボードが写っているのに台詞を始める。だから,カチンコを消すと台詞の頭も切れてしまう。
撮影しながら,音声を聞いていないので,音量もまちまちになる。これを後から,音声と映像を分離して,音声のレベルを調整する。大きめに録れた音を下げるのは問題ないが,逆はノイズが目立つ。
素人作品だから仕方がないが,次回は,学生諸君に「編集」のところでも関わってもらえるよう,カリキュラムが組めないかな。いろいろな「現場の日本語」を覚えるいいチャンスである。

2009年2月23日 (月)

人とうまく付き合えない

140人を超えているので,そうしたこともあるだろう。年齢は重ねているが,自分の気分だけで行動する学生もいる。学校まで来て,教室に入らない。
ぼくたちは,そうした学生にどうすればいいのか。機嫌の良いときは授業に乗ってくるが,悪いときは,教室から出て行く。学則をたてに退学か?迫られている。

2009年2月22日 (日)

やってはいけないこと

1.書かなければならない原稿が,完全に終わっていないのに,本を買うこと。
土井健郞「『甘え』の構造」「新稿『甘え』今昔収録」を買ってしまった。第2読書室(大概の家にある)で開けてしまった。ダメだ,読みたい。読んではいけない。原稿を書け。
2.終わらなければならない作業(依頼されたこと)を終わってもいないのに,酒を飲むこと。
今日は,6組の学生達がプロジェクトワークの一環として,フリー・マーケットで販売を行った。朝から,荷物を会場へ運び,撤収,その間に,9組・10組のプロジェクトワークのビデオ制作の編集を行う,はずだった。Vistaはよくわからない。スライドショーのファイルを消してしまった。そこへ,担任と学生が,「校長先生,ご飯食べに行きませんか」。担任だけ行かせると,負担が一人にかかる。学生は,好きなことを言うだろう。少し分散をするか。想像以上に,学校を「好いて」くれている。しかし,最初の選択は,「授業料が安かったから」。そうだ,学校の良さを伝えるのは難しい。「語学は結局自分,だから,安いアークを選んだ」と言われると,今年値上げしたのは何だったのか。その後,カラオケへ。荷物運びの車は駐車場に置いたまま。ビデオは,スライドショーまで。あ~。やってはいけないことを二日も続けてやっている。

2009年2月21日 (土)

新幹線エクスプレスカード

東京出張は,東海エクスプレスカードで乗車券・特急券を買っている。東京の金券ショップの安値と同じ(新宿で昨日見たらジャスト13000円)大阪では,12850円で,往復300円出張費は高い。しかし,10回弱往復すると,1回グリーンに乗れる。
特に,金曜の会議は帰りがきつい。体はきつくないが予約がきつい。午後6時に新宿を出た場合,8時半ぐらいまで取れない。事前に会議の終わりを予測することもできない。エクスプレスカード+グリーンなら45分前ぐらいでも楽勝だ。できるだけ新大阪終点をとる。
グリーンはもう一つ,WEDGEという雑誌が無料になる。持って帰ることもできる。ビジネス誌で,東海地方中心の(取材元なり編集)の雑誌で,「違った視点」が,しかし,おそらく新幹線を利用するグリーン乗客がよく読む雑誌だと思う。今回「派遣切り:の受け皿として「農村」「介護」を掲げた「ばかばかしさ」を論じていた。その中に,大学,短大,専門学校で介護を専攻した学生達に,現場の就職担当者が,就職先として薦めていない,という部分が目に付いた。
日本語教育も同じだ。大学で,日本語教員を専攻しても,卒業のときに就職先として薦めていないらしい。給料が安いから。だったら,大学で日本語教員の資格が取れるなどというシステムはやめて欲しい。日本語教育機関の多く(まあ,本当に多くはないがぼくの周りの割と多く)は,待遇も上げたい(少しだけど上げている)という気持ちでやっているのに。
大学から,教育実習の依頼があるが,応じていない。一人1~2万円でと言う。それでは預かれない。うちの教師養成コースの受講生は,総合申込で実習部分について7万2000円いただいている。単科申込(というか再履修だと)84,000円。大学は,ぼくらより高い授業料を設定しているはずだ。何を考えているのだろう。
小学校や中学校などは本当にそれで実習生を預かるのか?そう言えば,小学校の時に「教員実習生」の「超お姉さん」が来ていた。受け入れた側は大変だったんだろうな,と今更に思う。子どもは,「おねぇさん」と一緒に給食を食べるのが楽しかったが,それぐらいの記憶しかない。みんな,武庫川女子大で,制服で実習をしていた。まぁ,子どもにはわからなかったが,上甲子園小学校と武庫川女子大ならほとんど町内会のレベル。

話を元に戻す。派遣→契約解除の人達を受け入れるのは「難しい」という「介護の現場」からの意見。一つは,「すぐ辞める」のが2割。二つ目は,研修後に居着かない。これは日本語教師も一緒。ここまでしなければと思うのだ。好きならできるが,「労働=時間の対価」ということがあるらしい。10分の残業もできないという。
三つ目は,工場で機械を回す仕事と人間相手の仕事の違い。マニュアルがない。あるけどない。ここで,ぼくは,介護と日本語教師は「まったく同じ」と感じた。人間相手にする仕事は,「難しい」けど「面白い」し「楽しい」とさえ言い得る。そこに仕事の妙味を感じられない人にはできない。

お~い。人間と人間の協同作業も葛藤も,いつだって,どこだってあるだろう。ぼくもよく落ち込む。反省をする。許してくださる社員さん(実は一番迷惑をかけているのは家族だ)がいるから,やっていける。最初から逃げていて,どうする。「頑張ろう」と言ってはいけないという「ケア」の話に,また落ち込んだ。

2009年2月20日 (金)

マルウェア

9時17分新大阪発のぞみに乗っていた。大阪校から電話があり,クレジット会社の管理部へ連絡して欲しいとのこと。名古屋を過ぎて電話をしたら,昨日夜11時ぐらいにサイトで米ドルで買い物をしていないか?との質問。NHKをオンデマンド(月525円)で見たいので丁度その頃申込をした。しかしアメリカのサイトへ入っていない。セキュリティーでは痛い思いをしたこともあるので,大丈夫なはずだが,その頃カード番号を抜き取られたのかもしれない。1週間かかるそうだ。定期引き落としも連絡し直す必要があるらしい。カードは便利だが,こういう時は怖い。
昨日のNHKニュースを再度見たくて申し込んだのだが,やぶ蛇だった。三重の中小企業は別途調べることにしよう。

2009年2月19日 (木)

理念委員会例会・NHKニュース

前者は,びわこホームグループ代表の上田裕康社長の講演92分間。後者は,その後9時からのニュースで,「人に投資,社員が知恵を出す中小企業」。
上田社長とは5年来の知り合いだが,「泥臭くても社員さんを守る」のが「社長の使命」。だから,お客さんの前でも「社員さまをすぐ叱る」し「すぐ褒める」。「独立して最初に売った一棟のおうちの息子さんから去年注文をもらった」など,「8時半が規則に基づく出社時間だが,7時45分から社長をハジメとして,全員が掃除をする社風」だという。常務,課長と一緒に来たから,もちろん法螺ではない。そんな人でもない。「蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る」。初めて理解した気がした。泥臭い,生々しい会社に,泥臭く,熱い人達が集い,3社33人で16億弱を売る。甲賀市,湖南市など人口25万の旧甲賀郡地域で。売上総利益が5億強,一人あたり売上総利益が1700万,一人あたり経常利益が450万になる。商域の88%の売り土地を握る。年間着工件数(住宅)は6年連続トップ。セキスイハイムも三井不動産もかなわない。そんな上田も創業6~8年目にダンピング競争に巻き込まれ,粗利無しで商売を続け,倒産寸前に陥る。資金は回らず,そんな上田を見た高木現常務が,「わたしの預金を使ってみんなの給料を出して」とJAの通帳を差し出したそうだ。そのとき,上田は社員を,命をかけて,守ると誓った。それが,びわこホームの経営理念である。
しかし,一人あたりの販管費が1300万強というのもすごい。店舗は確か3~4店。滋賀県で家賃も,いや,固定資産税か,たいしたことはないだろう。広告費か。これは一人あたりに直すとおかしい。年間6000万ぐらいか。そうすると,給与が500万円平均。その他,販管費が300万?いや給与は600万平均と見るべきだろう。モチベーションは高くなるはずだ。

2009年2月18日 (水)

プロダクト・アウトからマーケット・インへ

日本語科,教師養成講座ともにリノヴェイトする要素が多くなってきた。100年に1度の不況,円高,需要の収縮。知恵を絞る必要がある。
拡大経営会議のメンバーがいろいろなアイデアを出している。ぼくも,ここ10年ほど,いろいろな研修で習ったことを思い出しながら,考えている。
先週,Savilnaの会読会で,PCゲームソフトのS社長,ペット(犬)向けの商品を扱うY社長とぼくのところは,「なくなると困る人がいる市場を相手にしている」と言われた。PCゲームは,それがなければ困る「オタク」が対象である。もはや「ペットがいなければ困る」人たちがかなりの人数になっているからY社長のところも業績がいい。ぼくのところは,日本語を習得しなければ困る人たちがいるからだと言う。確かにそうなのだが,自分たちが両側の立場なので,この時期日本語教師も「なくては困る」と考えているのだが,「日本語教師の知識,技能,資格」を身につけ「なくては困る」と考えている人は多くないようだ。
日本語を習得しなければ困る人たちというのは,例えば,インドネシアから日本へ来た看護師,介護福祉士の人たち。身につけなければ,日本の国家試験は受けられず,3ないし4年後には国に帰らなければならない。こういう人たちに日本語を教えなければ行けないが,経済産業省の出しているハードルは高く,また,ある種の「規制」が施されている。
また,中国では大卒者が就職難で,日本語学校の募集でも大卒者が増えてきた。大卒者は,「人文・国際」(通訳が多い)という在留資格で就労が可能である。そのためにも,「日本語が話せる」必要がある。これから先も,中国からの留学生はそれほど減少はしないだろう。
今までは,日本語教師養成と日本語が両輪だった。しかし,教師養成がストップしている。日本語をやっているところは,横ばいか部分的に上向き。すべてを留学生向けの施設にするには,資金が少ない。自社所有の土地・建物でないと日本語学校の認定が得られないからだ。これも規制だ。まあ,経営的に言えば,自社所有のほうが安定するが,利益が出るまでには4~5年かかる。今の時期,それほど借金をすることもできない。

そこで,イノベーション,リノベーションの出番になる。いろいろな案が出ているが,「不況になると,日本語ブームになる」と調べた者もいる。そのブームは,どう生かせるか。
また,松下幸之助は「不況またよし」と言ったそうだが,Panasonicは今回大規模な人員整理を計画している。幸之助は,【不況克服の心得十カ条】として,以下のものをあげている。
第一条 「不況またよし」と考える
第二条 原点に返って、志を堅持する
第三条 再点検して、自らの力を正しくつかむ
第四条 不退転の覚悟で取り組む
第五条 旧来の慣習、慣行、常識を打ち破る
第六条 時には一服して待つ
第七条 人材育成に力を注ぐ
第八条 「責任は我にあり」の自覚を
第九条 打てば響く組織づくりを進める
第十条 日頃からなすべきをなしておく
ぼくたちの原点は何だろう。「検定対策」「資格対策」かもしれない。少なくとも,ぼくは,平成4年の6月から翌年1月に実施される「日本語教育能力検定試験」対策講座を始めた。3月に扇町で「日本語教師養成講座」を始めたから,まもなく18年。翌年4月から6月まで実践演習科を聴きに渋谷校(渋谷ビジネス会館)へ通った。ドラマ『高校教師』をやっていて,頭の中に森田童子が住みついていたような気がする。
どんな「志を堅持」すべきか。22回前の日本語教育能力検定試験は,参考書もなく,日本語教育事典を引き引き勉強したそうだ。アークアカデミーは日本語をすでに教えていたが,その当時「資格」なるものはなかった。だから,検定演習科に取り組んだのだが,最初はIさん一人だった。本科(今の理論編)は,二人だった。だだっ広い,扇町高橋ビルの教室でぼくを入れて3人だった。
元へ戻ろう。マーケットは何を欲しているのだ。顧客のニーズは何なんだ。少なくとも顧客はマスではない。「日本語を教えたい」顧客と「資格が欲しい」顧客がいる。一度に両方を満たそうとすると中途半端になる。本当に「日本語を教えたい」のだろうか。日本語学習の支援を通じて,顧客たちは何を達成しようとしているのだろう。嘗て,そして今も顧客側にいるはずなのにしっかりと掴んでいないのではないか。
革新,再生したものの,顧客のニーズが見えていないということもあるらしい。
クレイトン・クリステンセン著、玉田俊平太監修、伊豆原弓訳 『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』 翔泳社

2009年2月17日 (火)

他人の声

中川財務大臣の辞任について,世の中が喧しい。
自分の会社,学校ではどうなのか。

答えられない。

「予算成立」というのが,あるらしい。麻生総理もそしてその後もその尺度で決められるらしい。変だ。議院内閣制にもかかわらず,それも与謝野が兼務?

