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2011年12月

2011年12月21日 (水)

合格発表

 日本語教育能力検定試験の合否発送が先週16日に行われた。
 人前に出るのを先週ははばかっていたので,こうした話題も,あまり耳にしなかった。月曜から復帰したが,受講生の手元にはまだ届いていなかったらしい。21日は,朝から2限,代講を行ったが,受験した人が3名で,全員合格していた。喜ばしいことである。が,御報告をいただいた方の中には,不合格もある。今,届いているところで合否の割合は11:2だが,不合格のほうが連絡しづらいだろう。実際の合格率は,6割弱と言ったところか。昨年は,近畿の受講生は5割の合格だった。人数が少なかったから。今年も多くはないが,5割は行きそうな勢いである。
 試験Ⅱは,ぼくの解答だ。主催者発表と三つ違う。一昨年だったっけ,全部合ったことがあった。音声による出題は,聞き返しができないので難しい。92.5%をよしとするのか。きれいに録音をして(不正行為だと言われかねないが),何人かで聞いて見れば,100%は出せるだろう。どうせ,後でCDを出すんだから,サイトからダウン・ロードできるようにすればいい,と思う。受験番号をID,パスワードを生年月日とか方法はいろいろある。
 記述の解答例も発表されたが,行落としも段落分けもしていない。抽象論で,具体的な授業への対応は,最後に少し出てくるだけだ。学習者ニーズを無視しても一般論で進めろ,という主張にとれる。もちろん,主張の正当性は「問わない」はずなので,これも一つの正解なのだが,「例」として適切なのか。今週の月曜に読んでいてそんなことを思った。

2011年12月 5日 (月)

日本と日本人,其の二(十七にはなるまい)

 「日本人と日本語」ならば,大和魂について触れる必要があろう。と,ネットで調べ始めたが,そもそもWikipediaなどには全幅の信頼を措けない。いや,ぼく自身のブログももちろん,信を措かないほうがいい(苦笑)。ところが,偶然とは恐ろしいもので,昨日着いた『日本語相談一』で問二が「なぜ日本精神で大和魂なのか」とあり,大岡信が答えている。Wikipedia では,出典の一つとして『源氏物語』「少女」の帖をあげていたが,こちらによれば「乙女」の帖になる。小学館『国語大辞典』でも「乙女」である。もっとも,どちらも正しいと言えるかもしれない。青空文庫の与謝野晶子訳は「乙女」である。


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2011年12月 4日 (日)

日本と日本人,其の一(十七にはなるまい)

 『日本語相談』の一~五のすべてが届いた。新潮文庫の4(大野晋,井上ひさし,丸谷才一,大岡信)冊分よりも安い。これを読むとなると,そのままではプレゼンテーション大会まで時間が足りない。


 その一方で,また,タグを使ってブログをもう少し小綺麗にしようとしている。
 日曜日は,梅田の受付だ。今日は,午前中は授業がなく,その間に,新しく梅田に入れたCanon MG6230の設定をした。昨日,痛む足を引きずってヨドバシウメダで買ったものだ。事務のメインマシンがXPのためか,うまく認識しない。USB直結だったが,どうせ他のマシンからも使えたほうがいいだろう。LANに入れてみた。プリンタ・サーバーを以前も使っていたので,刺したが認識しない。直接LANに繋ぐことができるので,繋いだら,うまく3台からテストプリントができるようになった。LANケーブルはA教室に引き込んだものがあったが,今は単なる邪魔者なので,カーペットをはがして巻き取ったものを使った。


 日本列島の成り立ちを少し調べてみた。プレートテクトニクスによれば,境界部は毎年数cm移動しているそうだ。日本列島は大陸から離れていっただけでなく,伊豆半島のように太平洋側から押されてくっついたものもある,ということもどこかで聞いた(読んだ)記憶もあるが,今回再確認した。


