2012年1月 7日 (土)

「冥福」は「祈らない」

 

株式会社SHIMADAの前社長,嶋田一夫式の告別式に参列した。急逝だった。心筋梗塞だという。亡くなられたから「前社長」であるが,まだ現社長も決まっていないだろう。御命日は1月3日ということだが,年末年始もコーチングの勉強会を行っていた,と聞き,前触れがなかったのだろうかと気にかかる。心筋梗塞は,加齢,45歳以上の男性,50歳以上の女性に多いとも言うが,高血圧などの原因が挙げられている。

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 さて,「~様の御冥福を心よりお祈り申し上げます」が弔辞や弔電で使われていた。読経は「なんまいだ」で始まっており,浄土真宗のどこかの派だと思われる。浄土真宗では「冥福」は使わない。定番の弔辞用語が忌まれることもある,ということを「社会」や「国語」では教えない。どこかで習わなければいけないのだが,余り見かけない。Wikipediaに全幅の信頼を置くのは困ったものだが,冥福については,ほぼ間違いのないところだろう。浄土真宗で「冥福」を使わないのは,故人は当然のごとく「浄土」へ行くからで,「冥土」を彷徨ってから「浄土」か「地獄」に行くのではないからだ。冥土の幸福を祈る必要があるというのは,地獄へ落ちる可能性もある,との隠喩で,故人や遺族には大変失礼な言い方にあたる。

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 しかし,言葉の意味は,それが使われている領域で決定される。告別式の案内でも宗派については触れられていない。したがって,近年定番になっている「~様の御冥福を祈る」は,失礼ではないようである。特に,「故人の名前+の+~」という言い方で,直接故人の死後について語る言い方は,「冥福」以外には見当たらないようだ。これまた,困ったものだ。

2012年1月 5日 (木)

担当者会議

 本日は,年明け営業二日目である。アークアカデミー大阪校では,4半期を1学期にしている。だから新学期直前になる。そして,すべての授業を担当する担任,講師が一堂に会して担当者会議を開いた。
 昨年の同時期同様,プレゼンテーションを担当する。昨年は,最終的には,研究計画書ではなく,TVドラマ「クロサギ」や「ティファニーで朝食を」などの紹介プレゼンもあった。今年は,研究計画書以外に学会発表風の統計的検定まで扱ったものに挑戦したい。
 もう一つ,板書をできるだけ減らして,PCのディスプレイだけで講義を行うことにも挑戦したい。昨年は90分だったが,今回は135分(間に休憩15分)を入れるので,前半を論文形式と統計的検定にして,後半で,論文作成のグループワークと,プレゼンテーション・ソフトの使用方法のレッスンに当てようと目論んでいる。となると,教案を作らなければ行けない。梅田校に「推定と検定」の参考文献があるから,あれを元にして統計的検定を組み立ててみよう。
 後半は,例によって『日本語発表作法―系統的トレーニング (IT21叢書 情報リテラシー編)』もいいのだが,『発表の技法』『プレゼンテーションの技法』も調べておいたほうがいいだろう。
 http://www.katayama.nuee.nagoya-u.ac.jp/~katayama/presentation/
は,理系向けのプレゼン法の手引き。2冊は,土曜日までに届くとAmazonが言っている。

2012ブログのスタート。

2011年12月21日 (水)

合格発表

 日本語教育能力検定試験の合否発送が先週16日に行われた。
 人前に出るのを先週ははばかっていたので,こうした話題も,あまり耳にしなかった。月曜から復帰したが,受講生の手元にはまだ届いていなかったらしい。21日は,朝から2限,代講を行ったが,受験した人が3名で,全員合格していた。喜ばしいことである。が,御報告をいただいた方の中には,不合格もある。今,届いているところで合否の割合は11:2だが,不合格のほうが連絡しづらいだろう。実際の合格率は,6割弱と言ったところか。昨年は,近畿の受講生は5割の合格だった。人数が少なかったから。今年も多くはないが,5割は行きそうな勢いである。
 試験Ⅱは,ぼくの解答だ。主催者発表と三つ違う。一昨年だったっけ,全部合ったことがあった。音声による出題は,聞き返しができないので難しい。92.5%をよしとするのか。きれいに録音をして(不正行為だと言われかねないが),何人かで聞いて見れば,100%は出せるだろう。どうせ,後でCDを出すんだから,サイトからダウン・ロードできるようにすればいい,と思う。受験番号をID,パスワードを生年月日とか方法はいろいろある。
 記述の解答例も発表されたが,行落としも段落分けもしていない。抽象論で,具体的な授業への対応は,最後に少し出てくるだけだ。学習者ニーズを無視しても一般論で進めろ,という主張にとれる。もちろん,主張の正当性は「問わない」はずなので,これも一つの正解なのだが,「例」として適切なのか。今週の月曜に読んでいてそんなことを思った。