ヒラリーも変だ。ゆっくり,じっくり見ないと,間違えそう。

2009年2月15日 (日)

アンケート。記名,無記名。

「わが社の強み」を果たしてきちんと把握しているだろうか。今回,ここ3年の間に入学して下さった方々に日本語教師養成講座,選択のポイントをアンケートすることにした。
まず,往復葉書を作成し,送付した。近畿の分は,本日印刷・投函。しかし,日曜日の出席者には手渡しをした。無記名の方が記入しやすいだろうと考え,氏名欄はない。しかし,学籍番号を変換した記号をつけてあるので,地域,年齢などは回収時に確認できる。変換には,エクセルのユーザー関数を使った。

学籍番号の該当桁をアルファベットに変換して4文字につなぎ合わせる関数
Function StudentNumberToFourCharacter(StudentNumber) '引数,学籍番号
tmpc = StudentNumber '変数名が長いので一時変数に代入
StudentNumberToFourCharacter= ConYe(tmpc) + ConSc(tmpc) + N2Al(tmpc) + N1Al(tmpc) '連結
End Function

Function Num2Alpha(NotAlpha) '1~0の数字をアルファベットA~Jに変換する
Select Case NotAlpha '引数 数字,戻り値 アルファベット
Case 1
Num2Alpha = "A" '1ならAに
Case 2
Num2Alpha = "B" '2ならBに
Case 3
Num2Alpha = "C" '3ならCに
Case 4
Num2Alpha = "D" '4ならDに
Case 5
Num2Alpha = "E" '5ならEに
Case 6
Num2Alpha = "F" '6ならFに
Case 7
Num2Alpha = "G" '7ならGに
Case 8
Num2Alpha = "H" '8ならHに
Case 9
Num2Alpha = "I" '9ならIに
Case 0
Num2Alpha = "J" '0ならJに
End Select
End Function

Function ConSc(StudentNumber) '学籍番号,学校部分の桁をアルファベット一文字に変換
ChNum = ((StudentNumber - (StudentNumber Mod 1000)) Mod 10000) / 1000
ConSc = Num2Alpha(ChNum)
End Function

Function ConYe(StudentNumber) '学籍番号,年度の桁をアルファベット一文字に変換
ChNum = ((StudentNumber - (StudentNumber Mod 10000)) Mod 100000) / 10000
ConYe = Num2Alpha(ChNum)
End Function

Function N2Al(StudentNumber) '学籍番号,10の位の桁をアルファベット一文字に変換
ChNum = ((StudentNumber - (StudentNumber Mod 10)) Mod 100) / 10
N2Al = Num2Alpha(ChNum)
End Function

Function N1Al(StudentNumber) '学籍番号,1の位の桁をアルファベット一文字に変換
ChNum = StudentNumber Mod 10
N1Al = Num2Alpha(ChNum)
End Function

日曜日に出席者の半分が,記入してそのまま下校時に提出してくれた。
これって記名じゃん。

2009年2月14日 (土)

ディスコミュニケーションのコミュニケーションというアイロニーの『壁を壊す』

昨日は,"Savilna"という勉強会の2回目で,会読会だった。この会読会の目的は,主宰の岡野先生が,「ほかの人が買わなくてもいい,読まなくてもいい」ように,書評を「口換(多分今作った造語.互いに語り合って分け合うぐらいの感じ)」するものである。レジュメと口頭発表で,参加メンバー各自の読書時間の節約をする書評会である。「よし,わかった。ありがとう。その本,もう読まなくて良い」と言わしめるのが目的である。
ぼくは今回『壁を壊す』を取り上げた。参加したメンバーの方々が,読まずとも他人に「読んだ振り」ができるように,引用し,ページ数をあげ,最初と最後に,本書にまつわる身の回りの出来事と,反省を配置した。もし,この本を読んでいなくても,ぼくも十分に「読んだ振り」ができる。著者,吉川廣和氏の努力,栄光も語れる。このレジュメを一般に配布すれば,多くの朝礼で引用してもらえるだろう。あれっ,このレジュメが引用ではないか。著作権法によると,言語による著作物では慣習に基づく引用が適法だとされている。その「慣習」では,引用が新たな著作物の過半(つまり50%以上ですね)を占めてはいけないらしい。ぼくのレジュメは,行数を数えるまでもなく,原著からの引用のほうが多い。費用も徴収しない,特定少数の昨晩のような会合では,個人使用の「複製」(言語による著作物はタイプし直しても複製だそうだ)としては著作権者の了解を得なくても良い。しかし,一般に朝礼に使ってもらおうなどと不届きな動機で「配布」するのはどうもまずいようだ。これは中止。

会読会の後で,参加者と会食。その際「宮さんのブログはディスコミュニケーションやな」という指摘を受ける。「コミュニケーションを拒絶している」。なるほど。どちらかというとわかる人だけわかれば良いというブログになっている。それはそれで,このブログの一つの要素だが,ごく普通に「わかる」ように「述べる」ことは,基本中の基本。大いに反省した。そうしたことを言ってくださるのは,大変ありがたいし,「読みにくいブログ」を読んでいただいているというのもありがたい。

『壁を壊す』も肯定的に読めば,経常利益50億を7年で500億にした,老舗企業を再建した社長の真摯な報告と読める。社長職から会長職へと一定のキリの付いたところで,5000人の社員さんへのオマージュとみるべきか?おっと,これはおかしい。会社は「社員の夢や生きがいを約束できない」というのも吉川社長の台詞(というかゴシックになった見出し)である。仕事というのは,きちんと決められたことを無駄なくやろうね,というメッセージだけだ。
だから,批判的に見れば,「再建社長の自慢話」になる。これは来島ドックの坪内寿夫に対する世間の毀誉褒貶をリアルタイムで見てきたぼくにとっては,注意すべきところでもある。この坪内寿夫についてさらに,今回のブログで語るのが「コミュケーション」なのか,そうしないのが「ディスコミュニケーション」なのか。ぼくは,後者をとりたい。

しかし,コミュニケーションを拒絶する,またはそのように振る舞うのもまたコミュニケーションであるというのは,いささか滑稽だ。人間が,言語,または非言語を用いて,かくも他者と関わりたい(もしくは関わりから逃れる)というのは「病的」である。「病んだ」動物が人間である,というのが,人間論という意見も傾聴に値する。

どうやら,午前様になると,言葉を弄ぶようだ。

2009年2月13日 (金)

20年前,ヨーロッパにて(不連続,その1)

19年前の今頃,当時パリ第8大学大学院へ留学をしていた15歳の時からの友人,松葉氏(現神戸看護大学倫理学教授)を訪ねた。ベルリンの壁が壊れた直後で,二人で,フランス・ドイツ・オーストリア・ハンがリー・チェコスロバキア・ポーランド・東ドイツをわずか3週間ぐらいで回った。
20年前に一度,パリには訪れていて,そのときは,今は亡き父と松葉夫妻とミシュランの三つ星レストラン巡りという「贅沢三昧」にふけっていた。その1年後の2月に,再びパリを訪れたぼくは,今度は,彼のガイドで中欧を巡ることを企てた。今回は,「学生」旅行,事実,松葉氏は院生だったので,全くの嘘ではない。しかし,ぼくが学生ではない(学生の身分証明がない)ので,学割切符を買うことができず,とにもかくにも日程を立てて,ギャルドレスト(パリ東駅)からミュンヘン行きの列車に乗った。
屋根の角度が鋭角になってくると,シャンパーニュ地方である。名ガイドである松葉氏は,ぼくに,フランスの地図を教えてくれた。コルシカ島を除いて,フランス本土は六角形で表される。上の3点の中で対角をなす点を結んだ線と真ん中の頂点から下へ下ろした垂線の交点あたりがパリだそうである。ぼくたちは,そのパリから地図で,先ほど引いた水平線上を走っているらしい。今走っているシャンパーニュを過ぎるとアルザスに入る。
そして,アルザスの中心都市がストラスブール。そのストラスブールを過ぎたあたりでとっぷりと日も暮れ,ライン川を越えると西ドイツである。ドーデーの「最後の授業」に思いをはせることもなく,町の明かりの変化に目を見張る。アルザス地方がフランスなのか統一ドイツ領なのか,少なくとも,照明はフランス領のようである。白熱灯の色なのである。ところが,ラインを渡ると蛍光灯の色に変わる。フランス人は,蛍光灯色を好まない。レストランでもろうそくの明かりに近い照明が好まれる。また,暗い。ドイツ人は電気代の安い蛍光灯を好む。このあたりは,日本人の感覚に近い。
ミュンヘンに着いて.列車を変える。夜中のミュンヘン駅をうろつく。キオスクは閉まっているが,雑誌がガラス窓の中に貼り付けてある。日本では,刑法違反になる図画がそのまま飾ってある。多分,妻とこの前を歩くと嫌がるだろう。

本日の会読会で久しぶりに,パリ第8の名前を見た。ぼくは,サン・ドニ(パリ市内ではない,パリの北側)のキャンパスに行ったことはない。今日思いだしたけど,特に行きたいと思ったこともないし,今もない。なぜだろう。

2009年2月11日 (水)

嶋野榮道老師の講演会に参加する

本日は標題の講演会に参加した。
第6回である。大阪である。ぼくは4回。去年,出席できなかった。
老師は,1960年ハワイに渡り,1964年にNY。NYに禅寺を作った人である。もはや米国籍の「日本人」である。だから,現首相についても「外にいる人間ですから」と手厳しい,というか,ごく普通にお話をする。現首相の名前すら挙げないが,聴衆にはわかる。こうした,物言いは,日本語の特徴なのかもしれない。大切だ。
今回とても面白かったのは,アメリカの歴史,年代も含め「記憶にとどめておいてくださいね」という部分だった。
リンカーンが奴隷解放宣言をしたのは1863年,南北戦争の後である。これをお「記憶しておいてください」と老師は言う。なぜなら,簡単な足し算だが,それから100年後にマーチン・ルーサー・キング牧師が,バラク・オバマ大統領も通ったワシントンDCのリンカーン広場で演説をした。"I have a dream." と。その演説を老師は引用した。
Go back to Mississippi, go back to Alabama, go back to South Carolina, go back to Georgia, go back to Lousiana, go back to the slums and ghettos of our northern cities.
I say to you today, my friends, so even though we face the difficulties of today and tomorrow. I still have a drem. It is a dream deeply rooted in the American dream.
I have a dream that one day on the red hils of Georgia, the sons of formere slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.
一部,訳してくださった。
オバマと「仏教」と因縁についても,人間の「意味づけ」を最大限生かした講演だった。老師を見ていると,正しいものと誤ったものの差は,「人」の埒外であり,強く念ずれば何でも叶うという,また勇気をいただいた。

老師は,今年喜寿である。

2009年2月 9日 (月)

力がない,焦ります。

自宅に帰って,ブログを更新しようとすると,ネットワークにつながらない。

もう,焦る。

今日は,それだけで退場。
1日何をしようとも,ネットワークの点検もできないのでは,「誤変換」で許してもらえることではないだろう。

すみません。 

2009年2月 8日 (日)

スライドショー

学生たちの卒業制作を手伝っている。

入学以来のデジカメのデータから写真を選ぶ。(学生)
画面に表示するコメントを書く。(学生)
BGMに使う,曲を選ぶ。(担任)

グループは七つ。各10枚。Corel Video Studio 12でスライドショーを作る。

全編を通してアンジェラ・アキの「手紙」を流す。

2009年2月 7日 (土)