 日本人がどこから来たのか,これについても若干触れる必要があるだろう。蒙古斑が現れることから,モンゴロイドであることは,間違いないとみていい。これも調べてみると,西欧では,ソーシャルワーカーなどが「児童虐待の痕」と勘違いすることもあるらしい。読んでみれば,なるほどと思うが,こうしたことをゼロから発想するのは難しい。
 ともあれ,ミトコンドリアDNA解析によれば,東北アジア人(中国大陸、シベリア、ブリヤート、朝鮮半島)に分類されるようだ。さらに,ヒトゲノム解析で,数万年さかのぼると,東南アジアにたどりつくらしい。


 ここまでならば1分半ぐらいか。どんなスライドが要るだろう。

2011年12月 3日 (土)

母音獲得の順序~『幼児の用語-用例集』を注文する

 プレゼンテーション大会が,「日本と日本人と日本語」なら,ぼくはずいぶんとアドバンテージを得られることになる。井上ひさしの「日本語」本もだいぶん読んだからだ。
 『井上ひさしの日本語相談』では,p216から「子ども『辞書』に必要な汚い言葉」と題して,「男の子には,意味もなく汚い言葉を使う時期があるよう」という質問者の問いの「男の子には」をすっ飛ばして,子どもが「音」や「単語」を獲得する時期や対象に触れているところがある。
 一つに面白いのは,20年養成講座講師をやっていて,NHKの『幼児の用語』を知らなかったことだ。早速古本を注文した。古書の「可」という「状態」は,通販の場合,酷いものがあるので,少々高いが3,200円のにした。送料がつくから4,000円か。おっと,閑話休題。

 「幼児の用語」によると,母音の獲得は「ア」「ウ」「エ」「イ」「オ」の順らしい。
 語彙の獲得は,1歳半から「爆発」し,60語程度のものが,3歳では1,000語になるらしい。名詞が多く,分けても代名詞が多いのは語彙不足を補うためだろう。「あれ,なに」など最たるものである。「ママ」が29位「パパ」が82位なのは予想通りか。

 井上ひさしは「汚い言葉を使って喜ぶ」のは,「辞書の正確さ」を「確か」にするためだという。「おかあさんが怒った,この言葉には『卑語』という注をつけてやろう」と「正確さ」の「確か」度を高めていると考えたようだ。ここは,週刊朝日(初出)の読者に「卑語というような,なんだか親が怒るもの」という注釈は不要だろう。そして,「喜ぶ」理由の次は,「言葉には大人を動かす力がある」ということを「発見」し,「楽しんでいる」のだという。
 う~ん。どうだろうか,「発語媒介行為」は「発声だけ」の段階から,大人たちを動かしていた。その動きが,「ほめる」から「怒る」に変わることを「言葉」で楽しんでいるのだと思う。だから,井上ひさしの見立ては順序が逆のような気がするし,やはり「男の子には」を取ってはいけないだろう。ついでに,3歳児の話になっているが,相談者は5歳児の話で,そこもかみあっていないようだ。

2011年12月 2日 (金)

敬語は?

 『井上ひさしの日本語相談』新潮文庫,p38に
 「(前略)井上ひさしさんが,〈丸谷才一さんはこう申されました〉と表現をなさっているのを見つけました。井上さんの表現に間違いのあるはずがないと思うと,「申す」の用法がわからなくなりそうです。〉というのがある。「日本語相談」が「週刊朝日」に連載されたのは1986~92年だそうだ。20年以上前に「申されました」が,しかも井上ひさしの口(か手)によって外に出たわけである。平成19年(2007年)の「敬語の指針」は,どちらを向いて出されたのだろう。「規範的」「懐古的」な方向ではないように思ったが,意外とそうだったのかもしれない。