2011年12月 5日 (月)

日本と日本人,其の二(十七にはなるまい)

 「日本人と日本語」ならば,大和魂について触れる必要があろう。と,ネットで調べ始めたが,そもそもWikipediaなどには全幅の信頼を措けない。いや,ぼく自身のブログももちろん,信を措かないほうがいい(苦笑)。ところが,偶然とは恐ろしいもので,昨日着いた『日本語相談一』で問二が「なぜ日本精神で大和魂なのか」とあり,大岡信が答えている。Wikipedia では,出典の一つとして『源氏物語』「少女」の帖をあげていたが,こちらによれば「乙女」の帖になる。小学館『国語大辞典』でも「乙女」である。もっとも,どちらも正しいと言えるかもしれない。青空文庫の与謝野晶子訳は「乙女」である。


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2011年12月 4日 (日)

日本と日本人,其の一(十七にはなるまい)

 『日本語相談』の一~五のすべてが届いた。新潮文庫の4(大野晋,井上ひさし,丸谷才一,大岡信)冊分よりも安い。これを読むとなると,そのままではプレゼンテーション大会まで時間が足りない。


 その一方で,また,タグを使ってブログをもう少し小綺麗にしようとしている。
 日曜日は,梅田の受付だ。今日は,午前中は授業がなく,その間に,新しく梅田に入れたCanon MG6230の設定をした。昨日,痛む足を引きずってヨドバシウメダで買ったものだ。事務のメインマシンがXPのためか,うまく認識しない。USB直結だったが,どうせ他のマシンからも使えたほうがいいだろう。LANに入れてみた。プリンタ・サーバーを以前も使っていたので,刺したが認識しない。直接LANに繋ぐことができるので,繋いだら,うまく3台からテストプリントができるようになった。LANケーブルはA教室に引き込んだものがあったが,今は単なる邪魔者なので,カーペットをはがして巻き取ったものを使った。


 日本列島の成り立ちを少し調べてみた。プレートテクトニクスによれば,境界部は毎年数cm移動しているそうだ。日本列島は大陸から離れていっただけでなく,伊豆半島のように太平洋側から押されてくっついたものもある,ということもどこかで聞いた(読んだ)記憶もあるが,今回再確認した。


 日本人がどこから来たのか,これについても若干触れる必要があるだろう。蒙古斑が現れることから,モンゴロイドであることは,間違いないとみていい。これも調べてみると,西欧では,ソーシャルワーカーなどが「児童虐待の痕」と勘違いすることもあるらしい。読んでみれば,なるほどと思うが,こうしたことをゼロから発想するのは難しい。
 ともあれ,ミトコンドリアDNA解析によれば,東北アジア人(中国大陸、シベリア、ブリヤート、朝鮮半島)に分類されるようだ。さらに,ヒトゲノム解析で,数万年さかのぼると,東南アジアにたどりつくらしい。


 ここまでならば1分半ぐらいか。どんなスライドが要るだろう。

2011年12月 3日 (土)

母音獲得の順序~『幼児の用語-用例集』を注文する

 プレゼンテーション大会が,「日本と日本人と日本語」なら,ぼくはずいぶんとアドバンテージを得られることになる。井上ひさしの「日本語」本もだいぶん読んだからだ。
 『井上ひさしの日本語相談』では,p216から「子ども『辞書』に必要な汚い言葉」と題して,「男の子には,意味もなく汚い言葉を使う時期があるよう」という質問者の問いの「男の子には」をすっ飛ばして,子どもが「音」や「単語」を獲得する時期や対象に触れているところがある。
 一つに面白いのは,20年養成講座講師をやっていて,NHKの『幼児の用語』を知らなかったことだ。早速古本を注文した。古書の「可」という「状態」は,通販の場合,酷いものがあるので,少々高いが3,200円のにした。送料がつくから4,000円か。おっと,閑話休題。

 「幼児の用語」によると,母音の獲得は「ア」「ウ」「エ」「イ」「オ」の順らしい。
 語彙の獲得は,1歳半から「爆発」し,60語程度のものが,3歳では1,000語になるらしい。名詞が多く,分けても代名詞が多いのは語彙不足を補うためだろう。「あれ,なに」など最たるものである。「ママ」が29位「パパ」が82位なのは予想通りか。