松岡正剛

『誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』→『17歳のための世界と日本の見方』と読む。
『誰も知らない~』が,講義形式で,『17歳~』を読んだ前提になっていたから,順序は逆。
http://d.hatena.ne.jp/a-kubota/20080725/1217000222というブログもあるぐらいだから,本書について語る必要はない,かもしれない。

イエス・キリストがユダヤ教徒というのは,面白かった。言われてみればそうだ。ゴータマ・シッダッタが仏教徒ではないように。マルクスとエンゲルスは共産主義者?18~19世紀には,「社会主義」「共産主義」なるものが,ヨーロッパを席巻していたそうだから,「共産主義者」かもしれない。麻原某も「オウム真理教」徒ではない。「徒」はその教えを受け継ぐものだ。

松岡の2冊は,講義調で「比較的」読みやすい。しかし,迂闊に読むと「読み過ごしてしまいそう」な著作である。実際に『17歳~』は帝塚山大学の1回生向け講義を書き直したものだそうだ。『17歳~』を昨日読了したからかもしれないが,「あはれ」が「あっぱれ」となり,貴族社会が武家社会となる,辺りは言葉の周辺を生業としているものには興味深い。
タイトルから少しずれてしまうが,「ハ行転呼」が成立したのが,平安末期から鎌倉ということで,音価「アワレ」が「アッパレ」に変化したとは考えにくい。東国語として促音添加の「アッパレ」が先にあり,語義変化したとみるべきかもしれない。古語「あは」は感動詞と見るべき,という説がある。まさに,現代語でも「あぁ」というので,これも有力。「あはれ」が「哀れ(憐れ)」「天晴れ」の両義に分岐したとも考えられる。

益々,タイトルから離れるが,現首相は,統合失調にも見える。「閣僚だから郵政民営化に(表だって)反対しなかった」が「本当は反対」で「主務官庁の大臣」だったが,「郵政民営化担当」大臣ではなかった。あっ「民営化」前は,主務官庁とも言えないか。監督省?
タイトルに戻ると,果たして,今の日本は「正反融合」なのか「多主義並立」なのか,どの道を探ろうとしているのか。ガザに飛んだ小池百合子は「どんな日本」なのか。ローカリゼーションというグローバリゼーションのアンチ・テーゼはどれほど有効なのか。その中で「日本語教育」は何を担い,どこを目指すのか。考えることは多い。

2009年2月 6日 (金)

研修その後

本日,年末研修の講師,寺田氏が来校した。
1カ月後にこのようにフォローをする。営業の原点だ。顧客接点を増やす,改めて教えていただいたようだ。
年末研修について,賛否両論らしい。研修を「知識」や「技能」を中心にすえると,「否」なのかもしれない。そうした,仕事の効率だけではない,というのがテーマだったはずだ。「ライフ・ワーク・バランス」。そんなのは,個人が考えることで,組織には必要ないという意見かもしれない。しかし,そうした社員さんに,ぼくたちは松下幸之助の昭和7年5月5日を伝えなければいけない。この日は,松下電器の真使命の命知の日であり,「250年計画」を発表した日である。昭和4年の世界大恐慌の中でも,社員さんの首を切らなかった,という伝説を持つ松下電器産業。今回,1万5000人に及ぶ人員整理計画を発表したパナソニック。色々と考えることはあるかもしれない。
しかし,細々とした,日々の仕事の「知」や「技」も大切だが,アークアカデミー100年の計に考えを及ぼすとき,組織が「明るく,優しく,楽しく」なるほうがはるかに重要だ。
ともあれ,寺田氏は,京都市の予算で無料参加できる自分の研修が5回あるので,「京都まで来ていただくことになるのですが」という前置きがあるもののさらなる「研修」の御招待を受けた。ありがたいことである。

2009年2月 5日 (木)

2月5日

再スタート。
落ち込む暇はない。原稿は今日は3行。焦る気もあるが,今週の日曜と来週の水曜は大量に書ける。もちろん明日も少し。

三つの原稿を同時に書くと,とても面白い。「心理学」にこんなこと書いたなぁというのが「語彙」につながったりする。
例えば「シーリング」。ほとんど「上限」という意味で,国会などで使われる。本来の「天井」という意味より限定されている。しかし,電気屋さん達(そういう意味で,大阪経営研究会や倫理法人会の皆様に感謝。知らない世界を教えてくれる)には,本当に「天井」という意味で使う。
これを「シーリング効果」という使い方が,テスト理論や心理学である。聞くとする(見る)が大違いなのである。テストの100点は100点以上が測れない,という意味である。
「シーリング」は残念ながら,1万位以内に入っていない。しかし,だいぶ前から,財務省(大蔵省)は「シーリング(天井,上限)」と言っている。多分,フロアーを知らないのだろう。

あれぅ,千日行が途切れている。

在留資格に関して書いたブログが反映されていなかった。

千日行は途切れた。仕方がない。また積み上げよう。

それどころか,ブログも半分になっている。「能力の低下」とはこういうことか。

出直しだ。

在留資格を「留学」へ一本化

先週金曜日の閣議後,法務大臣の記者会見で「出入国管理政策懇談会」からの「留学生及び就学生の受入れに関する提言」という報告書について,報告がなされた。

それを受けて,(財)日本語教育振興協会の佐藤理事長からファックスが届いた。

2009年2月 3日 (火)

ポトラッチ

節分の恵方巻きは,今や全国的習慣になっている。2004年に東京での研修に6カ月通った。そのとき,西葛西のセブン・イレブンで恵方巻きを売っていてびっくりした。関西だけのものと思っていたからだ。
3年前から恵方巻きを学校で配っている。3年前は土曜日で,教材実習生と交流会参加の学生だけだから数も少なかった。去年は日曜日だったので,同じように土曜の交流会で配った。しかし,今年は平日で,学生+職員は160を超える。
朝のクラスは休憩を利用して先ほど配り終えた。とはいうものの,教室の担当者が「今配らないで,食べるから」と悲鳴を上げるので,取り敢えず,教卓の下に入れた。

標題は,筒井康隆の「ポトラッチ戦争」を思いだしたからだ。3階では「皆さん,校長先生に『ありがとう』を言いましょう」と「ありがとう」の唱和をされて,妙に気恥ずかしい。一方で,相手に有無を言わさず「贈り物」をするポトラッチならば,死者の出ない戦争のようなものである。「民主主義」をプレゼントする合衆国は,核兵器を爆発させたが,あれはポトラッチではなかろう。

「~さんの授業料が寿司に化けたわけですね」。言い得て妙である。遅れてきた学生に寿司を渡す担当者は「何のためですか?」と聞かれ,「それは,~さんが幸せになるためよ」と答える。なるほど。

3月9日校了予定の原稿が3分の2仕上がった。

2009年2月 1日 (日)

書評とは別に...

会読会は2週間後だ。週末,書評のために再読しようと思っていた。「それ,面白そうですね」と社員さんが言う。『壁を壊す』。バリバリのビジネス書だぞ。ぼくは「いいよ。読めば。でも2週間後に書評を書きたいンで,できるだけ速く返して。」情けない。

読み返す本がないので,別のものを読む。原稿も書く。今日は,そこそこ進む。『金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った』安部芳裕,いい加減な「反ユダヤ本」かと思ったが,かなり,まともな本のように感じる。
そのついでに,その前から読んでいた『世界と日本のまちがい』松岡正剛も読み進む。両者は重なるところがかなりある。

「ちえ熱」状態だ。ぼくは,よぎるを「横切る」と書くぞ。フジテレビめ。

2009年1月31日 (土)

迷惑メール

自分が差し差出人で,迷惑メールが自分に届くという「社員さんの苦情」をもらう。

会社のメールアドレスで,個人のメールアドレスではないから,原因は会社,という解釈もあるのかもしれない。

半分正しい。arc-academy.co.cjp というURLを「隠す」ことはできない。その前に@をつけて,適当なソフトを組めば,幾万通りのアドレスのチェックができる。そして,迷惑メールを送りつけ,「転送不可」とならない限り,そこへ送り続ける迷惑メール。そのとき,差し出しを「偽装」しても,e-mailのシステム上,「搬送」拒否はできない。

この不快から逃れるためには,「目に触れない」ような迷惑メール対策しかない。スパム・メール対策のソフトを使う。

ぼくが Gmail を使うのはそのためだ。おかげで,「迷惑」と判断された500/1日のメールは目にしなくても済む。ただし,1,2ぐらいは読まなければならないめーるが「迷惑」へ行く。

この設定が,会社の他の人達と「違う」らしいので,お互いに今のところチェックできている。少し「不安」だが,今のところ重宝している。

2009年1月28日 (水)

理事会が続く

本日は,自宅の区分所有建物の管理組合の理事会である。
なにせ,築後25年を超える,しかし小さな建物である。大規模修繕費など7,500万円以上を10年ぶりに使う。それを出席5名ぐらいの理事達と決める。

もう,20年以上もこのうち5人が「定番」である。ほかに,誰も,理事をしない。総会も97%が委任状だ。「投資物件」としてしか考えていないのかもしれない。

金融危機で,こうした人達が「ババ」を踏むのは勝手だ。だが,ぼくは,自分の持ち物に関心を持つ。門外漢かもしれないが,建築・設備の人達の意見を聞く。クラック等は20年ぐらい前に覚えた。アルカリ質なコンクリートが,鉄筋や鉄骨を「錆からまもる」ことも知った。

しかも,「高いかもしれない」と常に「値切り」,「合い見積をとる」。そうした「努力とも言えない当たり前のこと」に「なぜ」興味を失っているのだろう。

岡野塾塾長の「マ・キ・コ」の原則(忠実に,肌理に,凝る)を教えていただき,営業(お客様との接遇)に少し進歩があったと思うぼくだ。

でも,自分のすみかについては,教えをいただくなくとも気づく。毎月,管理費を払うわけで,集合住宅が「古く」なればなるほど,資産価値の「維持」を考える。だって,自分の家だろ。できるだけ「高く売れる」ことも必要じゃん。

理事は無報酬である。定款を変えて「報酬あり」にしますか,という冗談はいつも理事会で出る。そんなやつが出てきたら,総会で,キッチリ「測って」やる。本当に報酬相当の仕事をしているのか。しかし,ボランティアだからと言って,「自分の家」について,「手は抜けない」。抜けるはずもない。
最近の「皆様」は「欲がない」のかなぁ。住環境をよくする,そんなに「欲」と呼べるものではないと思うのだが。

2009年1月26日 (月)

中谷巌の変節

日系BPのDMが来る。
今日は,『なぜ私は変節したか?』という書籍について,著者インタビューが面白い。「米国的な改革をすればよくなるとナイーブに信じていた」という下りが,ぼくにもわかる。ある時期,少ししかない根拠を元に,特定の言説,主義に傾倒してしまうとき,その合理性のなさがナイーブなのである。
中谷は引用する。「コマツの坂根正弘会長にお会いした時、彼はこう言っていました。『雇用保障のない人たちの給料が正社員よりも低いのは不平等』と。」野球選手など雇用保障がない場合,もちろん,特殊な技能があるからだが,給料は高い。それに,実は,派遣などは「雇用調整しやすい」から給料は高いはずだ。かつてはそうだった。そうした観点を外すと,未曾有の経済危機の本質を見誤るように思う。

何年かぶりに週刊ダイヤモンドを買った。昨年8月に発行されたJALの優先株がいきなり無配になるかもしれないと言う。証券市場が疲弊している。東証マザーズ公開第1号のニューディール(現社名)は株価1円だそうだ。証券会社は中谷のように「変節」はしない。変節しないことをもってよしとする風情すらある。
「変節」は,オバマが言う "change" であり, "chance" である。その認識は正しいのだろうか?人が変われば,党が変われば「変節」ではないと言えるか?その意味で,アメリカ合衆国は,「反省」も「変節」もしていないと見るべきか。

2009年1月25日 (日)

「ワタミ」と『青年社長』

先週の木曜日,新春経営者セミナーで「渡邉美樹」の90分の講演を聴いた。
25年の間に,ワタミ・グループを造り上げた,という印象しか今まで無かった。別に立身伝中の人間に嫉妬心を覚えるということでもないが,「夢をかなえるゾウ」のような成功体験談程度の認識で聞く予定だった。