 先週火曜日は,秋葉原でe-Learning Award 2011に参加していた。発表は,それぞれに興味深かったのだが,発表者の「日本語」はさらに興味深かった。

 「耳慣れた△△ではなく○○を」という表現は,「よく知っている△△ではなく,耳慣れない○○を」でないのが不思議だった。
 「ご入場される方は,~」。「ご入場する」は謙譲語だ。「れる・られる」を付けて尊敬表現にできないはずだ。07年の「敬語の指針」によらずとも。
 「知識修得型」これは,パワーポイントのスライド。「修得」って空手,とか,武芸じゃないのか。
 「自分ごとに落とし込む」。「ごと」が「事」なのか「毎」なのかがわかりにくい文脈で,「各自が落とし込む」とか「自分のものにする」ではどうしていけないのだ。これはあと2回出てくる。3回目は「自分事」なのかと思う。帰ってから調べると「自分ごと化」というのが引っかかって,「当事者意識を持つこと,持たせること」とある。どうにも「落とし込む」との据わりが悪い。元は,「ひとごと(他人事)」との対立概念のようで,電通,博報堂などが手がけた書籍が見当たる。関西地域の方言生活のせいか「自分のこと」とは言うが,「自分ごと」は「耳慣れない」。
 「はらおちしないとダメなんですよ」「はらおち」とは?別に呆けたふりをしているわけではない。意地悪を言いたいわけでもない。しかし,「腑に落ちる」→「腹に落ちる」→(名詞化)→「腹落ち」でOKなら,「顔をつぶす」→「面をつぶす」→「面つぶし」もできることになる。「ツラ潰し」で検索に引っかかるが132件で,意味もよく分からない。名詞化して「する」を付けて動詞で使うのなら,もとの「腹に落ちないとダメなんですよ」となぜ言わないのだろう。岡野塾で聞いた「『~化』という名詞を主語にする文に気をつけよう」という話を思い出した。「グローバル化が国境や民族の境界を乗り越えた。」などだ。「『商品やサービス』が国境や民族の境界を乗り越えたこと」を「グローバル化」と呼ぶのである。動詞を名詞化したものに「する」を付けるのは,もとの動詞とは違う,「故意」を付け足したいのであろうか。1週間以上も経って,ようやく先週のセミナー(の言葉遣い)の整理ができた。

Inouenihongosodan

 「日本と日本人」のプレゼンテーション大会の準備はほとんど進んでいない。メモはあるのだが,悪筆で読めない。「ルース・ベネディクト」の隣に "The chrysouthes???? and the son" と書いてあるようなのだが,これがさっぱり分からない。その下が「外的批判,恥。内的良心,罪」となっているので,どうやらベネディクトのことを言おうと下書きしたらしい。その下に,「李 御寧 縮み志向の日本人」とあるから,これも日本人論を紹介しようとしたようだ。同じページの一番下は,「日本と世界,陸地面積(免責?)の何分の一,人口の何分の一,金融資産の〃,消費カロリー,消費」とあり,そうした観点からプレゼンテーションをしようとしたのか,ともうかがえる。ただ,そのすぐ上には,「奇妙な夢,コンピュータ,複数台,称する男,持ち去られる1台」という3行もあり,何のメモだか分からない。「日本国憲法,前文と原文」というのは,日本国憲法の前文が,とてつもない悪文で「何がなにやらさっぱりわからない」が,原文であろう,英語を読めば,もう少しわかりやすい,らしい,ということを披瀝するつもりだったようだ。他にも,「マダガスカル,キツネザル,唯一c」とか「翻訳文化」とか「1929年 L.ボルク ヒト ネオテニー(幼生型)説」矢印を引っ張って,「日本人 新人類説」とある。

 どうやら,このメモは酩酊しながらしたためたらしい,今日のブログは,なにやらタイトルから大きく外れて12月17日の準備をしようとした2カ月前に戻るようだ。

 The Chrysanthemum and the Sword とは,『菊と刀』の原題だが,メモはまったく何を書いているのかは判明しない。

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