『井上ひさしの日本語相談』新潮文庫,p38に
「(前略)井上ひさしさんが,〈丸谷才一さんはこう申されました〉と表現をなさっているのを見つけました。井上さんの表現に間違いのあるはずがないと思うと,「申す」の用法がわからなくなりそうです。〉というのがある。「日本語相談」が「週刊朝日」に連載されたのは1986~92年だそうだ。20年以上前に「申されました」が,しかも井上ひさしの口(か手)によって外に出たわけである。平成19年(2007年)の「敬語の指針」は,どちらを向いて出されたのだろう。「規範的」「懐古的」な方向ではないように思ったが,意外とそうだったのかもしれない。
先週火曜日は,秋葉原でe-Learning Award 2011に参加していた。発表は,それぞれに興味深かったのだが,発表者の「日本語」はさらに興味深かった。
「耳慣れた△△ではなく○○を」という表現は,「よく知っている△△ではなく,耳慣れない○○を」でないのが不思議だった。
「ご入場される方は,~」。「ご入場する」は謙譲語だ。「れる・られる」を付けて尊敬表現にできないはずだ。07年の「敬語の指針」によらずとも。
「知識修得型」これは,パワーポイントのスライド。「修得」って空手,とか,武芸じゃないのか。
「自分ごとに落とし込む」。「ごと」が「事」なのか「毎」なのかがわかりにくい文脈で,「各自が落とし込む」とか「自分のものにする」ではどうしていけないのだ。これはあと2回出てくる。3回目は「自分事」なのかと思う。帰ってから調べると「自分ごと化」というのが引っかかって,「当事者意識を持つこと,持たせること」とある。どうにも「落とし込む」との据わりが悪い。元は,「ひとごと(他人事)」との対立概念のようで,電通,博報堂などが手がけた書籍が見当たる。関西地域の方言生活のせいか「自分のこと」とは言うが,「自分ごと」は「耳慣れない」。
「はらおちしないとダメなんですよ」「はらおち」とは?別に呆けたふりをしているわけではない。意地悪を言いたいわけでもない。しかし,「腑に落ちる」→「腹に落ちる」→(名詞化)→「腹落ち」でOKなら,「顔をつぶす」→「面をつぶす」→「面つぶし」もできることになる。「ツラ潰し」で検索に引っかかるが132件で,意味もよく分からない。名詞化して「する」を付けて動詞で使うのなら,もとの「腹に落ちないとダメなんですよ」となぜ言わないのだろう。岡野塾で聞いた「『~化』という名詞を主語にする文に気をつけよう」という話を思い出した。「グローバル化が国境や民族の境界を乗り越えた。」などだ。「『商品やサービス』が国境や民族の境界を乗り越えたこと」を「グローバル化」と呼ぶのである。動詞を名詞化したものに「する」を付けるのは,もとの動詞とは違う,「故意」を付け足したいのであろうか。1週間以上も経って,ようやく先週のセミナー(の言葉遣い)の整理ができた。
「日本と日本人」のプレゼンテーション大会の準備はほとんど進んでいない。メモはあるのだが,悪筆で読めない。「ルース・ベネディクト」の隣に "The chrysouthes???? and the son" と書いてあるようなのだが,これがさっぱり分からない。その下が「外的批判,恥。内的良心,罪」となっているので,どうやらベネディクトのことを言おうと下書きしたらしい。その下に,「李 御寧 縮み志向の日本人」とあるから,これも日本人論を紹介しようとしたようだ。同じページの一番下は,「日本と世界,陸地面積(免責?)の何分の一,人口の何分の一,金融資産の〃,消費カロリー,消費」とあり,そうした観点からプレゼンテーションをしようとしたのか,ともうかがえる。ただ,そのすぐ上には,「奇妙な夢,コンピュータ,複数台,称する男,持ち去られる1台」という3行もあり,何のメモだか分からない。「日本国憲法,前文と原文」というのは,日本国憲法の前文が,とてつもない悪文で「何がなにやらさっぱりわからない」が,原文であろう,英語を読めば,もう少しわかりやすい,らしい,ということを披瀝するつもりだったようだ。他にも,「マダガスカル,キツネザル,唯一c」とか「翻訳文化」とか「1929年 L.ボルク ヒト ネオテニー(幼生型)説」矢印を引っ張って,「日本人 新人類説」とある。
どうやら,このメモは酩酊しながらしたためたらしい,今日のブログは,なにやらタイトルから大きく外れて12月17日の準備をしようとした2カ月前に戻るようだ。
The Chrysanthemum and the Sword とは,『菊と刀』の原題だが,メモはまったく何を書いているのかは判明しない。