講演タイトルの「夢に日付を」も,そうした予想を支えた。もちろん,ぼくは,ぼくの身の丈にあった経営を考えると,やはり,少しかけ離れた人物を想像していた。確かに,かけ離れテイはいるのだが,予想は完全に裏切られた。
まず,講演の最初がスクール・エイド・ジャパン(SAJ)のビデオ。渡邉はカンボジアに108の学校を作っている。そして,孤児院を今度建設した。まず,現状報告と,募金の要請だった。
続けて,「夢に日付を入れて」も,「夢が叶うというわけではない。90%は運だ。」とも言った。

講演でも触れられていた,高杉料の『青年社長』を買って読んだ。膨大な実名の中で,渡邉に融資を断った三菱銀行の融資課長の名前が違うのだそうだ。講演では,その課長の実名が明かされた。

読了後,ワタミのサイトの事業沿革を見た。「つぼ八」のFC参加から始まる,渡邉の実業人史である。『青年社長』もそうだが,渡邉を見習うべきところの第一が「撤退史」だ。店頭登録,という華麗な面より,操業中間からの訣別,その原因となった「宅配お好み焼き」からの撤退。見事である。「当たる」と思えば,積極投資するが,「ダメ」というと「失敗から学ぶことも多い。ワタミのステージ・アップに役立った時もある」と果敢に「撤退」をする。日本製粉とともに取得した5分で焼き上げるお好み焼きの特許(出願から10年以上は経っているが)についても特段のこだわりもないように見える。

また,最近の労働時間切り上げに伴う訴訟も「和解」で終わっているようで,法令遵守もその規模なりの「誠実さ」を測っているようだ。

『青年社長』では,公開直前の幹事野村證券とのやりとりは,「内部統制」など,簡単に書いてあったが,大変だっただろう,と思われる。尤も,これは「ワタミ」だけではないようだ。
もう少し研究(来月にでも)。

2009年1月24日 (土)

合格祝賀会,「花輪君を偲ぶ会」,連チャン

日本語教育能力検定試験の合格者の合格祝賀会を,リッツカールトン大阪で開催。
この時期,インフルエンザ,風邪,いずれにしても27名参加予定が14名。欠席が多くて残念。

一方,参加した合格者の方々ともお話ができ,毎年のことながら,これは,当方にとっても,励みになる。

その後,最近亡くなった花輪先輩(二つ上の学年,中島らもとも同学)の「偲ぶ会」に6時から参加。

あした日曜日に,授業がなくてよかった。入れなくてよかった。これを銘記しよう。年相応というのが実感だ。少し体を鍛える必要がある。

2009年1月23日 (金)

古里庵

品川発6時の便で帰阪。こんな列車があるなんて知らなかった。8時15分新大阪到着。新大阪発の地下鉄。座れる。
9時前に出社できた。

今日は,古里庵で,転籍,新入のスタッフと会食。どうもしゃべりすぎる。「耳は大きく,口は小さく,目は易しく。」まだまだ難しいようだ。

2009年1月22日 (木)

新春経営者大会

標題のセミナー。
今日一日のみの参加なので,受講するぼくが「興奮」気味。

9時から「ありがとう,卓越経営対象,の褒賞」。
身近の企業様の褒賞で,来年,うちも推挙する?

10時から万代栄爾牧師。1時30分から飴会長,3時30分から渡辺美樹社長,5時30分から,三宅さんの(あのTVタックルの)政局解説・講演。

「和民」って。そうだったの。

すごい。真似をしよう。ぼくも,渡辺美樹になる。ぼくがダメなら,社員さん,ぼくの子ども,そうだ。他人の幸せに幸せに感じる人々に伝えよう。

2009年1月21日 (水)

ネットのいい加減情報,代表は2ch(閑話休題)書評を書かねば。

タイトルは,そうなんだが。いつの時代も,いい加減な「流言蜚語」はあったわけで。伝わる速度とか,広さ(範囲?)の違いのような気もする。ところが,2ch(にちゃんねる)は,或る意味での,「狭い」かもしれないが,意見の抽出にも役に立っている気もする。

「脇,死すな(ワールド,キャラクター,シーン,ストーリー,ナレーター)」
この言葉はどうだろう。「脇役がすべて死んでしまう」そんな物語はない。その頭のカナをとって,物語の成り立ちを述べる。

さて,物語はどう定義されるか。そのことに,意識を巡らすことはなかった。「物語学」ナラトロジーという言葉を知らなくても,生きてもいける,「経営」すらしていけると思っていた。しかし,知らず知らずのうちに物語の共通構造を認識している,そういう世界に生きているということを知る必要を感じている。
はて?ナラトロジーとは何だろう。日本語を,大阪弁を「母なる言葉」としているぼくにとっては,近寄りがたい。では,ナレーションではどうだろう。ナレーターはどうだろう。何とはなしに,慣れ親しんだ言葉だ。テレビのドキュメンタリー番組で,シーン(見ている画面)をわかりやすく説明してくれる「音声」である。そうなのだ。「物語る」という行為は,目に見えるがごとく,「語る」という行為である。ナレーションの語る物語が「ナラティブ」なもので,それを掘り下げる学問が,ナラトロジーである。

てなところまで書評は進んできた。完成したというT社長とは,先ほど,懇親会でお会いした。余裕のようだ。

ブランド~商品。つながるか?

夕方から東京で,新春経営者セミナーを受講している。
明日は,一日,東京。夜行バスが取れなかったので,朝一の新幹線で帰阪になる。

「物語」「ブランド力」はつながる。経営方針,社員さんのモチベーションがつながらなければならない。うなるところもある。他力本願ではないが,まだまだ,学び続ける必要がある。どう学ぶか,それも考えなければいけない。

今日,ぼくよりは若き経営者から「麻生さんじゃないけど,日本語,漢字の読み,コンプレックスあるんです。」「宮さんの学校でそんなコースがあれば,2週間なら通うんですが。」
結構高いセミナーに来ている経営者からの意見。そうした商品も必要だ。しかも,この世界なら,ぼくの10年間のセミナー参加も生きるだろう。

ブランド力のための10年,こちらの道はないのか?

2009年1月20日 (火)

エピソード考

ぼくは,社のパートナーに何を伝えるべきだろうか。

本日,模様替えをした,そのリーダーには,感謝,多謝だ。また,一段と素敵なオフィスになった。明日,一番で,「ありがとうカード」を送ろう。

そうした,エピソードの積み上げが,ぼくたちが働いているグループをよくするのではないか。それを,語り継ぐ稗田阿礼が,活躍する場が「会社」なのか。ちょっと,考えている。

少し,休憩なのですが。

平行して,三つの「仕事」の原稿を書いている。調べて,無知を反省しながらの作業で,予定していたより1.5倍ぐらいのスピードになってしまった。何とか間に合わせる。
そこで,来週のサビルナ(岡野塾番外編)の書評作業が休憩になる。
ディベート仲間のT社長がもう書き上げたとブログに書いていた。ぼくは,前日にしようと思っていたが,負けん気が出てきた。

しかし,ぼくの取り上げた書籍は,その前に読んだ『脳と日本人』に大きな契機がある。これを取り上げると,分散してしまう。すでに,「書評」としては「これは,オムニバスです」という前置きがある。これは,読み始めてすぐできた。

一番伝えたいのは,「物語学」と「物語る行為」である。これを,触発させる書物との出会い,そこまではできている。それを広げるために「書評」として,何を伝えるべきか。明日夜,明後日は東京。この間に答えが出なければ,「書評」の質は?いくつかのエピソードが頭に浮かびながら,「どうする」。

2009年1月19日 (月)

「ブランド力を習う(倣う)」

今日は,岡野先生のお手間を取らせて,ブランド力を倣った。

(閑話)
倣うと習うは「発音が同じ」,ということは,同根だということだ。「学ぶと真似る」が同根だと言われるのと同じ。「日本語の世界」は,「真似る」ことが「学ぶ」ことで,成長につながると考えていたのだ。「正統的周辺参加」は,日本において,古くから実現していた(リンクは一つの例なので拘泥するつもりはない,御興味があれば,リンクを「手繰って」みればいい)。

(閑話休題)
教育マーケティングについて習う。
「日本の小学校,中学校,大学(初等教育,中等教育,高等教育)のシステムは,次のステージでついていけるというもの」だが,「語学力」は果たしてそれでいいのか。
「上級志向」「ファッション」という二つの分かれ道があり,英語では,ECCやベルリッツ,NOVAに分かれる。NOVA(あのNOVAウサギに見られる路線は,結局生き残らないだろう)ではない,ARCとして「ブランド」はどうだろう。本気で,「日本語がうまくなって欲しい」のだが,「語学力は,結局,本人の『やる気』=モチベーション」ではないか,という指摘。

「入門から上級」では,結局入門どまりを多数「輩出」=生産しているだけだ。語学学校は,「今の学習者(成人)の回りに語学力を付ける」=つまり,今のあなたが,成人として言いたいことを目標言語で述べることができるようにするという方法が一つ。ベルリッツのように,「スパルタ」でスピードをつけて身につけさせるという道。NOVAのような「チャラッ」とした,縫いぐるみがもらえたり,ハンサム,美人の講師に当たるという道。多分,最後の道はない。

一方,「ブランド力」には,表と裏がある。どちらを目指すか。
有名なブランド,例えば,NOVAはそうだった。「よく売れた」が,「電話営業」「予約したが授業が受けられない」,クレームは10年以上前から聞いていた。結果は,「劇的(でもないが)倒産」である。
もう一方で「知られざる名店」がある。「ホルモンやまざき屋」「ホルモンやまちゃん(支店)」は,予約なしでは入られない。余談だが,行きつけの居酒屋「でん」も,一人でも入られないところがある。
どちらを選択するのか。アークアカデミーはそれほど「知られていない」が,いつも「満員」であるのか。テレビで「広告」するほどの学校なのか。

教育マーケティングでは難しいが,「毒」を持つのか。戸塚ヨットスクールのように,「来れば,こちらの命を賭して,『日本語を教える』」のは難しいらしい。

また,ブランドを「年数」で測るのか。まず,春は「こんなカリキュラムとシーズン」という形で,やるのがいいのではないか。
ビジネス日本語の売り方も「東大阪の日本の技術力を支える『中小企業』を回る」というオプション(東京なら大田区)の売り方もできるのではないか。

ブランド力は,「旬」を売るということをセンシティブに考える必要があるようだ。

2009年1月17日 (土)

常用漢字を増やす!?必要ですか?

ブログでは,多分,失礼な言い方も「ある程度許される」といういい加減な言説。

日本語教育の「役所的側」の方は,明治以来「漢字使用」の制限の中で,旧「国語審議会」,現「文化審議会国語分科会」で「漢字小委員会」で,決めようとしている。

ぼくは,「常用漢字」と謳った時点で,「目安」といった時点で,もはや「枠」について,そうした議論を主体的建設的に「放棄する」のかと思っていた。

今回,都道府県明などに使われている漢字を「常用漢字」として,その「表」として「音・訓」も増やすのだそうだ。「さいたま市」は或る意味「笑いもの」だね。私見だが,「常用漢字表」以降,人名漢字などの「表」の「外部」の手直しだけでいいように思う。

だって,「朕」には,結局手を着けられないでしょう。その,手を着けられないのなら,「埼玉」も使っていいとは言えないのかな?

ちょっと不思議?

YKK,再びブランド力

今日から,担当する教師養成講座が始まった。18年,その前の簿記講座講師時代を含めると人生の半分以上がインストラクター稼業である。2科目とはいえ,また,10週間お付き合いいただくことになる。

タイトルの「YKK」は,昨日の研修で聞いた話や,つい最近,「ビトン」の偽物についてのブログの「補足=反省」である。ビトンが「美豚」と変換されないかと期待したが,「美とん」だった。「御」変換して欲しいときには「誤変換」しない。残念!(古い)。まあ,ヴィトンと書いているから,「ビトン」では面白くもないか。

73年のオイルショック時に,YKK(吉田工業株式会社)は,値上げをしなかったそうだ。
http://www.ffortune.net/social/people/nihon-today/yoshida-tadao.htm
深イイ話だ。ブランド力はこうして生まれる。

さらに,ヴィトンはYKKを使っているが,表示させていない(OEM)のだそうだ。
http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2008/03/post_ceb3.html
だから,偽ヴィトンはYKKをそのまま使う,という仕組み!?