 井上ひさしは「汚い言葉を使って喜ぶ」のは,「辞書の正確さ」を「確か」にするためだという。「おかあさんが怒った,この言葉には『卑語』という注をつけてやろう」と「正確さ」の「確か」度を高めていると考えたようだ。ここは,週刊朝日(初出)の読者に「卑語というような,なんだか親が怒るもの」という注釈は不要だろう。そして,「喜ぶ」理由の次は,「言葉には大人を動かす力がある」ということを「発見」し,「楽しんでいる」のだという。
 う~ん。どうだろうか,「発語媒介行為」は「発声だけ」の段階から,大人たちを動かしていた。その動きが,「ほめる」から「怒る」に変わることを「言葉」で楽しんでいるのだと思う。だから,井上ひさしの見立ては順序が逆のような気がするし,やはり「男の子には」を取ってはいけないだろう。ついでに,3歳児の話になっているが,相談者は5歳児の話で,そこもかみあっていないようだ。

2011年12月 2日 (金)

敬語は?

 『井上ひさしの日本語相談』新潮文庫,p38に
 「(前略)井上ひさしさんが,〈丸谷才一さんはこう申されました〉と表現をなさっているのを見つけました。井上さんの表現に間違いのあるはずがないと思うと,「申す」の用法がわからなくなりそうです。〉というのがある。「日本語相談」が「週刊朝日」に連載されたのは1986~92年だそうだ。20年以上前に「申されました」が,しかも井上ひさしの口(か手)によって外に出たわけである。平成19年(2007年)の「敬語の指針」は,どちらを向いて出されたのだろう。「規範的」「懐古的」な方向ではないように思ったが,意外とそうだったのかもしれない。

 先週火曜日は,秋葉原でe-Learning Award 2011に参加していた。発表は,それぞれに興味深かったのだが,発表者の「日本語」はさらに興味深かった。

 「耳慣れた△△ではなく○○を」という表現は,「よく知っている△△ではなく,耳慣れない○○を」でないのが不思議だった。
 「ご入場される方は,~」。「ご入場する」は謙譲語だ。「れる・られる」を付けて尊敬表現にできないはずだ。07年の「敬語の指針」によらずとも。
 「知識修得型」これは,パワーポイントのスライド。「修得」って空手,とか,武芸じゃないのか。
 「自分ごとに落とし込む」。「ごと」が「事」なのか「毎」なのかがわかりにくい文脈で,「各自が落とし込む」とか「自分のものにする」ではどうしていけないのだ。これはあと2回出てくる。3回目は「自分事」なのかと思う。帰ってから調べると「自分ごと化」というのが引っかかって,「当事者意識を持つこと,持たせること」とある。どうにも「落とし込む」との据わりが悪い。元は,「ひとごと(他人事)」との対立概念のようで,電通,博報堂などが手がけた書籍が見当たる。関西地域の方言生活のせいか「自分のこと」とは言うが,「自分ごと」は「耳慣れない」。
 「はらおちしないとダメなんですよ」「はらおち」とは?別に呆けたふりをしているわけではない。意地悪を言いたいわけでもない。しかし,「腑に落ちる」→「腹に落ちる」→(名詞化)→「腹落ち」でOKなら,「顔をつぶす」→「面をつぶす」→「面つぶし」もできることになる。「ツラ潰し」で検索に引っかかるが132件で,意味もよく分からない。名詞化して「する」を付けて動詞で使うのなら,もとの「腹に落ちないとダメなんですよ」となぜ言わないのだろう。岡野塾で聞いた「『~化』という名詞を主語にする文に気をつけよう」という話を思い出した。「グローバル化が国境や民族の境界を乗り越えた。」などだ。「『商品やサービス』が国境や民族の境界を乗り越えたこと」を「グローバル化」と呼ぶのである。動詞を名詞化したものに「する」を付けるのは,もとの動詞とは違う,「故意」を付け足したいのであろうか。1週間以上も経って,ようやく先週のセミナー(の言葉遣い)の整理ができた。

Inouenihongosodan

 「日本と日本人」のプレゼンテーション大会の準備はほとんど進んでいない。メモはあるのだが,悪筆で読めない。「ルース・ベネディクト」の隣に "The chrysouthes???? and the son" と書いてあるようなのだが,これがさっぱり分からない。その下が「外的批判,恥。内的良心,罪」となっているので,どうやらベネディクトのことを言おうと下書きしたらしい。その下に,「李 御寧 縮み志向の日本人」とあるから,これも日本人論を紹介しようとしたようだ。同じページの一番下は,「日本と世界,陸地面積(免責?)の何分の一,人口の何分の一,金融資産の〃,消費カロリー,消費」とあり,そうした観点からプレゼンテーションをしようとしたのか,ともうかがえる。ただ,そのすぐ上には,「奇妙な夢,コンピュータ,複数台,称する男,持ち去られる1台」という3行もあり,何のメモだか分からない。「日本国憲法,前文と原文」というのは,日本国憲法の前文が,とてつもない悪文で「何がなにやらさっぱりわからない」が,原文であろう,英語を読めば,もう少しわかりやすい,らしい,ということを披瀝するつもりだったようだ。他にも,「マダガスカル,キツネザル,唯一c」とか「翻訳文化」とか「1929年 L.ボルク ヒト ネオテニー(幼生型)説」矢印を引っ張って,「日本人 新人類説」とある。