「機械の精度は,最も悪い部品の精度で決まる」。これまた,昨日の木野先生のお話。知っている人は知っているだろうし,たぶん,どこかで聞いたかもしれないが,記憶力が衰えている所為で,この言葉に感心する。アホなりに学び続ける効果はあるようだ。

Googleによれば「ブランド力 の検索結果 約 833,000 件」だそうだ。思ったより少ない。
トップは,http://www.jmrlsi.co.jp/menu/faq/ans/ans03_06.html
これを前提にすると,
1)ブランド・コンセプトが弱い

2)ブランド・コンセプトを伝え切れていない
かだそうだ。
1)の観点は,「日本語教師養成講座」を日振協の認定日本語教育機関向けにするだけでなく,「日本語を教えることが,楽しく,上手になる講座」にする必要がある。別コースを設けるという意見もあり,そうしたことも始める。
また,「教師養成」=「教える回数が多い」というコンセプトを他社が用いているのに対し,ぼくは説明会では「本当に『教えられる』力を身につける」を取り上げて,比較している。
2)からは,露出が少ない,と言われている。競業他社は,日本語・日本語教師以外のコースの折り込みチラシの裏に,「教師養成」を刷り込んでいる,という報告もあった。

YKKのエピソードに見られる「伝説」がアークにもあるはずだ。それを掘り起こす必要がある。

2009年1月16日 (金)

あっ,あっ,あっ,とっても大好き

今日は,半分研修。12時30分から5時半まで。

松下幸之助の「経営理念」を直にお聞きになった,木野親之先生の研修。もちろん,「例の」研修なので,「本論」(たぶん世間はそう言うのだろうなぁ)より,「余談」が多い。ぼくは,今年3年目。しかし,3年間18回のうち,出席したのは,あと1回の未受講を残しても13回ぐらい。つまり,出席率の悪い受講生だ。

それにもかかわらず,受講する。しかも,木野先生は,半分ぐらい「同じ話」をしておられる。しかし,聞くたびに「感じる」「考える」ところは異なる。う~ん。もう少し値段が。うちの,幹部候補生に聞かせたい,3年ぐらい。しかし,それ(木野先生を煩わせず,ぼくが薫陶する)をするのが,ぼくの仕事かもしれない。

松下幸之助翁の話が多い(当たり前か,松下電送の社長だったのだから)。今日,1番,心に残ったのは,「ゼロか百か」という経営と「1%の確率の経営」。どちらもあり。決めるのは,あなた。
木野先生は,50名弱の受講生の皆さんに,ぼくを,「松下の仕事もしておられる,国際的な方」と紹介してくださった。

そう,決めるのは「わたしたち」だ。

2009年1月15日 (木)

雑読・偏読,乱著・狭著

パソコン雑誌を読む。小説を読む。最近は,DSで近代文学を読む。検定「受験参考書」を読む。ビジネス書を読む。大学の教科書に使われる参考文献を読む。ブログを読む。
ブログを書く。日本語教師養成講座の参考文献を描く。検定「問題集」を書く。マクロを書く。

「学ぶべきことから逃げ,好むことのみに身を費やす」のかもしれない。

天童荒太が直木賞を取った。24日,年末に彼岸へ赴いた高校の2年先輩の追悼会がある。その1時間前に,昨年の検定試験合格者の祝賀会。このギャップが,ぼくの生活である。だから,「雑読」は「雑な」読み方でなく,「雑なものでも読む」読み方でありたいし,「偏った」読み方でなく,「偏る」から見いだせる読み方を目指す。「乱れる」ではなく,ぼくの脳の奥を「乱」し揺さぶる書き方にしたいし,「狭く」ではなくナレッジな,オンリーワンを目指す書き方でありたい。

お休みなさい。

2009年1月14日 (水)

「革命前」か? なお,ブランド力について

神足裕司は,『週刊アスキー』に "Scene200?" という連載を持っている。「?」は今年は「9」である。
最新号では「ひどい世の中を生き抜くには?」というタイトルで,「日本へ帰ってきたら(中略)革命前夜になっている。」という書き出しでエッセイを始めている。ちなみに,(中略)はかなり恣意的に「中略」にしたので読みたい方は立ち読みでも購入でもお好きにしていただきたい。
これを読んで,日本政府,与党(特に自民党)は,60年安保,70年安保(この後に,この条約は自動更新になった)以後,「バラ撒き」=得票=政権確保という路線に走ったように思っている。僕自身の1970年は,70年安保校内集会の年でもあり69年から72年まで街頭デモにもっとも参加した何年かだ。一方で,大阪万博にも行っている。ほとんど分裂した「後期少年」だったわけだ。,ぼくより少し年下の神足には,大人達や,少し年上の人間をシニカルに眺める余裕があったと思うのだが,昨今の「派遣切り」は「革命前夜」に映るのか?それ以上に「政治的プレゼント」に,ぼくも含めて慣らされているように見えるのだが。
同じ号の『週アス』では,山崎浩一のほうが「その何年前とやらも今ほど不景気だったのに,その後けろっと忘れて液晶TVやらiPodやら買ってたんですな。」とキッチリ言い切っている。
そうなのだ,変動するから「景気」なのだ。下がらない「景気」はない。

同じ話題の中の別な話。この間,入学希望者に対し,英語対応するスタッフが席を外していたとき,「不景気」を英語で言おうとして思い出せず,"Global economic situations are not good." と誤魔化した。1日半経って,突如,"recession" という単語を思い出した。しかし,スペルはダメだった。

閑話休題(本題に戻る)。
今年,東京から大阪へ転籍があった。昨日から,出社しているが,今日,少し話す時間があった。「どうして,アークアカデミーに応募したの?」。転籍者は,アークの元受講生ではない。
そうすると,前職を退職した後,オーストラリアに英語留学をして,そこで,韓国人と知り合ったらしい。そこで,次に,韓国語留学をしたところ,「日本語を教える」という職業を知り,というか認識し直し,その友人の知り合いに,「アークアカデミーが最高(とまでは言わなかったのかもしれないが)」と言われ,帰国後,アークの求人に応募したらしい。

このブランド力をどうしよう。「アークでなければ,日本語ではない」という人が50パーセントになるようなブランド力をどう磨こうか。

2009年1月13日 (火)

訳あり

日本語コースの「ブランド力」とは何だろう。
暮れから,そんなことばかり考えている。年が明けても,周りの話題をそれに引きつけて考えてしまう。「新商品」とは,日本語コースであったり,日本語教師養成講座であったりする。
ブランド力は,名前の力でもあるそうだ。「質」の差は,手に取らなければわからない。その前に買う。つまり,ブランドは名前なのだ。
ルイ・ヴィトンの鞄が難燃性だというのを聞いたからといって,それで選んで買うわけではない。その証拠に,一昔前に「YKK」のジッパーが付いていたコピーでも明洞で買う日本人が多かった。日本で知人に指摘されて「あっ」と隠したのは,もはや笑い話か。
「訳あり」が売れているらしい。「値引き」「割引」の理由に「訳あり」を使う。「割れているせんべい」を安く売るための「訳あり」。これはわかりやすい.表に見えない欠陥を敢えて「訳あり」とするのもある。さらに著名人が使っていた「訳あり」。こちらは高く売る。
どうも,「訳あり日本語コース」はもっとお考えないと,無理がある。

2009年1月12日 (月)

またしても「汚名挽回」/ふるさと創生,地域振興券,定額給付金

今朝の「朝ズバッ」でみのもんたの言葉。「ズバッと」使った。7時半のことだ。その後,見ていないので,「返上」と訂正が出たかどうかは知らない。祝日だからか。正月のお笑い番組並み。

与党は「バラ撒く」ことしか考えていないのだろうか。
ふるさと創生のときは,地方交付税が使途自由な分を1億円として,交付団体にのみ配った。不交付団体は,自由に使える財源があったからだ。今回のことでいえば,麻生総理のいう「1億円の年収のある人」を「不交付団体」として除外できた。また,地方交付税のうち自由に使える財源「1億円」ということにしたのみで,現実に「交付」する費用はほとんどかかっていない。本来の「交付」に,使途を限定しないというだけだ。
地域振興券は,これを使う代わりに他の消費が抑制された。結局のところ6194億円発行したのに,2000億円しかGDPを押し上げなかった。
今回は800億以上の事務経費をかけて,2兆を投じるという。まさに「汚名」よ,再び。

2009年1月11日 (日)

ブランド力

昨年11月,ブランド力についての研修を受講した。
いくつか強く感じたことがあった。中でも,「商品の差別化をしても,認知されなければ何にもならない」ということである。そもそも,「差別化できるか」,他社に真似されない「もの」が作れるか?ということで,ブランドは,ある商品カテゴリーの中で「認知されているもの」ということになる。
昨日,「トレンドからボリュームへという流れが変化している」という記事を読んだ。アパレルではデパートのようなトレンドを創り出す文化が高く,低いボリュームの出る大衆消費商品へとデザインが流れていた。ところが,無印良品,ユニクロとデパート,専門店ではこうした現象がなくなっているらしい。GAP,ZARA,H&Mなどが日本へ上陸してきた。実は,彼らにとってユニクロなどが脅威なのだという見方が書いてあった。縫製など,日本の消費者の目に合うか,問題が多いのだそうだ。
ぼくの職場がブランド力を持つために,それに合ったコースが必要だ。「日本語ならアーク」と思うようなコースがないだろうか。それを考えるのが第一。

2009年1月10日 (土)

「戎(えべっ)さん」

関西の戎信仰は,関西人が思うほど有名ではない。時代祭が,祇園祭ほど有名ではないのと同様だ。笹に,出来物の小判や俵,いかき(畿内,奥州にて「いかき」,江戸にて「ざる」),を飾り付けたものが,1万円程度で販売されている。
Image0211そもそも,「販売」という概念ではない。布施として支払い,「お神楽,お神楽~」と頭の上で,日本刀や鈴(三番蔵)を振ってもらい,「福」をもらう。端から見ていたら,はなはだ馬鹿馬鹿しい。と,思うだろう。
また,御本家,西宮戎では,大門があいて,本殿まで一番乗りをするために,若い男子が「レース」を行う。過去に,不正行為もあり,単純な駆けっこでもなくなった。西宮は小学校~高校の頃に住んでいて,西宮戎が「戎っさん」だと思っていた。大阪の今宮戎より,境内も広く,境内にも多くの屋台が出ている。自宅の近くには,堀川戎があり,家人は毎年,堀川へ行く。
Image0231_5 昨日の「宵戎」から始まり,「本戎」,明日の「残り福」と続く。昨年のものは返して,今年のものをいただいてきた。

2009年1月 9日 (金)

「世界地図を書く」というゲーム

30年以上前になる,よく中島らもと標題のゲームで遊んだ。中島(本名,裕之)は,中学の2年先輩である。中学1年の体育祭に応援立て看を作るのがぼくらの仕事だった。中学は縦割りで,3年3組の中島と八幡が担当で,1年3組は,ぼくと福本だった。
それだけが縁ではなく,高校1年の文化祭,鹿鳴館というロック喫茶の出入り,6月の生徒大会(70年安保のため,急遽学校が授業を切り替えた)での立場など,学校での進学中心グループから外れているぼくたちの仲間の2年先輩が中島だというわけであった。
このゲームをしてた頃は,もうぼくは23ぐらいで,中島は26だと思う。結婚していた。宝塚の中島宅へ出入りして,飲んで,くだらないことばかりやっていた。酔っぱらって,みんなで,世界地図をそれぞれ書くのだが,とんでもない地図を描いてしまう。オーストラリアを描かないのは序の口で,イタリア半島がない,カスピ海,黒海は当然ない。アラビア半島もない。台湾も,ハワイもなかったりする。

突然こんなことを思いだしたのは,久しぶりに「こころ」(夏目漱石)を読んだからだ。新幹線の往復(大阪=東京)に読んだが,「筋」ではなく,言葉にちょっと注意してみた。今の感覚とずいぶん違う。また,「怜悧」に「りこう」というルビが振ってある。昨今の難読漢字読みクイズにでそうな文字遣いだ。
「こころ」風,話し言葉のゲームができそうだ。さて,判定をどうするか。

2009年1月 8日 (木)

ぼくは,少なくとも,周りの「労働者」に応え,!? たい。

素敵に,「ひどい」タイトルで申し訳ない。

「ひどい」というのは,「~」なことできないのは,明瞭だからだ。そんな,「!?」のようなことはできない。

ただ,昨日のブログに加え,幾つかの場面で,もっと「労働者」頑張れよ,という意見を聞いている。
居酒屋で,一人で,飲むこともある。「横」「斜めどこか」から「派遣は勝手」という意見が声高い。
「自分で選んでおいて」,「正社員になるから,安い給料にも我慢する,を選んでないのに」。そういう見方もあるのか。まあ,ニュースなどで取り上げられる,そのことに対するジェラシーはわかる。
しかし,それと「法律」もある。また,人生をどうするのか,「理念=どうあるべきか」は,違うように思う。
いったん,「派遣」を選んだ人もいるだろう。そして,現状,「派遣村」というような場所へ赴くときに,「もらう」側より,もし,「支援する側」のほうが,自分の人生に「合う」と思えれば,仕事はある。

仕事を求める,この分野の,普通の人には,うちは「なんとかやっている」と思っていただけるかな?

2009年1月 7日 (水)

労働基準監督署,是正勧告

ブログは,日記のようで,何を書いてもいいように思える。

しかし,全世界に公開もされている。

その上で,今回,タイトルの件を少し記録している。

月末のある日,終業時刻の直前で「今日付で退職したい」と言われた。23年間,経営側(オーナー経営者とか雇われ経営者)で人生を過ごしているが,こんなことは初めてだった。

うちは,月末締切なので,給与の締切もそうなる。労働者としては,当然,その給与を要求するだろう。ぼくは,雇用契約書の支払日には払わなかった。

就業規則で,1カ月前の退職通知を義務づけている。それは,現職か新人かはともかく,引き継ぎが必要だと考える。単なる,日常作業の引き継ぎではない。顧客の引き継ぎである。うちの場合は,学生である。理由はどうあれ,接触した学生への挨拶と後任の紹介は必要だろう。
それだけではない。急な退職に伴う,求人にかかる費用もそうだ。20年前は,広告費用のように感じていたが,実際には,面接,研修のほうが費用がかかる。現実に,求人を出しても,新聞やハローワークでは,なかなか応答がない。
これらは,退職する人と経営側でともに負担するべき問題だ。その意味で,就業規則に1カ月と書くのは違法でもなく,監督署も承認している(細かく読んでいるかどうかはここでは述べない)。

しかし,昨日,監督署の監督官が来所し,是正勧告を受けた。労基法,最賃法に基づくと,経営側に勝ち目はない。是正勧告に従うことにした。その旨,監督官にも伝えた。

本日,退職者の代理人から,催告書が内容証明で送られてきた。「あなたは悪い人ですよ」というような手紙である。本人が困窮している,というのである。相手の弁護士に電話するが,12時から1時15分まで誰も出ない。もう,連絡するつもりはない。

ちょっと,疲れる。

色々困っているのは,ぼくよりも,シフトを組んだり,シフトで働いてるスタッフなのに。

ぼくたちの職場で,十分に労働者の権利の執行ができているとは思っていない。

例えば,有給の消化に「懸命」なスタッフは,ぼくとして,実にありがたいと感じている。23年も経営者側にいると「お前らも,やれや!」みたいな思いに駆られることがないとは言えない。しかし,その手を,ほんの少しでも挙げてしまえば,この日本語教育世界に身を寄せた18年間がお終いになる。

うっかり,気付いていない,ぼくのそんなところを,スタッフが「口に出し」て,導いてくれる。そのスタッフに不満だった「退職者」には,ぼくは個人的に「損害賠償請求」したい気もある。

年末,年始の反省 → 自省 → お詫び → ありがとうございます。

カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」が多く,「周縁的」な「日本語教育事情」という「看板」が寝ている。

自虐的な言説を振り回しても碌なことがない。ひょっとして,いつも読んでいる,そうした方に,年末年始の「手抜き的短いブログ」については,何がしら,コメントで追加しているものもあるので,御面倒でなければ,そちらもお読みいただければ,「進行」を見ていただけると思う。「相棒」については,別MLでの発言を引用させていただいた。

このブログの設定,といっても,ごく普通なようだが,コメントと本文を同時には出してくれないようだ。コメントも一緒に見られるほうが,標準ならいい。それなら,後から見たとき,すぐ,コメントも読めて便利だと思うのだが。

よくわかっていない。申し訳ない。

2009年1月 6日 (火)

やはり「ことば」は力がある

タイトルは、実は、バラエティ番組を横目で見ながら感じた。
まぁ,お笑い番組だ。
ものまねや、ニューハーフ(はるな愛,なわけですが)より,漫才が圧倒的に面白い。やはり,よくできた台本をテンポ良く演ずるのが,ぼくには分かりやすい。幸いにも、ほぼ,いい感じで番組は終わった。

しかし,もう一つ違和感があった。「ことば」は,ここまで練られなければ、役に立たない。日本語学校の卒業生で,短期間に、大学,大学院へ行った場合,相当苦労しているようだ。読解力と一言で括られない「難しさ」があると聞く。

13年間,パリの19区に住んでいた日本人の知り合いは、フランスのテレビのスタンド・アップ・コメディで大笑いをしていた。ぼくはほとんど分からなかった。天気予報は,言語以外の情報もふんだんで,いわゆる上品な「笑い」を演出する「お天気おじさん」の放送は、ほとんど分かったと思った。ちなみに彼は,アンテヌ・ドゥという文字通り2チャンネルで、「数字と文字」というクイズ番組の司会者だった。フランスにいた最後の3カ月ぐらいで,「数字」のほうは,先に解答でき,フランス語でも発音できた。数字は、意味が「浅い」。いや,これはこれでいいことなのだが。
しかし,ことばの「力」を本当に学生達につけてもらうには,ぼくたちが,その力をもう少し認識する必要がある。

NonStyleは安定した漫才ができている(大きな口をたたくことはできないが)と思った。

2009年1月 5日 (月)

勉強する,ということ

「勉強」を中国語でそのまま言うと,ミェンチャン(声調は両方とも3声)になり,「強制」することになる。勉強しようという「字」を見ると,中国人留学生はゲンナリするような気がする。
NHKで桂坊枝演ずる「骨釣り(コツつり)」の半分ぐらいをやっていて(つまり,サゲや落ちがない),最初に解説で「野ざらし(江戸落語)」を上方に移したものだと言っていた。エノケン(榎本健一)が映画をやっていたのを,彼の死後、TVで見たことがある。そのときは,上方落語が東京に移植されたと聞いた。
別に,どちらが最初でもいいのだが,たかが30年ぐらいで出自が変わるというのも妙だ。もう少し調べよう。
移植されたから、真偽は分からない。「骨釣り」には「勉強する」という言葉が,交渉事の結果として,「妥協する」という可能性で使われている。いわゆる、「値段をまける」と言うときによく使われる。江戸語の「勉強」には,学習以外の意味はない(と思う)。

2009年1月 4日 (日)

「自動車運転免許返上」すべきか

去年は,2度事故した。人身はない。一つは自損。左後ろがよく分からず、引っかけた。
2度目は車対車,気をつけ一時停車したあと交差点に入ったが,右からまくられた。相手は,10対0だと言ったようだが,天満警察も保険も9対1以上(1はぼく)だということだったが,相手がいわゆる営業車(運輸会社)で,保険も入っていないよう(運転手の自腹に感じた)だったので,9対1にした。

運転しているときは,ラジオかテレビを聞くのが定番。普通はテレビだが,同乗者がいないときは、中波ラジオが多い。そのとき、立川談春のフェスティバルホール講演のことを聞いた。12月25日,まだ席がある。行くかどうか迷ったが,相当忙しい可能性を感じて、止めた。

1月4日の「情熱大陸」で、談春が出ていた。

談春は、あの,天井から降ってくる「拍手」を感じたのだろうか。

そう思うと、ラジオを聴ける環境としての車はまだぼくには必要に思う。免許はとりあえず返上せず誕生日に更新しよう。

「汚名挽回」ってか

二日の毎日放送(東京キー局はTBS)で,駅弁,空弁の特集をやっていた。
ダニエル・カールが「珍しいなもの」を探していた。形容動詞の活用になっている。この逆の形容動詞を形容し活用する「綺麗かった」は,関西の人間には当たり前のようになっている。
正月は,テレビを見る,本を読む,といったことと,年賀状の返事,食事,それに今年は「彦根」と原稿。テレビはたぶんこの5日間で,他の月の1カ月分ぐらい見ている。天皇杯,大学ラグビー,ライスボウルは通しで座りっぱなし,駅伝はほとんど見ていない。
おかげで,「汚名挽回」も久しぶりに聞いた。生放送ではないので,スタッフのチェックが甘かったのかもしれない。

2009年1月 3日 (土)

ひこにゃんパスポート

彦根城博物館講堂で,午前10時30分からの「ひこにゃん」のお披露目を見た。
すごい人気だ。本来30分の筈だが,入れ替え制で,10分で出された。見物客の多くは彦根市民のようで,大人も子どももデジカメを持ってキャーキャー言っている。

ちょっと不思議な光景でもある。

2009年1月 2日 (金)

パラドックス

正月テレビ,深夜ネタ,「バック・ザ・フューチャー」。パラドックスを考え始めるきっかけ。

2009年1月 1日 (木)

謹賀新年

フットワークもネットワークもブレイン(?)ワークも悪い。申し訳ない。

2008年12月31日 (水)

弱!ネットワーク環境

休暇に入るとネットワーク環境が変わる。自宅は,ケーブルテレビのアドレスを使うが,3人共有のため,家人が寝静まってからでないと使えない。

昨日,カーペットを張り替えるため,留守にして,戻ってきたら,ネットワークがつながらない。結局,今朝まで,回復させることができなかった。緊急時のために「イーモバ」があるが,一番安い料金設定にしているので,つなぎっぱなしにするわけにもいかない。

ようやく,解決してメールを読む。

2008年12月30日 (火)

12月30日の問い合わせ

本日の問い合わせ,ロシアからの留学生の仲介業者。1件。
ロシア人の知人から,1~3月短期滞在が決まっていて,4~6月短期へ更新できるか,その後,7月長期を申し込めるか?との質問。案内書を送って欲しいとのこと。
韓国の関連業者から,請求書。電話は転送で,携帯に入る。日本の正月休暇の習慣は,多くの国とかなり違う。

2008年12月29日 (月)

「相棒」意外と知られていない。

「相棒」とは,水原豊扮する杉下右京(警部)と寺脇康文扮する亀山薫(巡査部長)の二人だけの警視庁特命係という設定の,刑事ドラマシリーズである。学校スタッフ,講師8人に聞いたが,一人しか知らなかった。
今,Season7の9話で亀山巡査部長が,辞職して,途上国に赴き,「日本語教師」になる,という話だ。放映はもう終わっており,再放送もわからないので,真偽のほどはわからない。
テレビで「日本語教師」がドラマに出てくるのは,「ドク」以来か。あれも子年のドラマだった。

2008年12月28日 (日)

伊賀の影丸購入

愛蔵家版を1,2,3巻5,8,9巻と購入。村雨兄弟はだいたい覚えていたとおり。1時間は読むのにかかる。

2008年12月27日 (土)

「さくら水産」の「成功」

昨日は,近畿3校合同の忘年会だった。1次会は居酒屋「でん」,2次会は複数グループに分かれてカラオケBOX,もちろんそのまま直帰もOK。風邪で事前直帰,直前直帰,1次会で直帰と様々だが,インフルエンザの予防接種が「まだ」という声も聞こえ,少し心配している。

今日は,35年来の知り合いで,印刷を頼んでいる会社の忘年会に家族で参加。恒例なので,子ども達のことを我が子のことのように心配していただく。ありがたい。ようやく,末っ子が小学校に上がったが,このグループの一番下の子は,もっと小っちゃい。ぼくはほとんどアドバイスがないが,ぼくの子ども達の母親は多分一家言話したかもしれない。基本的に女はすごい(偉い,という意味です(守りに入っています))。

ここまでの話で,やっと「さくら水産」。本日の忘年会は「さくら水産『南森町店』」で開催。この店の一番いいところは,色々あると思う。
まず,ホールの人が少ない。それは,今日みたいな日だからだと思う。回転率は5時以降で,最大2回転と言ったところか。しかし,不景気,年末,土曜,南森町という中途半端なロケーション(オフィス街の一番端,「堺筋」を越えれば,天神橋筋商店街などその裏の住宅地域はある)にしては,客が多い。空きテーブルが少ない。