 どうやら,このメモは酩酊しながらしたためたらしい,今日のブログは,なにやらタイトルから大きく外れて12月17日の準備をしようとした2カ月前に戻るようだ。

 The Chrysanthemum and the Sword とは,『菊と刀』の原題だが,メモはまったく何を書いているのかは判明しない。

2011年11月30日 (水)

岡野塾第6講 了

 昨日,第6講が終わった。おそらく,近年の岡野塾で一番学習した,と思いたい。
第1講 《記憶と抽出》 知と知がつながる相関力
第2講 《読解と説明》 ポイントを押さえる抽出力
第3講 《問いと答え》 前提から始まる解決力
第4講 《概念と表現》 コンセプトをつくる連想力
第5講 《観察と偶察》 見えざるを見る着眼力
第6講 《統合と分類》 配列を見立てる編集力

 近年で一番学習した,と思う根拠の一つは,第3講から,前講までのレジュメを必ず持参したことである。やっと「覚えられない」「できるようにならない」ことに気づいたわけである。また,パワー・ポイントのファイルをまだ正式には請求していない。まず,紙媒体を噛み砕いて理解して,したつもりになって,12月のプレゼンテーション大会でいただこうと思っている。
 しかし,このように講義のタイトルを振り返るだけで「学習した」つもりになれるのだから,こんなにコスト・パフォーマンスのいい学習はない。人間,「やったつもり」ができなければ,次へ進まない。

2011年11月20日 (日)

2ちゃんを読む

JEESのリンクが訂正されていた。2ちゃんに「JEES,ここを読んでいるのか?ならば,答えてくれ!」とのラブコールがあった。読んでいないと思う。読んでいても2ちゃんには書かない。自分のサイトにも,書かない。来月の「正解発表」だけだろう。
 ぼくも2ちゃんに書かれたことがある。しかし,何も書かなかった。このブログにも書かなかった。2ちゃんねるは相手が誰かも人数もわからない。スレッドで盛り上がっているようでも突如小さな揚げ足取りで炎上する。匿名だからかもしれないが,口穢い。性別を隠すためか,ひょっとしたら普段は決して使わない表現でも書き散らかすように見える。
 

2011年11月14日 (月)

リンク切れ

 自分のサイトにリンクを張るのであれば,本来,そのリンク先にきちんとジャンプするかどうかは,そのサイトの管理者の責任である。このブログでもリンクをしばしば張るが,リンク先が「生き」ているかどうかの確認は,ほとんどしていない。企業などの広報サイトや情報系サイトであれば,リンク切れが起こらないようにチェックする必要はあろう。個人のブログでどこまで「まめ」にそれをするか。リンクを張らずに,引用形式をとるのが,無難だろうか?それにしても,原典を挙げるなりすると,どうしてもリンク(もしくはURL掲載)にならざるを得ない。どちらの方法をとったとしても,「リンク切れ」の責任は,どこかに向かう。

 検索サイトですら,リンク切れを起こすのである。個人のサイトが,自分の書き散らしたブログにそこまでするのか,という考えが比較的強い。どこかからの指摘があれば,訂正するにはやぶさかではない。

 日本語教育能力検定試験は社団法人日本語教育学会が認定している。したがって,主催者団体の,検定試験のページ右上には「本試験は、社団法人日本語教育学会の認定を受けています」(句点無し,ママ)という表示がある。これには,http://wwwsoc.nii.ac.jpというリンクが張られている。http://wwwsoc.nii.ac.jp/ とは,「国立情報学研究所 学協会情報発信サービス」のことであり,2010年7月30日をもって,サービスを終了している。直打ちで,サイトトップに行くと,各学会のサイトが50音で検索できるようになっている。しかし,日本語教育学会は,すでにhttp://www.nkg.or.jp/というURLでずいぶん前からアクセスできる。どうして,検定試験のリンクが前のままなのかはわからない。さらに,これをクリックすると"Not found"になる。「本試験は、社団法人日本語教育学会の認定を受けています」が「指定されたURLは存在しません」では,試験の威厳はかたなしだろう。どうなっているのだろうか。

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