ぼくも子ども連れだったので,トイレに何度か行くことになって,店全部を見てみた。客筋はおおよそ4パターン。今年,ノーベル賞をとった益川さんぐらいの男同士のネクタイのグループ。ぼくたちと同じ年代構成かと見える同期(下で40歳)だけのグループ。グループの人数は,少ないが,ぼくと同じか60ぐらいまでの2~複数のグル-プ。小学生(学年不問)を連れた,明らかに家族(ぼくたちもそこに含まれるのだろう)のテーブル。
こう書くと,とりとめの内容だが,見た目「半強制で集まったグループ」は,なにがしか同質化されている。同質は,同年齢か,同じ組織か。

自由構成グループ(と名づけておくが)は,「家族」「同世代+何か(もちろんなくてもいい)」になるようだ。

にもかかわらず,店のコンセプトはしっかりしているように思える。皿は「安物」「プラスチック」。持ち上げれば「軽きに泣きて(石川啄木)」とは言わないが,力の入れ方に最初は戸惑う。店のメンバのほとんど,たぶん1名以外は留学生などのアルバイトで,しかもそこそこ日本語を話せる(ぼくの学校で言えば8組以上)だ。ただし,これに関しては,その場のメンバから,今の世の中「仕事がない」と言いながら,学生時代からこの程度のバイトをしていない日本人学生は多いらしい(無責任ですみません)。あの「新発売行列『さくら』事件(これは後引くと思うんだけど)」のマクドナルドも外国人(留学生)のスタッフ(キャスト,なんと呼ぼうがアルバイト!)が多い。ほとんど(基準:1年に1回も)買わないが,道すがら見ている。見れば分かる。

閑話休題。「さくら水産」は,どう売ろうと考えて,南森町店を作ったかは,聞かなければ分からない。しかし,この店の客は「主張」している。酒飲みの「お父さんやお爺さん」が,ノスタルジック(50円,魚肉ソーセージというメニューもあります)に入っても,子・孫連れて入っても構わない,それに「応えられる」,そこにしか「応えていない」,「一歩間違えば」「闇市場」なものがこの店のコンセプトに見える。

安全と安さとがその前にあるのだが,「本当?」。「~水産」で信頼できるのかな?

2008年12月25日 (木)

PDCAサイクルを回すこと

今年は,岡野勝志先生の「ハード・ワーク/スロー・ライフ」という言葉が一番気に入っていたが,「納税による社会貢献」もいいと思った。身内のブログ褒めというのが見苦しいかどうかはともかく,IJECのブログでこの言葉を見つけると,なんだか嬉しくなった。
もう一つ,23日の全体研修で,発表者から「PDCAと言うことを習いました」という発言もあり,いよいよ,「ハード・ワーク/スロー・ライフ」の実現へ向けて,周囲の理解も進み始めたと思った。一方,「休憩時間」が就業規則通り取れない,という悩みも多く,「ハード」なのは,一生懸命なのか,職場環境なのか,そこもはっきりする必要があるだろう。

幾つか,変更点を考えている。まず,改善点のプランを作るために,常時,そうした事柄が見つかる仕組みがなければならない。「聞く耳を周囲が持つ」という主観的な意識づけでは十分ではないだろう。静岡県西部「遠州地区」で菓子製造・販売を行う「たこ満」の平松社長は,「一人1日1行情報」を18年続けておられるようだ。ぼくも「継続」して会社をよくするための行動をみんなとともに取らなければいけない。
ぼくらしさということであれば,メールや共有サイトでの改善提案のやりとりかなと思っている。今,日報は,多桁式の1日1シートのエクセルにしているが,学校や部門1シートのグーグルドキュメントシートにする方向で考えている。グーグルドキュメントで開始する予定だが,共有ドキュメント形式のもっといいものがあれば,すぐにそちらに変更できるような,フット・ワークは持ちたい。
日報以外に,週目標,月目標,学期目標と進捗管理を一緒にやろうと思う。この9年間各種研修で学んだことを社員さんみんなとシェアできれば,来年は確実に前進する。
実は,養成講座の入学者についてかなり詳しく分析をした報告書をもらった。とてもためになった。そして,こうした静的な報告書を動的に活用する方法がないかと考え始めている。「中小企業は速さが命」。ぼくたち零細企業は「変わらなきゃ」と思った時点で「遅い!」。PDCAも全部いっぺんにやろうとした時点でコケている。PしながらDを考え,PDが始まったら,Cをするぐらいでないと始まらないと思っている。

P:日報/1行情報,受信,入学,入金,債権・債務の発生,優先順位の見直し

 :週報/週情報,受信,入学,入金,債権・債務の発生,説明会参加状況,教室稼働状況,優先順位の見直し,進捗率

 ;月報/月情報(PからDへ移行したもの含む),受信入学,入金,債権・債務の発生,説明会参加状況,教室稼働状況,優先順位の見直し,進捗率

をとりあえず,始めたい。

2008年12月24日 (水)

思い出横丁(全体研修続き)

「東方見聞録」で途切れました。すみません「確信犯」です。全体研修で,ブログを書く暇はないだろうと思い,居酒屋へ移動して全員が揃うまでに1行挿入。

全体研修は,「サンタ株式会社」の寺田由香里代表のファシリテーションに基づくもの。今年は,テンションの高い研修にはあまり出ていないからなぁ。どちら方向に行くのか日和っていたら,アイス・ブレーキングで自己紹介。分かりました。「元気よく」。御返事は「はい!」これで行くのですね。

研修最後の挨拶が回ってきたので言ったが,自己紹介のアイス・ブレーキングは開発教育協会や春原憲一郎さんの講演(研修?ワークショップ?),その他の研修でおなじみなので,ぼくは,相手の人数を数えながらやっていた。16分で15人丁度。研修慣れもどうだか。

ワーク,ライフ,バランス(中点で綴るべきなのだろうが,そんな英語があるのか,調べてもらったら,work-life balance。70年代からの概念だそうだ)に関する研修で,ステップが組まれている。会社を活性化させるために,本音で話し,聞き,小集団で,成果を上げるためのプランを立てる。
寺田さん自身が,法人名を先週末に変更したばかりで,「人材サポート」から子どもを持っている人達の子どもがいつもにこやかに微笑める幼にサポートをするという意味を込めて,サンタクロースの「サンタ」にしたという由来が,「今月だけじゃなく」というあたりで面白い。日創研の「管理者養成6カ月」で御一緒した,江口さんの会社は「サンタの創庫」という名前で年がら年中リサイクルの買い取りショップを行っている。
ぼくの入ったグループは,年少者,ストリート・チルドレンといった話題に「何故か」なった。JICA,青年ボランティアに参加した人。ガール・スカウトのリーダーでNGOメンバー。全員,日本語教師で,スタッフ・オンリーはいなかった。グループで話をするのは大事である。初めてあったメンバでも。日頃の鬱憤はなかったか。あっても表に出さない人達だけに,いろいろな機会を通じて「知り合う」ことが大切だ。

「東方見聞録」は飲み放題2時間。概ね,飲み放題は種類を変えて飲む人にはいいのだが,ぼくのように焼酎だけ(飲み放題にワインはないから)の人間には,あまり「得」とは言えない。17人(70人の研修だが,祝日ということもあり,2次会参加者はいつもより少なめ)で掘りごたつ形式だから,宴席を回りながら挨拶する人もほとんどいず,前後左右で話し合う。新幹線の席が隣同士で知り合った人,韓国語系掲示板で知り合った人,結婚するきっかけが職場より別の場所というのも興味深い。知り合った「きっかけ」に着目するか,結婚までの経緯を聞いてみるか,それによっても違うのだろう。

9時から11時まで「思い出横丁」で山本さんと飲む。新宿駅前校に配属されたときは,このままずっと「新宿駅前」だと思っていたそうだ。長崎市の出身ということも初めて聞いた。ここは,場所柄「ホッピー」を飲むが,1杯480円になるともはや庶民の安酒ではない。モツ煮と串焼き,ホッピー2杯で話が弾む。

23時40分,新宿南口発大阪駅桜橋行きドリーム号,乗車率10%,寝るために乗る。

2008年12月23日 (火)

年末研修

今日は,新宿校でアークアカデミーの全体研修。懇親会が終わって,2次会で「東方見聞録」へ移動。

2008年12月22日 (月)

『北京五輪後に何かが起こる』

同書を読み終えた。中国ウオッチャーとして「義和団事件」勃発前の中国に近い状態だとの指摘。それなりに,説得力のある記述である。

今年は一度も中国に行っていないが,「我愛中国,愛我中国(わたしは中国を愛する,愛せよ我が中国)」というスローガンが,メインストリートにかかっていたのは,見ていた。だから,愛華主義が今の中国共産党のイデオロギーだとぼくも思っている。民主運動家は,天安門事件の後,転向したか,中国脱出をはかった。残った者も,子弟を脱中させ,留学させている。早くから海外で生活をしている中国人は,中国ウォッチャーとして,敢えて四川大地震に義捐金を送らなかった。党中央が潤うだけだということを知っているからだ。また,今年は日本へ伝えられるだけでも,10件近い暴動が起こっている。

これらは,青木直人の指摘が一部は正しいことを示しているようにも思う。2年後に控えた上海万博に何が起こるか,それまでか。景気の悪化とともに,世界的な "Change"が起こるのだろうか。

2008年12月21日 (日)

内容変更

今日が最後の担当講義。

午前中は,ITと著作権,午後が地域方言。どちらも時代の波にさらされ,内容に付加することが多く,配布しているテキストに付加する内容になる。

M-1グランプリでNonStyleが優勝。井上君(次から「さん」)か?)は5年来のつきあい。来年の卒業式に来てもらおうか。スケジュール,ギャラは合うか。決勝の一回戦から突き抜けていた。
敗者復活戦からの「オードリー」の評価が僕の目より高い。来年から,決戦の順番は,敗者復活からするほうが,いいかもしれない。決勝の残りが「1番が嫌」ならがということだ。3番目だったから「カスガ」の威力は落ちたような気もする。

色々な要素が固まって,でもNonStyleが優勝。素直に「おめでとう」。賞金よりも「栄誉」。そう思っているが,難しい。

語彙の中の,外来語,気付かない地域方言,原稿のネタもメモも膨らんできている。もうそろそろ,『語彙・意味』の書き終わりは近い。

2008年12月20日 (土)

併読は楽読

それほど,読書に関する恐怖心はない。小学校4年の時にリンドグレーンの「カッレ君」シリーズを読んで,担任の長岡教諭に得意げに報告したところ,薔薇戦争の下りで,「で,本当はどっちが勝ったの?」と聞かれ,ランカスター,ヨークシャーの「本当」を知らず,浅薄な自分を呪った(というほどでもないが,穴があれば入りたい気持ちを味わった初めてのような気がする)。

物語編集力をつけるべく,旅立つ勇者を気取るのだが,いきなり,居酒屋の女性店員と「旅立ちのうたは何か」との盛り上がり,回りも巻き込んでしまった。「卒業」は尾崎豊,斉藤由貴,「卒業写真」はユーミンと出てくるのだが,ほろ酔いの身には,今ひとつ。「もしもピアノが弾けたなら」ではダメなのか,何故?どうも,「五番街のマリー」ではダメで,「待ってた」が特に受けが悪い。「時の流れに身をまかす」のは「分かれ」ではなく「流れ」らしく,いろんな提案を上げたり聞いたり,腰が座らない。岡本真夜の「トゥモロウ」は,アニーを思いだし,でも「銃を取ったり」してはいけないらしい。

ともあれ,今日もAmazonから3冊届いた。しかたない。ジャージを脱いで,スタートラインでクラウチングポーズを取るか。第1のコース,『史上最強の論理パズル』君,すぐ寝かせてくれるでしょう高校。第2のコース,『北京五輪語に何かが起こる』君,もう半分終わりましたでしょう高校。第3のコース,『拒否できない日本』君,まだ少しも手を着けていません,高校名不明。

年の暮れにお付き合いくださった皆様,ありがとうございます。当,宮 耕「亭」は,無休で御奉仕(かどうか)いたしたく存じますので,よろしく御願いいたします。

2008年12月18日 (木)

どこか似ているいい加減さ

昨日のOkanoNote を読むと,「共通項」なるいい加減な概念について述べてある。これは,現在作成中の『語彙/意味(タイトル未定)』にも大いに関係がある。上位語・下位語といったとき,意味成分の数の話を付け加えている。意味成分とは,意味を成り立たせている組成のことである。たとえば「母」には,「女」「親」という意味成分がある。少し考えればわかるのだが,上位語のほうが意味成分が少ない。先ほどの例で言えば,「義母」は「母」の下位語で,「非『実』」という意味成分が加わる。少し考えれば分かるが,直感的には,「上位>下位」の語感からか,意味成分が「多い」と勘違いしやすい。

OkanoNoteは,脳梗塞のチェックに用いる前頭葉のテストで,「タンス,鏡台」なら「家具」と答えるというわけだが,「上位概念」を答えさせるのは,少ない意味成分のものを探すわけで,実は個数は多くなる。つまり,網の目が粗くなる。

               ~◇~ ~◇~ ~◇~

少し考えれば,無縁なものが,あたかも関連があるがごとく取り上げられ,新聞の見出しになる。「地下銀行を経営していた,中国人4名が逮捕」という記事が出ている。NHK朝日新聞などで異なるが,朝日の言う「日本語学校」が利用したというのはどういう根拠なのだ。日本語学校が地下銀行に口座があるかのような見出しだが,どこまで裏付けをとっているのだろう。

ぼくの日本語学校へ入学するのに,日本にいる親戚が授業料を払うことがある。中国の日本語学校の校長(中国人,日本語,韓国語達者)が,来日して払うこともある。最初の授業料ではないが,一時帰国して,国で金をもらい,再入国後,現金で払う学生もいる。中国から100万円ぐらい持ってくることが中国と日本の外為法に触れるのかどうか,少なくとも銀行法違反ではあるまい。

もっと言えば,日本にいる親戚が払った授業料が,「地下銀行」を利用したかどうか確認する義務が日本語学校にあるのか。もしそれなら,地下銀行を利用して送金を受けた金をコンビニで使えば,そのコンビニも「地下銀行」を利用したことになる。金額の多寡ではなく,「地下銀行利用」をしているのは,送金を受けた人間の周辺にたくさんいることになる。しかし,「日本語学校」のほうが,「コンビニ」よりも見出しにしやすいらしい。

事実は,どうだか。銀行法違反で逮捕した被疑者宅などを捜索したところ,日本国内で送金した先に,「日本語学校」の普通の銀行口座があったぐらいの話に違いない(ぼくのところもそうだが,税務署との関係もあり,できるだけ銀行振り込みをしてもらっている)。

まともな日本語学校が,地下銀行に「口座」を設けるような危険なことをするはずがない。送金手数料は,学生の負担だ。何のために「地下」が必要になる。

まともでない日本語「学校もどき」は,中国人のビザ申請代理ができる資格を得るような認定申請などの面倒くさいことはしない。資格を取ったとして,毎回の学生募集,審査で入管の学生審査を受けなければいけない。真正な書類を提出するために苦労しているのに,たかが送金ごときで違法に手を染めるわけにはいかないのだ。

かくして,まともな日本語学校の評判を失墜させるために,警視庁で聞き込んだネタを膨らまし,それを見出しにしている。朝日新聞は戦前,戦争協力の与太記事を書いていたと言われるが,それを払拭できるようなことをしていると言えるのか。

2008年12月17日 (水)

全体研修

年末に京都で行う予定で準備していたが,世界的金融不況の中で,移動人数×単価を考えると,東京のほうが効率がいいので,急遽東京に変更した。11月末から3週間かかって決断。速いのか,遅いのか。中小零細は決断の早さが勝負。トヨタの役員賞与ゼロに比べると,いい勝負というのは,身贔屓かもしれない。

しかし,トヨタも削減した役員賞与を,季節労働者の雇用原資にするというメッセージを出すところまでいけなかった。難しい。

ところで,そのような経営陣の「アタフタ」ぶりを晒すのが今日のブログではない。全体研修で「東京へ行く」となると,燃える。新幹線の予約。難波で一番安いのは,回数券のバラ売り「金券ショップ」で,1万2千880円。これは20円最安。もちろんゲット。8人分往復16人。いや,かえりは自由に予約だろう。それに,京都乗車の奈良県人もいるし,...JR難波駅(という名前に変わった元「湊町駅」,もちろん,難波と呼ぶことのできない端っこ。この10年は関空開港後のOCATとナンバハッチ=FM大阪の転居で...)で8人分の座席指定。仲良く,遠足(と行くのかどうか)。
次は,弁当。もちろん,水了軒だろう。1時研修スタートなので,大阪出発メンバーは富士山を見終わった後に,弁当を食べて,歯を磨いて新横浜ぐらい。口紅の塗り直しぐらいするタイミングで,品川。今回は新宿なので,品川でもいいが,東京駅で1・2番線の中央線で全員始発で着席のまま移動。という段取りが,頭の中に渦巻く。

お土産だ。大阪土産といえば「たこ焼き」では,研修の中休みに食べるのはつらい。西村さんちの「りくろーのチーズケーキ」だろう。これを,前日に1ダースぐらい買って,クール?便で新宿校へ送る。それを,電子レンジで温める案が,ぼくの中で最有力。

研修のテーマは,「ライフ&ワークバランス」。電車(新幹線)で移動の部分は「ワーク」,弁当とお土産これは「ライフ」か?

下拵えは楽しい。現場で楽しんでもらえばもっと嬉しい。その顔が見られないのが,少し残念。先乗りで,前泊(か,終夜バス)。午前中に,東京で,来年度方針の役員,一部会議になる。これも,全体研修にしたい。楽しんでもらえるのに,見られないのだけが,悔しい。

2008年12月15日 (月)

タッチ本日

昨日のブログ「~千日行」にコメントをいただいたばかりで申し訳ない。本日も「本日中の」ための短ブログ。

本日東京から(東京で,新幹線の中で更新しても良かったのだが)帰阪して,本日残り30分。とにかくアップという「奇手千日行」を多用すべきではないので,ブログテーマ予告をしておく。これは,ぼく自身のためだ。

・「会議は踊る」,ウィーン会議も会社の会議も。
 どうすれば,会議を身のあるもの,関係者の満足するものにできるのだろう。ぼくの組織は,真面目な会議をしているが,「真面目」の向こうにさらに目指すものがあるように思っている。

・近,現代の「世界史」を共有する。
 居酒屋のカウンターの向こうの「彼」との語らい。日本帝国の満州経営。「第二次世界大戦」というくくりにしているが,「大戦」はどこで始まった?

一眠りして,テーマが広がれば(今,『物語編集力』が終わりに近づき,方や,新幹線の中でDSで『野菊の墓』『夜叉ガ池』など近代「古典」を日に3冊ぐらい読む「酔読」状態をどこかでまとめる必要があるように思っている),それを元に「計画的」なブログ掲載も「面白い」。乞う御期待(これは自分自身にです)。

2008年12月14日 (日)

おっとっと千日行

ガンバ大阪の試合を見ながら,思い出すことができた。

このブログは千日行だった。休むことはできない。

自分の会社の,MLに多めの意見を書いて,安心してしまった。魔は怖い。人間「魔がさす」のが一番いけない。

危ない。危ない。

ぼくがサッカー部に誘った(と思っている)人間が,同窓生,卒業した学校の教員,兵庫県のサッカー委員会の委員だ。すごい,もちろんぼくではない,頑張っている彼だ。「と思っている」というのは,ひょっとしたら,ぼくがきっかけかもしれない,という程度。

また,いいキック。ぼくは何をやっているのだ。テレビか。ブログか。勘弁してくれ。西野,なんだ。山崎~。もっと早く出せ~。播戸と代えるのか~。播戸いいじゃないか~。

すみません。ちょっと集中できません。(退場します)。

2008年12月13日 (土)

瞬く間の日常,ぼんやりした背景

週末にかけていくつかのことが起こった。

そのせいか,毎日読んでいるはずの Okano Note を二日分読み忘れている。「忘れている」のだから,最近ぼんやりしているのかもしれない。ぼんやりしているから「瞬く間」に時が過ぎているのかもしれない。時は,等しく過ぎているはずなのだが。

この間の日曜日に,全世界で「日本語能力試験」が執り行われた。「まさか」「またか」かもしれないが,時差を利用したカンニングが行われているようだ。カメラ付き携帯が受験会場に持ち込めるという監督体制では,仕方がないのかもしれない。仕方がない,というのは諦念ではなく,「何とかしろよ!主催団体!」という気持ちだ。

ここ数年,日本語教育能力検定試験の試験監督の対応が気になる。年に1回の試験だから「慣れろ」という方が無理なのかもしれないが,以前の試験監督とは明らかに異なる。あれは,学生バイトなのだと言う人もいる。確かに,以前は,ぼくらぐらいか,40は越えているだろうと思われる人間が各会場に一人はいた。また,決して背広・スーツでもなかった。背広・スーツにしたら権威があがるわけでもあるまい。ぼくは,平成15年は名古屋で,それ以降は大阪会場に行っている。監督の失態が続いている。昨年は,試験終了1時間10分前にマイクを握って「あと10分で終了します」とやった。今年は,受験生からの抗議にびっくりして,解答用紙を回収せずに会場本部へ飛んでいった試験監督がいた。

そして,日曜日には,不正行為らしき状態を2度注意して退場させずに終了させた試験監督がいたという。イエローカード2枚は退場だろう。クレームを恐れる心理は Okano Noteによらずとも蔓延しているようだ。事なかれ主義は,「何事も放置主義」であることに気づかないふりをしている。

2008年,平成20年があと3週間を切った。もっとも,この区切りはいうまでもなく人為的である。中国の学生たちは,何とかして1月学期の途中の旧正月に帰省しようと「言い訳」を練っている。今の時期の冬休みは,航空券も高く,帰っても元旦ぐらいしか休みではないため,親戚や働いている友達との交歓もままならない。アジアの学生が多いから,ぼく個人は旧正月に休暇を取ってやりたい。こちら(日本人側)の都合で夏は盆休みをとるのだから,その反対があってもいいと思う。
日本で年末・年始に長い休みを取るのは,それほど前からの習慣でもないと聞くし,そもそも旧暦の習慣をそのまま新暦に持ち越しているので,欧米の休みとも異なる。キリスト教の国は,クリスマス休暇で,正月の3が日はない。他地域の伝統に袷も合わせなくてもいいのだが,奇妙に違和感を覚える。これもぼんやりとした背景なのか。

水曜日の深夜にフランスから問い合わせメールが入って,返信をぼくが担当した。下書きを日本国籍・フランス語ネイティブのYさんに添削(ほとんど書き直し)してもらう。やはりできが違う。
(ぼく)Je vous a proposez le cours du Pré-collège du Visa chaques trois mois.
(Yさん)Le Cours de Visa Pré-collège accepte les demandes de souscription tous les trois mois.
「就学生ビザのコースは3カ月ごとに申請できます。」というのが書きたかったこと。日本語の感覚では,「(あなたは)就学生ビザのコースを3カ月ごとに申請できます」だが,できあがったフランス語は,「就学生ビザのコースがすべての3カ月の申し込み要求を受け付けます」となり,こちらの方がフランス語らしいといえば確かにそうだ。
木曜日に送ったYさんのすばらしいメールだが,まだ返信はない。

また,土曜の朝いきなり,学校でトライアルレッスンできますか?と英語のメール。生憎,今日は英語受付も休みだ。softbankのプリペイド携帯に「先生も受付もいない」と英語で送る。ぼくは,朝・昼,教師養成科の授業だ。

向かいの駐車場の管理人,Tさんが「今日は女性の方は?」ぼく「いません」。「とてもおいしい焼き芋なので召し上がってください。」差し入れである。これまた,瞬く間。VistaとOffice 2007,慣れないので狼狽えている。これは「ぼんやり」。

2008年12月12日 (金)

正論はたいがい女性

朝,受付の担当者が,別用で不在であった。
企業からの日本語研修の受付という連絡が総合受付からメールであった。企業研修担当者に一声かけて,ぼくが電話することにした。10回以上コールして切れた。1時間ほど経って,電話したら,こちらの名前を言ったとたん,「それ,いたずらですわ」と言われて切られた。夕方,総合受付から受付担当者にぼくが処理済みである旨のメールが送られた。受付担当者から,「受付を飛ばして...」という抗議の声。しばし無言。

実は,グループ各社で,京都で研修を使用と計画し,最初8月,その後10月にかけて具体化して,講師の方にも依頼したのだが,ここへ来て,業績の停滞時